第23話 ふたり かよと吉左
二十三 共感
荷下ろし作業がにぎわうあたりからぶらぶら歩くと、港の整備によって地勢が変わり、現在では使われなくなった御猟場がある。
川幅は広く、場所によってはまるで海のように見えた。吉左はこの眺めが好きで、一人よくたたずんでその流れを見た。かつては賑やかに響いた鳥の声もなく、見知らぬ世界に紛れ込んだ気がした。
そばに昔の国主が詣でたという古い神社がある。このごろ吉左はそこでかよと会っていた。
別に手を握るわけでも、その先に進む気配もない。なにより会うのはもっぱら朝かまっ昼間の、互いの手の空く時間だった。
やせて、背ばかり高く色気もない女と過ごすその姿には、あいびきという艶めいた気配はなかった。半次ですら、
(おえんが言ってたみたいに、生き別れの妹とかじゃないのか…)と怪しむほどだった。
にもかかわらず吉左とかよは、傷を負った者同士が互いの具合を確かめ合うように、ひそひそと会い続けた。
話はごくたわいのないことが多かった。そのうち、かよはぽつりぽつりと過去を話すようになった。
彼女は北陸の生まれで、家は「まあまあ」の料理屋を営んでいたという。
目新しい趣向が受け、店は一時繁盛したものの、調子に乗った父親が手を広げようとして結局は潰れた。そしてついには行方知れずとなってしまった。
後には母親と三人の子供が残された。かよは十二だった。
すでに大人になっていた兄は、店を立て直すより、つぶれる原因を作った連中に復讐すると言い放ち、次第に胡散臭い連中とつきあい始めた。彼を危険と見切った母は、小金をせびり続ける兄から逃げるように、かよとまだ小さい弟を連れて各地を転々としたあと、国柄がおだやかだと聞いたこの国へとやってきたのだった。
はじめは食べるだけで苦労した。母親は、巨軀を頼りにもっこを担ぐ仕事さえした。そのうち、子供たちが役に立つようになって始めた餅菓子の屋台が思いがけず当たった。働けば働くほど日銭が入った。数年でちょっとした金を貯め、田舎に引っ込もうとしていた茶店の主人から居抜きで店をゆずり受け、ようやく落ち着くことができた。
いまの暮らしの何がありがたいかと言えば、荷を担ぎ廻らないで済むことより、見知らぬ客に愛想を言う必要がないことだと、かよは話す。
「屋台みたいに知らない人に声を張り上げなくてもいいし、気が楽よ」
「違いない。逆にあんたに愛嬌があったら、こっちは馴染まなかったよ」
吉左が過去を語ることに慎重なのを見抜いてか、かよはしつこく聞くことはなかったが、それでも気にはなるようだった。
「あんたこそ、頭が高くて宿屋には見えないよ」
「なんに見える」
「わからない…」かよは首をふった。「お店者には見えないね」
「柄が悪いということかい」図星をつかれ、戸惑った声で尋ねた吉左を、かよは正面から見据えて言った。
「違う。なにか、考える人だ。いつもなにか考えている。雲を見てても、川を見てても」
吉左はわけもなく、胸が迫るのを感じた。
今日、二人が顔を合わせてからしばらくして、
「ほいよ」吉左がかよに包みを渡した。
「なにこれ」
「手ぬぐいだ。客がくれた」絞り染めの手ぬぐいだった。
「女物かどうか知らんけど、丈夫だってよ」
かよはだまってそれを両手で胸に抱え、吉左を見た。そして、
「ありがと」とだけ言った。
少しの間二人は、お互いだまっていた。ぽつりと吉左が、
「女のきょうだいがいないので、喜ぶものが、よくわからない」と言った。
「ふーん。男はいるの」
「みんな死んだよ」吉左はあっさり返事した。
「そう。あたしの弟は、女みたいによく気のつく奴だよ」と、かよは言った。
この前の朝、店に来ていた若者は、大きくなった弟なのだという。屋台で餅を売り歩いているころ、口入れ屋がとある履物屋に奉公口を見つけてくれた。生真面目な男で、いまでは手代まで勤めるようになっていた。
「優しそうでいい弟さんじゃないか」吉左が褒めると、
「その代わりいくじがなくてね」即座にかよは切り返した。先日の来訪は、「泣き言をいいにきたんだ」と言う。思いを寄せている職人の娘に、妾奉公の話が来ているそうだった。
「たまたま手伝いに行ったら、気に入られたようでさ」
「金にでも困ってるのかい。断れないのか」
「金の方は、まあいずこも同じってところだけど」
いやがってくれると思った本人が、案外乗り気なのだという。
その理由が、相手だった。遠回しに「どうか」と聞かれた行き先は、柏屋という屋号で知られる商家であった。それも当主の甚左衛門でなく、隠居した先代というのだ。
柏屋は金融、回船業や酒造などを手広く扱う国一番の商人だった。だったというのは、いまではやや落ち目と見なされているからだ。
豪腕の商人として知られた先代は、二昔前には当時の執政家老と組み、藩の財政をほぼ左右していた。その後、財政の健全化を図る勢力によって家老が政権から外され、柏屋は藩の金庫役としての立場を取り上げられた。同じころ、本業の方も新興勢力の台頭を許し、いまでは商いにおいては過去の存在となりつつある。それでも長く国の財政を預かった柏屋の屋号に対する庶民の信頼は、まだまだ厚かった。
「あのこ、そんな深刻に考えるこっちゃないのにさ。万事くよくよしてて思い詰めるとどうにもならないたちなのよ。相手も自分を好いてくれていて、そのまま続くと思い込んでたらしいけど、耳元で金の音をさせられちゃ仕方ないわよねえ」
「弟さんは、何をして欲しいって、言ってるんだい」
「ただ、話を聞いてもらいたいだけみたい。他に仲の良い人もいないようだから。気の優しい堅物って、こういうとき弱いのよね」
「そうか、柏屋か」吉左は流れる川に目をやった。
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