第25話 心を決めるとき
二十五 決心
川面から吹く風がそろそろ冷たく感じる。
行き交う舟を操る船頭も、厚ぼったい姿になっている。古着屋に命じて、舟の番を任せているやつらにも風防ぎになるものを届けてやらなければならないな。そう吉左は考えていた。
時刻はまだ五ツ(午前八時)を過ぎて間がない。
「朝ご飯は、食べた?」
かよが持っていた袋から餅を出して彼に渡した。
「昨日の残りだけど」
「ありがたくいただくよ」
まだほんのりと温かかった。くる前に焼いたようだった。
二人はしばらくだまって餅を口にした。
「弟さんは、その後どうだい」
「ううん、一度吹っ切れたみたいだったけど、やっぱりおおよその日にちが分かると、またおかしくなってきた。おんなは他にもいると思うんだけどさ」
想い想われていたはずの女が、目の前で金に転ぶ。そんな経験は、吉左にはなかった。だからといって、その場合に彼の手下たちがやりそうな、乱暴な結末のつけ方を勧める気にはなれない。
姉であるかよを通して、生真面目で要領のよくない彼女の弟に、すっかり同情している自分に吉左は気が付いていた。
「前にも言ったかな」かよは言った。「あいつ芝居が大好きなの。中にはひどい筋のがあるじゃない、それでもよろこんで観てる」
「ああ、それだけが楽しみなんだよな」
「そう。でもさすがに、このごろは観に行けないって。何を観ても思い出してしまうからって。ほら、好いた好かれたとか裏切ったとか、そんな話多いでしょ。いくじがないわよねえ」
「芝居とかの好きなやつは、優しくて考えすぎるところがあるからよ。古い仲間がそうだった。まさか、悩みすぎて首をくくったりとかはしないよな」
「まさか。嫌なこといわないでよ」
「すまん」
「で、いつごろなんだ、その、妾入りは」
「詳しいことは知らないけど。相手の娘は、暮れまでには入りそうだね。じじいの隠居所に」
「そうか」
そんなに時間があるわけじゃないな、と吉左は思った。
「お袋さん、なにか言ってるのか」
「いいや、ぜんぜん知らん顔よ。ほんとは気になってしょうがないのだろうけど。心配なんてかけたことない子だったからさ」
「世の中は、面白くないな」
「そうね。良くある話だろうけど」
かよは石垣に座っていた足をくずして、空を見上げた。空では日が急に陰り、また光が差した。
「いい薬よ。奇跡はないわよね」
「そうだな」
「そうよ」
「別の妾がくるとか、肝心のご隠居が死ぬこともあるな」
「人の不幸を願っちゃいけないよ」
吉左は、しばらく餅をかんでから、言った。
「そうかい。俺は人の不幸を願ってばっかりだよ」
吉左は真面目な顔をしたが、かよは笑った。そのうち、吉左も笑い出した。
吉左が人の少ない道を選んで古着屋の方へと歩いていると、遠くから笠をかぶった男が彼を認め、近寄ってきた。自然と吉左は身構えたが、ふっと気を緩めた。骨ばって目の小さな相手は、彼に嬉しそうな顔をしてみせた。弥十だった。
「おう」
「こっちにいらっしゃると思ってましたよ」
「なんだい、いい話か」
寂れたお堂の横に足を止め、近くに誰もいないのを確かめてから、彼は言った。
「昨日、会ってきました。烏が喜んでやるそうです。すぐ船町の店にも、隠居所にも忍びこんでくれるはずで」
「そうか」
牛太一味から寝返った烏は、このところ弥十や一味の暗殺担当である長らと仲良くなっていた。彼は素っ破上がりのように身が軽い。いま大坂に行かせてある一味の監視役、猿よりもむしろ忍び込みでは上手なぐらいであった。
「あいつ、前に隠居所に忍び込んだことがあるそうです。どんな所かな、と思っただけだとか。ああいうところに入るのが好きで堪らないようで」
「だんだん、話が大きくなっちまったな」
柏屋の件で考えあぐね、半次とはまた違った面で頼りになる弥十になにげなく尋ねたところ、あれよあれよと下準備を進めてくれてしまったのだった。
「その時はちょっとのぞいて見ただけだそうですけど、今度はどこに金があるかまで、調べてくれるでしょう」
「ああ、だけど大げさにするつもりはない。ちと、ほえ面をかかせたいだけだ」
「そうでしょうとも」
「それも、なるだけ早く」
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