第26話  標的を調べる

 二十六 調査


 わずかな間に吉左は、すっかり柏屋について詳しくなった。

 むろん、いつもの盗みだって入念に準備をする。ただそれは、できるかぎり手早く、仲間に危険のおよばないよう仕事をすませるための準備である。柏屋に対して行っている、三代にわたっての情報整理とはまた趣が異なる。

 (これじゃ、番頭だって勤まるんじゃないかな)なんて冗談だって出る。


 柏屋の先祖は宮津あたりから移住してきたとされる。柏屋の屋号を付けた理由は不明だが、初代が荒れ地の開墾で財をなし、それをもって金融にも手を広げた。さらに二代目に当る今の隠居が回船業、林業酒造業などをつぎつぎ成功させた。

 藩に食い込んだのは、飢饉が続き財政難に苦しんでいた領主に対し、初代が積極的な融資を行い、名字帯刀を許されたのにはじまる。 

 だが、義侠心が厚く貧窮農民への援助を惜しまなかった初代に比べ、二代目は人徳についてはさっぱりと言っていいほど評価されていなかった。

 歴代執政と組み、一時は国の金庫番として藩政を左右するまでになったわりに、利に敏く情に薄いと武士からも同業者からも褒められることの少ないのが、二代目の人柄であるようだ。

 

 いまは息子に大半の事業を譲ったが、自身が立ち上げた酒に関わる商いといくつかの手配仕事だけは手元に残している。しかし調べるうちに、吉左が妙に引っかかりを感じたのがこの部分だった。監視の報告によると、隠居にしてはあまりにも来客が多すぎる。

 隠居は現在もなお、隠居所にある酒蔵で「利き酒会」というのを主宰している。かつては藩の主立った重職や大商人がこぞって参加するはなばなしい催しだったと聞くが、いまでは主人も地元からの客もすっかり古ぼけて、酒の味を見抜くよりも病気や足腰の不自由さを誇るのに力の入った年寄りくさい集まりと化している。

 ただ不思議なことに、客に他国ものと思われる武家風の人物が複数混じっていることがある。そのうえ、監視からは「侍の半分は髪が黒々として、年寄りには見えなかった」との報告があった。位の高い年寄りが連れてきた従者であろうか。

 

 一方の三代目はそんな面倒な集まりには登場しない。人柄についての評価と同様、極めて篤実な商売を続け、息子の代になって取引先からの評判はかえって上がっているぐらいであった。逆に言えば息子の商いには親父ほどの凄みはないわけだが、その事蹟を調べていると再び疑問が頭に浮かんだ。

 すなわち「ほとんど同じ商売をしながら、なぜ親父だけはあれほど長く大物たちを操れたのか」だ。「にんが違う、ってやつかい。まさかね」そんな話、小指の先ほども信じられない。

 その答えが、「大物だったわりに人格への悪評が多すぎる」点だろう。

 柏屋の先代が、いまも離さない細かなもろもろの商い、そしていくつもの挿話や噂を寄り合わせ、吉左自身の見聞を加味して考えると、

(あの親父、十中八九裏の商売をやってやがった。おそらく金貸しと人や物のあっせん)との結論に達した。


 ずいぶん以前のことだ。同業にも武士にも、ひどく恐れられていた商人の屋敷に入り込み、一束の書類を見つけたことがあった。そいつが小判よりも必死に隠そうとした手文庫には、正規の商いとは思えぬ怪しい証文が束ねてあった。ろうそくの灯りでさっと読むだけですぐ、不正利得の証拠であるのは理解できた。しかし、商人自身がかなりの年寄りだったし、証文の相手の多くはさらに歳が上であり、調べるまでもなくほとんどが亡くなっていた。つまりすでに価値のなくなった古証文を大事に蓄えていたわけだった。

 若かった吉左は、年寄りの妄念だと商人の反応を馬鹿にし、金はとらずに反古紙のような束だけを、見せつけるように処分して立ち去った。すると極め付きの厚顔と思っていた老商人は、ろうそくが燃え尽きるように間もなく死んでしまった。

 おそらく、あいつと同じだ。

 

 確たる根拠はなかった。しかし、お上に訴え出るわけではない。事実ならいい。

(じじいの生きる力のみなもとは、おそらくは表にだせない後ろ暗い手配の証拠。じじいは長年、商いの許認可にかかわった役人から大商人、あるいは重職たちに便宜をはかっていた。そして利き酒と称しての会合が、打ち合わせか再確認なんだろう)と考えた。そして、

(国元の馴染み客は、もうほとんどが昔の威勢を失った。だが他の国の侍のうちには、まだ権力の座にぶらさがっているのが幾人かは残っているんだろうな)

 これはあくまで想像に過ぎない。だがとにかく好色な隠居の気力を奪うものがあれば、それを奪うだけで目的は達成できる。

 

 そこで問題は、どこに隠してあるかだ。あれほどの身代だと、うなるほどの金を一カ所に大事に溜め込んでいる、とは考えにくい。しかし裏証文となるとまた別だ。

 「すぐ近くか、あるいは親の墓にでも隠してるとかな」

 当初、吉左は一人で忍び込むことを考えていた。いまもその考えを捨てきれない。目的からすると、金は運べなくとも証文や手形など、隠居の命より大切な紙切れにたどり着ければそれで良い。しかし、素早く確実を期すなら仲間ほど頼りになるのはいない。

「柏屋か」吉左は我知らず繰り返しつぶやいた。


「紀六どんがあんまりいうから覚えちまいましたよ」茶を持ってきた半次が笑った。彼は二人きりのとき、思い出したように吉左を昔むかしの名で呼ぶことがあった。

 彼らのいるのは、もう一つの根城である古着屋の奥にこしらえた小さな部屋である。ここにはかたぎの奉公人は入らない。


「それほどなんべんも言っているか。しまったな、盗人の風上にも置けねえ」

「ええ、このところ、お一人のときは。だからあっしも勝手ながら」と笑った。「調べさせてもらいました。落ち目とされながらも、いっときはあれほど世間に知られた商家だ。いろんなのがありました。ただほろりとする話は先々代。わたしらが聞いて面白い話はたいていは先代の甚左衛門に限られる。当代は同業や客の評判は良くとも、地味ですな」

「面白い話?」

「ええ。火事の噂を聞いた足で山に入り、木を買い占めたとか格好いいのもありました。ですが多くは陰口ですな。役人が先代にだけぺこぺこしたとか、寺に寄進したら必ず次の修繕は柏屋が仕切ったとか。あと、表に出せない金を貸すって噂はずっとあって、それを信じて内々に借りにきた中老には足元をみて辛く当ったというのもね」

「へえ」

「良い悪いはともかくやり手で、それこそ何でもやるごうつく張り商人ですな。そんな親父の跡を継いで尻拭いした息子は、堅い一方だっていうでしょう。隠居が落ち目になったのをなかなか認めなかったせいで、手当が遅れたと怒っているのはうそじゃないそうです。何かと意見が違いすぎて、このごろはお互い全くそっぽを向いてるようで」

「半さんの調べは、いつもながら凄みがあるねえ」

 自分の推察を裏書きしてくれる情報に、思わず吉左は上機嫌になった。

「いえ、たねを明かすと、おやじの方について隠居所に移った奉公人に、たまさか知り合いまして。そういやお頭が口になすってたなと」

「ふむ。たまには独り言も言うもんだ」

「その隠居所というのが、まだ商売をやってるんです」

「ああ、らしいな」

 隠居所の敷地内にある酒造所は、昨年になって樽の数を増やしたぐらいだという。


「酒は、一人立ちしてはじめて成功させた商いらしく、えらく執着していて、これだけは息子に譲るのを拒んでいるそうです。けど、しがみつくほど儲けがあるのかってのは、首を傾げるところでして。それで」半次の声が大きくなった。「むやみと立派なんですよ、酒屋つきの隠居所。本宅よりよっぽど大きい」

「おれも一度見に行くことを考えていた。そんなに大きいのか」

「はい。もともとは前の殿様だか家老だかが、ご上覧になりたいというので準備したのだそうです。それを隠居所にしていて、庭も池もある豪勢なもんだそうです。まるでどこかの側用人屋敷だと。あと、かなりの番人を抱えてる。駄賃だって馬鹿にならない」

(やはりそうか。証文はまず隠居所に置いてあるんだ)

 吉左が考えを巡らせていると、見透かしたように、

「お頭、まさかお一人で柏屋に入るつもりじゃないでしょうね」ずばりと半次は指摘した。「駆け出し時分、あんたともぐりこんだ因業じじいの屋敷。覚えてますよ」

 同じことを思い出してやがる、と吉左は苦笑した。


「とぼしい火に浮かんだ悪事の大福帳みたいな古証文のたば。鼻紙にもしたくない汗じみた汚い証文ばっかりで、おまけにおどす相手はみんな死んでいた。なのにじじいは紙を捨てられただけでぽっくり逝っちゃった。あれと同じと、読んでるんじゃありませんか」

 吉左は腕を組んで天を仰いだ。

「さすが半さん。まだまだ思いつきに過ぎねえし、手下を動かすには金とは無縁だし。いつも偉そうに説教を垂れてるおれが、明らかに下手な仕事にみんなを頼っていいのか、迷ってる」

「水臭い」半次は嬉しさを堪えるように言った。

「古証文だろうが隠し金だろうが、どっちでもいい。ひらたく言えば、長い間役人と楽しんできやがった商人にほえ面をかかせるんでしょ。みな大喜びしますよ」

 半次は、侍と商人が馴れ合い根腐れを起こしていたような国に生まれ辛酸をなめた。そのせいで、この手の話題には吉左以上に執着する。

「それに、あんまりこの国で派手な商売をしたくない、って気持ちもある。おれ自身のな」ふたたび吉左は自らの思いを伝えた。「世間を大騒ぎさせる仕事は、そろそろこの国じゃやめにしてしまいたい。そんでこの仕事は、もしかするとつまらぬ騒ぎを招くかもしれん。だいいち金にならん」

「そう、ここでまだしばらく住むつもりなら、あまり勧められた話じゃあない。だが」

 半次は顔を近づけた。

「お頭に、やっつけてやりたい気持ちがおありなら、ぜんぜん別だ」

 いつも冷静な半次がほおを紅潮させている。吉左はしばらく瞑目したのち、つぶやくようにいった。

「わかった。せんじつめると、その隠居ってのが気に入らねえ。ひとつ急いでいまから頼むのを調べさせてくれないか。ちょいと押し込みをかけたいんだ。だめなら別の手を考える」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る