第27話 悪党の痕跡

  二十七 捜査 


「おれは、焦っているな」宮部源次郎が書役の大野に向かって言った。

「そうでしょうか」

 昼下がりの盗賊改の役宅は、ほとんどの人間が出払っていた。

 今日は静かで書類仕事がはかどると、ひそかに喜んでいた大野だったが、普段この時刻には見ない与力の宮部がぬっと姿を見せたのに少々驚いた。

 宮部はどすんと腰を落とすと、腕を組んで閑散とした部屋を見回した。その後、仕方ないといった様子で大野に声をかけてきたのだ。


 大野が穏やかに返しても宮部はなぜか、「いいや、焦っている」と力強く言った。「焦っていては、ますます悪くなることが分かっているのに、焦っている」

「はあ」

 そして「古田殿はどこへ」と尋ねた。

「小伏町に番屋の世話役の見舞いです。勘吉をお供に朝から出られています。ほかにいくつか回ってみるとも」

 勘吉というのは組に付いている中間身分の若者で、足が早く急ぎの連絡を頼むのにうってつけだった。

「小伏町。この前、手をぽっきり折った親父か。ふむ」

 

 組の活動が始まって以来、各地の番所や元咎人なども含んだ「うわさ」を独自に集めるしくみは、少しずつ整っている。町方は、自分たちの仕事のうちでもつらく汚い部分を受け持ってくれる存在として、協力はしないが邪魔もしない、との態度で一貫していた。

 当初は慎重に距離感を測っていた情報網も、このごろは真っ先に知らせをくれることも増えてきた。新当組の方がもらえる報償が良いというのは当然、あった。

 その多くは組頭の三浦の懐から出ているのを宮部は強く感謝し、早く結果を出したいといらだってもいた。

 ただ、当初は頼りなかった同心たちも、わずかづつ様になってきたように思える。

 先ごろは派手な遊び方をする男がいるとの情報から、それが寺や商家から小額の盗みを重ねていた盗賊であることを同心たちだけで突き止め、捕縛につなげた。

 小伏町の長屋にいるところを捕まえたが、運悪く長蔵という賊の振り回すつっかい棒に、端で捕り物見物をしていたはずの世話役がしたたかに殴られたのだ。

 

 ただ、いくら小物をせっせと捕まえても、一度世間についた新当組を軽侮するくせは、まだすっきりとは拭えないでいる。

(江戸大坂の話ではない。この国では、未然に防ぐことこそ大事なんだ。なのに)

 町方時代の経験から、国境にこだわらない大規模盗賊を捕縛する難しさを肌身で感じていた宮部は、新当組の名があがることが予防につながると信じていたものの、なかなか思うように状況は展開してくれない。

 

 いま、彼が気がかりとするのは大小二つあった。小さい方はちょくちょく起こっているぼやさわぎである。

 火の気のなさそうな場所が突然燃え始め、それに気を取られているうちに、さほど大きくはない金や物が盗まれる。

 放火する場所についても、大火にならずに消し止められそうなところばかりで、宮部はこの手口に覚えがあった。

「世の中には火付けをして楽しむ輩がいるが、これは逆だ」と彼は部下たちに説く。「大火事にでもなったら困るやつ、つまりわりに近くに家のある奴の仕業だろうと、おれはにらんでいる。そいつは新当組の発足を知って、また仕事をはじめたんだ。おれたちをばかにし、挑戦しているんだ」

 町方時代に逃した犯人がまた復活したと説く宮部の顔は、その無念がにじみ出て、なんともいえない恐ろしい表情になる。大野はその顔を正面から見られないでいた。


「七年ほど前に同じ手口の盗みがあった。なんだったら町方へ頼んで帳面を借りてこい。五、六件続いて、あるとき向こう三軒を焼くちょっとした火事になったのを最後に、ふっつりやんだ」

「慌てたんでしょうか」

「そうだ、なかなかいいぞ。町方の同輩は、火付けが楽しければさらに大きなことを企むと見て毎晩夜回りを重ねたが、次のはなかった。あれは火付けが楽しいのじゃねえ。もっと冷めている。昔の野伏りみたいな火を扱う技を持った奴が、それを使って金を盗んでいる」と、宮部は断言した。火付けの方法も、火縄かなにかを利用して、程よい時間が経てば自焼するしかけを利用しているらしく、これも単純な愉快犯ではないと宮部は考えていた。

(だが、いつ大火事にならぬともかぎらない)


 自ら外回りをしたがる宮部を立て、内勤の取りまとめを受け持つ親兵衛も、このごろは暇を見つけては自身番などを精力的に回り警戒を呼びかけていた。さらに独自の捜査も進めている。このせいで、宮部は唯一の楽しみともいえる親兵衛との雑談ができず、いらだっていた。

 思いあまって、役目を終えた時間に自宅を訪ねようとしたら、妻の雪乃にきつい口調で釘を刺されてしまった。夫婦水入らずの邪魔をするのは、人でなしだというのだ。彼女は親兵衛夫人であるみぎわを妹のように思っているらしく、なにかと守ろうとする。

(いいよな、おんなたちは。昼間に思う様しゃべっているくせに。ときにお頭の奥方まで加わるというではないか!)

 仕方なく、大野に聞いた。

「おい、古田殿は煙の話はなにもされていなかったか」

「この二三日、火事はなかったようですが」

「ばか、煙一味の話だ。もういい」宮部は不機嫌に席を立った。

 

宮部にとっての大きい方の気がかりは、やはり煙一味の動きだった。

 煙一味が世間の話題となったわけではないが、内外を荒しまわる盗賊のうち、庶民を助ける義賊がいるとの噂が根強くささやかれている。この頃は騙りまで出ているほどだ。

 宮部の見るところ、噂の多くは別の盗賊団の仕業であり、動機に義侠心なんてさらさら無い。しかし、近年の好況に乗りそこなった層はいて、たとえ盗賊でも憂さ晴らしの種にしたいのだ。

(古田殿は、あの三平と会ってるのかな)

 と、また考える。独自捜査を開始した親兵衛は、手習いの師匠をしていた時分に知り合った三平という男を手先として使っていた。

 

 結構な歳のはずで、髪はもう真っ白だった。何をして食っているのかいまひとつ分からないが、これがなかなか役に立つ男だった。侍はもとより岡っ引きでも面倒がるややこしい場所に入り込んで話を引っ張ってくる。宮部も感心し、十手を持つことを勧めたが、当の三平は

 「そんなの持っても、背中もかけねえ」と断り、たまの酒手だけ面倒を見るよう頼んできた。

 はっきりとは言わないが、かれは若い頃に江戸で十手を預かった経験があるようだ。なにかの理由で妻子をなくし、ひとりこの国に流れてきたと、酒を飲みながら誰にいうでもなく口にした。

 宮部は大きな声でひとりごとを言った。

 「金貸しの隠居にでも会おうか。しかし、せっかくなら古田どのと同道したい。ああ、つまらない」

 

 宮部が役所で考え込んでいるころ、たしかに親兵衛は三平と会っていた。

 場所は円福寺という寺のそばである。小さな卓を置き、辻占をやっている男の手伝いを三平はしていた。横で呼び込みをしているのだった。

 寺は本陣ともそれほど遠くない場所にあり、立派な不動明王の像が安置されているせいもあって他国の武家による参拝も珍しくなかった。親兵衛も、田舎侍が辻占を受けているといった風情で座っている。

 黒羽織を着た易者は、いたって真剣に彼に対峙している。

 ただし羽織はかなりのボロだったし、鼻の下が長くてヒゲが濃い顔立ちから、真面目くさった犬が座っているように見える。


 彼は筮竹も使うが、師が考案したという変形したさいころを同時に複数振って占う方法を多用する。こちらの方が人間関係について繊細な内容を伝えてくれるのだという。横で見ていると目まぐるしく複雑に思えるものの、易者自身が適当に調整するのか時間もかからず、値段も相場より安い。そのせいかお使いで近くを通った小女などがよく客になるということだった。 

 「奥方さまとの仲は、前世来世ともに確約されたもので、ご一緒になられるべくしてなられたのでしょう。これからもつつがなく暮らせ、家も安泰でありましょう」

 「かたじけない」

 「さて、問題はあと継ぎですな。あと五文いただければ、占ってしんぜましょう」

 古田はうなずいて財布から一分銀を出した。 

 「これは恐れ入りまする」おそらく、といいながら易者は変わった形のさいころを繰り返し転がした。

「ご心配なさらずとも、近く珠のようなお子様が」

 見かねた三平が横から口を出した。「先生、先生、あんたおあしに会わせて占断に色をつけなさるのは、いけないくせじゃないか」

「良くないのう、三平どの。相手様の秘事を聞くとは」

 易者がすました顔で苦情を言った。


「そんなことより、ぜひお耳に入れたいことがあります」じれたのか、三平は低い声で言った。

「そんなこととは、失敬な」

「なんでござろう。ここでかまわぬか」と親兵衛が言うと、

「ここの方がいい」三平は言った。「この鈍斎もかかわりがありまして」

「そう。そうです。昔、見知った異相の男を、またこの目で見たのです」

 易者はひとり、幾度もうなずいた。

「それが、あまりたちの良くない野郎でして」

「盗賊なのか」

「おそらく」

 

 組から少しまとまった礼金が渡されたのを懐に、昨日は二人で飲み歩いていた。

「一件目の肴がどうも臭くて、こりゃだめだと、二件目に行こうってことになった時です」

「いや、三件目のはず」「どちらでもいい」

「数は厳密でなければならん」

「それで」三平は無視した。

「いつもは行かない川向こうの、もっと先にある飯屋に入ったわけです。割と最近にできた店で酒も水っぽくない。まあ、古田様のような下戸にはどうでもいい話だろうけど」

「なるほど」

「それで、その店で呑んだくれていると、急にこの先生がブツブツ言い出した」

「いや、奥にいた二人連れの片方に、見覚えがあったわけにございます。まさしく異相の男」

「異相とは、どのような」

「うむ。分かりやすく言いますと、ちょうどおつむが」易者は額と後頭部を両手で挟んでみせた。「こちらの方向に長く、そのうえさらに口元が尖りかげん。ちょうど迦楼羅面のような人相をしておりました。かなり前に会ったのかと考えたら、そんなに前ではなかった」

 そこまで説明すると、易者は親兵衛の顔色をうかがうような表情になり、口をつぐんだ。

「言いにくいようなので、わたしが言います。この先生、前に牛太一味とちょっとした関わりがあってね」

「聞いた名だ」親兵衛は言った。「京大坂、尾張から江戸まで盗みを重ねたという一味がいたというが」

「そう、大坂からこのあたりまで回状が来ていましたな。人を傷つけるのを躊躇しないから、一時は世間を騒がせたものです」

 あわてて易者が言った。「わしは、盗みをしたわけでも、人を殺めたわけでもありませぬ。だいたい、なにをしていたとか、盗賊の行状など詳しいところまでは知りません」と慌てて否定する。

「占いで読めるんじゃないのかい」三平が皮肉った。「いずれにしても、サイコロを毎日使っているうちには、どうしても賭場と近しくなりますわな」

 他人事のような三平の意見に、「失敬な」と易者は憤った。


「けれど、あの一味におった木槿の仁平という男は、盗人にしては面白い男でした。仁平とほんのちょっとだけの付き合いがあったため、自然と仲間内で烏と呼ばれている男に会い申した」易者はそう言って、しばらく腕を組んで考えた。

 彼によると、たまたま参拝客で賑わう寺の近くで辻占をしていたところ、繰り返し客としてきていた男が名うての盗賊団で高い地位についた男だったという。

「もちろん、その寺は夜になりゃ賭場になるんだろ」と三平が突っ込むと、易者は「それはわしのせいじゃない」と言い返した。

 

 仁平は、すばらしくたくましい体躯を持ち、気力も十分な人物と見えたが、親しくなるといろいろ細かいことを気に病むたちだとわかった。

 当初は、故郷に置いた親の健康についてのことや好意を持った女性の気持ちなどを、ちまちまと占ってもらい、驚いたり喜んだりしていた。だが次第に易者にうちとけてくると、自分は十人以上の人間が集まって働く職場で二番手の地位にあるが、親しく相談できる相手がいないのだ、と打ち明けてきた。

 そしてある日、お気に入りの部下として「烏」とあだ名される人物を連れてきた。

「確かにあの男だった。口の重い奴だったが、身はめっぽう軽い。そのあとで一、二度酒を飲んだりしましたが、仁平の下におった別の男がぽろっと『烏は昔の伊賀者のようにらくらく塀を乗り越える』いうのを、漏らしました。まあ、しょせんは盗人。自制心の強い男はおりません」


「つまり烏は、忍び込む仕事がうまくて重宝されていたわけか」三平が聞くと、

「いや、漏らした男は、烏を内心は軽んじているような口ぶりであった。どうも、一味の頭がひいき癖のある奴のようで、それほど役に立つ男でも道具並みの扱いしか受けていなかったらしい。仁平の悩んでたのもそこだった。どうにも浮かばれないと言って。そうそう、烏も仁平は慕っておったようでしたぞ」

「盗人の、それも頭目株の悩みまで相談に乗ってやってたってことかい」三平があきれ声で言った。

「こうなったら悪党の悩み聞きますって看板をあげたらどうだ。おれが中身をそのまま古田さまにお知らせするから」

「いやいや、むろん仕事の中身まで教えてくれんよ。ただ、これからどうすればいいか、このあとの進むべき道を占ってくれと頼まれて。むげにはできんだろ、いくら暗い影に囚われてるようなやつでもな」

「で、なんて言ったんだい」

「その頭目とは切れろ、とは言った気がするなあ」


 親兵衛が聞いた。「その烏がこの国にいるとすれば、牛の一味もまだどこかに潜んでいるということかな」

「いや、実はですな」易者が声をひそめた。「この三平にもまだ教えてはおらんのですが、牛はもういないようなのです」

「ふむ」

「それも、命がなくなった。風の噂でつい最近、牛がやられたと聞きました」

「あんた」さすがに三平がしかめっ面をした。「まだあいつらと切れてないのかい」

「いや、たまたま、だ、たまたま。ほんの数日前、さる国からやってきた一行がこの近くに宿を取られた。そして偶然一行の雇われ中間に、知った顔を見つけたわけであるよ」易者は汗をふいてみせた。

「昔はそいつも、かすかに盗人とつながりのあった奴でした。もうすっかり堅気になったが、護身のために細い糸をまだ残している。そこから伝わった噂にございます」

「それは心強い」親兵衛がにっこりした。


「その知り合いによると、牛の一味が仲間割れしたとの噂を聞き、驚いて探りを入れたところ、ここにくる前の宿泊地の賭場で会った古馴染みから『仲間割れは少し前の話で、どうも最近誰かに殺されたらしい』と聞いた。それも、やられた場所は、この国のどこかだというんです」

 易者は自分の手前の地面を指差した。「だからわたくしに、なにか知っているかと尋ねたのです。それから考えると、仁平と一緒なのかはわからないが、烏は親玉が殺された後もこの国に残っている。もしかすると、悪事を企んでるかも知れない」

「ふむ」

「ただし、牛太についてですが、相当に悪賢いというかしぶとい奴だったと聞きます。そんな男が、わざわざこの地までやってきてあっさり殺されたとは、にわかに信じがたい。しかし、その古い知り合いも、嘘はつかない男なのです。結論として、これら一連の話の裏には、ある特異な存在が潜んでいると感じております」

「特異、ですか」

「はい。正体はわかりませんが、牛太以上に人を集める人物。将星ですな。それに牛太の命脈は絶たれたと占いに出ている」

「こいつの見立てなど、そっくり信用しちゃいけません。大体、こんなところまで足をお運びいただいたのも、この男がお役所に近づきたくないとぬかすからです」

 三平が口を挟むと、

「そういえば、与力様なのにお供などおられぬようですな」易者は急に不安げな顔をした。

「用があって先に帰らせただけです。別に貴殿を捕縛しようと身を潜めているわけでも、役宅に知らせに走ったわけでもござらん。それより」親兵衛は単刀直入に聞いた。「その二人連れはいずこに」

「もちろん、出て行くのを追いかけましたぞ。二人で」

「けど、向こうもさるものでな。お城の近くまで連れ回され、結局まかれました。いやますます怪しい」 

「古田様。わたしにお任せを。ゆるゆると探してみましょう」三平が言った。

「ふうむ」親兵衛は腕を組んだ。「ありがたい申し出だが、決して無理をしてはならん。そやつらは、ただの物盗りとは違う、かなり凶暴な奴らに思える」

「へへへ」と三平がなにも言わず笑った。

「冗談ではないぞ。危なく感じたら、すぐ我々を呼ぶのだ」

「そうですな」三平は思うところがあるようだった。「気をつけます」そう彼は言って、にやりとした。

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