第22話 裏切りには、死を

 二十二 裏切


 吉左は眼下に黒い瓦の海が広がるのを眺めていた。

(おれは、高い所が好きだな。まさしく何とかと煙だ)

 彼は町外れの古い鐘楼に上っていた。昼間はいたずら小僧が肝試しをしているが、夜にこっそり登るのは、彼ぐらいだった。

 はじめての町や、しばらく訪れていなかった町に着けば、彼はいつも高台に登った。全体の地勢を把握するのと、その土地に固有のにおいを感じるためだ。それに、じっと見ていると、どこからか沈んだ光のようなものが、立ち上ってくるのを感じる。その光は彼に、そこに住む人々に生気があるかどうかを教えてくれた。ここは、悪くない。

 吉左は鐘楼からおおよその道の流れを見て取ってから、またするすると降りた。


「お疲れさまでございます」

 下でほっそりした男が待っていた。

「どうぞ」と寒さよけのかいまきを渡そうとする。

「いや、いい。寒くはねえ」吉左が断ると、

「そうでございますか」としずしずそれを手でたたんだ。

 次馬という呼び名の男である。馬面というより面長の顔をして、荷馬のように逞しくもなく、女よりも優しい喋り方をする。ただ、かいまきを持った手の指が力強そうに見えた。

 二人夜の道を連なって歩いた。

「どうも小さな国に居座ってると、ここいらの道が大きく感じるな」

「あい」と馬は答えた。

「そういや、お前も、あんまをやるんだってな」吉左が聞いてみるとまた、

「あい」とだけ答えた。


「おえんさんも苦労したろうが、たいしたものじゃねえか」半次が褒めた。

「いまや押しも押されぬ、女あるじだな」

 そう言って部屋の中を見回す。いま彼がいる奥の部屋からは、入り口に近い部屋に三人ほどの女がゆったり座っているのがうかがえる。さほどの寒さでもないのに部屋の中には火鉢が並び、うっすら汗ばむほどだった。女たちはいずれも胸に堅くさらしをまいたうえから半纏を羽織り、中にはもろ肌を見せている女もいた。ただし、どの女も肩幅が広く肉が盛り上がり、二の腕も並の男以上に逞しい。

 

 おえんと呼ばれた女は、片方の眉を上げて半次を見た。

 彼女も逞しく、襟の黒い半纏を羽織っているのでよけい大きな身体に見える。はっきりした目鼻立ちに顎が張って首が太く、薄暗い場所では男にしか見えないだろう。

「つまらないことを言わないでくれ。忘れたのかい」彼女は不機嫌そうに言った。

「あんたらが、そう、あんただよ一番悪いのは」と、半次をねめつける。

「考えずに始末しちまうものだから、残されたあたしがどれほどに苦労したことか」

「そうだったかな」半次はそらとぼけた。

「気が合うはずないのを、知ってて会わせたのはこちらの間違いだったけど。とりあえずは雇い主だよ、あたしの。もうちょっと気を遣うだろうと、思ったのさ」彼女は首を振った。

「説教されたから、ぶすっといっちまうなんて、子供じゃあるまいし。あんたら、盗人でなく殺し屋だよ」

「へへ、そう怒るなよ。昔のことだ」少しも悪く思っていなさそうに半次は笑った。

 一味のまとめ役として、常に言葉や表情を抑える彼には珍しく、今日はいたって気楽な調子だった。

 

 店は煙一味の、中部方面における真の根城であった。

 彼らがこの地まで足を伸ばす際は、身内だけの場合と信頼の置けるこの国の同業と組む場合とがある。後者は短期間の作戦が多い。そして組んだ相手には決してこの店について教えない。またえんの店でも、彼らの正体を知るのは次馬だけであった。

 半次は、「お頭、遅いな」と話をそらそうとした。

「ああ、馬がお連れしてるだけだから、じきだよ」

 馬は、彼女の弟であった。なにを考えているか判りにくく、案外腹が据わっているという見方と馬鹿との両方の意見があった。


 おえんとは盗賊として駆け出しのころからの付き合いである。

 いま彼女は、この町であんまを束ねる店を営んでいた。

 「だてら屋」といえば、独りでほそぼそ仕事を探すのが通例のあんまたちをまとめて差配し、さらにほとんどが女というので、近隣の商店主らにはよく知られた存在となっていた。

 それぞれに技術も仕込み、しかも春をひさがせない。もっとも店にいるのは例外なく身体の大きな醜女ばかりだから、わざわざ手をだそうとする客は限られていた。とはいえ一応は女なので、男より肌がきめ細かく気配りもある。

 そのため、おかしな噂を病的に恐れる老舗商家の主人などが上客についている。女を店に呼んでも女房に怒られないというわけだ。今では夫婦一緒におえん配下のあんまを呼ぶ客も少なくない。


「まあ、これだけお頭の好みにあった店を繁盛させるなんて、あんたすごいぜ」半次は家の中をぐるっと見回す振りをした。「本当にお頭は、夜の商売が嫌いだからな。その、まっとうなのが」

「違うよ、いい加減にしな。あたしはなにも、あのひねた綺麗好きの旦那のためにこんな商売してるんじゃないんだよ。仕方なしだよ、仕方なし」。

 声が届いたのか、向こうの部屋から女あんまがこちらを見ていた。おえんは仕方なく声を落とし、「そこらが未だに分かっちゃいないのが、腹が立つ」と言った。

 

 もともとのえんは、指圧やちょっとした骨接ぎまでを身につけた名物女郎として、吉左らの必要とする情報を集めながら、気ままに暮らしていた。当時はいまよりふたまわりは細く、なじみの上客もおおぜいついていた。

 とはいえ女だけでは要らぬ苦労も多い。そこで前の郭をひいたあとは、同じく大女の妹分と、とりあえずは比丘尼や男装の女など変わり種ばかり集めた娼館を営んでいた博多丸という元締めの、いわば食客となっていた。

 失敗は、裏側の世界の口入れ屋でもあった博多丸にしつこくせがまれ、売り出し中だった煙一味との間を取り持ったことだった。初めての顔合わせで、半次があっさり彼を殺してしまった。いつも冷静な彼の思い切った行動に、それならば、と他の煙の面々も調子を合わせ、慌てる博多丸の子分たちをきれいに始末してしまった。相手が彼らを手下にしようと、つまらない脅しをかけてきた、というのが理由だった。

 

 ただ、始末の手際は良くても、煙の一味は誰もその後の女郎屋の行く末など考えはしなかった。彼らは颯爽と吹く風ではあっても、土をこねて器をつくるのは、別の者の仕事だと思い込んでいた。破格の詫び金を渡してすっかりすんだ気に煙たちはなっているが、

「生きてゆくってのは、そんなんじゃないんだ」と、えんは吠える。

 仕方なく、えんは店の女たちそれぞれの身の振り方の面倒を見、自分は妹分と他の店に引き取り手のなかった醜女たちを集め、店を立ち上げた。身体を売らせないのも、客および関係者を堅気に限るためだった。表裏両方の世界に関わるなどもうこりごりだった。


「ああ、馬鹿馬鹿しい。あんたらは、あたしに苦労をかけ過ぎだよ。女房でもこんなことしてやらないよ」

「そうだな」半次はまだにやにやしている。

「いま、あんたらがこっちで組んでる木曽常って男も、あたしは信を置いちゃいない」

 ついでのように、えんは言った。木曽常というのは、煙一味の渉外担当である弥十の昔なじみだった。一味との付き合いに限っても、四年近くになる。

 前は小さな材木の取次屋だったのが、なぜか数年前から女物のかんざしなどの飾りを店に並べ出し、それなりに繁盛している。高級品ではなく祭礼ごとに寺社の前にならぶ屋台より少し上等、といった程度だった。そのためにかえって、客層は多彩であった。


 今回の計画でも木曽常は、舟の手配と盗んだ金の輸送の一部を受け持っている。

 まとまった金を盗み、直後にまとめて運べば人目を引く危険性が増える。煙一味は、金をいったんどこかに分散保管し、その後時間をかけて移動させることを常とした。小さいが金銀の詰まった袋がさまざまに偽装をほどこされたうえ、おびただしい数の馬の背に分散され、揺られつつ関所をこえるという図は、彼らの最も好む馬鹿馬鹿しいやり方であった。

 ただし輸送に回数と時間をかけると、当然ながら露見の可能性が高まる。その危険を最小限に抑えるため、複雑かつ同時平行で移動する道筋を考えるのは、もっぱら吉左と佐吉の仕事であった。吉左は、「おれたちふたりは名が反対だ。つまりふたりそろって考えるさだめに、なってるんだ」と、よくわからない冗談を言っては、よく頭を寄せ合っている。

 大変だなと思いつつ、半次はその姿を見るのが嫌いではなかった。

 だが、えんは違った。

「それだけでも、あんたらが趣味を仕事にしてるのがわかる」と、断じる。


「安心しな」半次はえんに笑いかけた。「もちろんお頭ほどの人が、まるまる木曽常を信じ込んだりはしない。布施屋をやるのに便利だと思ってなさるだけだよ。でも、なあ」

 いったい何があった、と半次は急に真剣な口調でえんに尋ねた。

「あんたの勘は天下一品だと、おかしらも認めてなさる。教えてくれよ」

「仕方ないね」えんは鼻をならした。「教えてやるよ。うちの娘たちが、木曽常が女を変えたと言っている」

「ふむ」ここで一言でも馬鹿にすると激怒されるのは半次もわかっていた。「それで、それで」

「あの娘らは、木曽常の裏は知らない。ただ、なんといっても若い女たちだからさ、常の店にはこまめに出かけている。それでだよ、品揃えと店で見かけるあいつの態度がここんところちょいとばかり変わった。それで違う女と付き合いはじめたんだろうな、というわけ」

「ほんと、あのお姉さんらも勘の鋭い若い女だもんな」

「混ぜっ返すな。あんたらの褒めるあたしの勘だって、くさいと感じてるのさ」

 

 半次は、急に深刻な表情になった。額に拳をつけ、こつこつと叩きはじめた。

「思い当たること、あるんだね」えんが聞いた。

「こんどのは、知っての通り布施屋を狙っている」 

 布施屋というのは、札差しなどいくつか米と金に関わる商売を束ねた店で、規模としては決して大きくはなかった。奉公人の数も少ない。ただ、やり口の汚さがその筋では知られていて、実はそうとうに内福との噂があった。それで一年ほど前から調べていて、噂は両方真実であることが確認できていた。


「調べるほど、気に入らない奴だ。そんでな、もうじきちょっとまとまった金を動かして、他の店に抜け駆けしようと狙ってるのが判った。それでだ」

「まあ、あのぐらいの店が、一番金をそばに置いてるもんだわね」

「ああ。屋敷ん中の蔵に運び込んだのは確かめてある。で、常にも探りを入れさせた。弥十のやつがだよ。そうしたら、急につぐみ松って奴を勧めてきやがった」

「なんだい、つぐみって」

「声色を使ったりして、夜でも相手に扉をあけさせる特技があるそうだ」

 えんは露骨に馬鹿にしたような顔をした。

「わかってる」半次は手で制した。

「お頭も俺たちも、面白いけどまた次な、と言った。優しく言い過ぎたのかも知らねえ。そしたら」 今度は、舟文という店の舟を使って金を運べば良いと言ってきたと、半次は言った。

「そんなにしつこく言って寄越したのは、はじめてだった。弥十のやつもすっかり困ってたよ」

「それは、いかにも怪しいね」

「ああ。ただ、どうせ俺たちだって、まず舟を使っていったん金を落ち着かせてから、順繰りにばらして行くつもりだった。お頭はしばらく考えて、使え、とおっしゃった。もちろん舟文には調べを入れさせてある」

「ん」えんが小首を傾げた。「舟分、思い出した。つまんない店だよ。御蔵舟どころか屋形船しかないじゃない」

「そそ。布施屋から舟に乗り込む場所まで、ちょっとばかりあるし。今度は磯もこないし他も借りねえ。本当の身内だけだ。担いで運べる量は知れている」

「なんか、止めた方がいいように思えてきた。でもさ、やるんだろう。あんたらのことだ」

 半次は、声を出さずに笑った。

「そうだ。まず布施屋が気に入らない。それに何か起こるなら、このぐらいの大きさの商いの方がいい。もっと人をたくさん集めたんじゃ小回りが利かねえ。ちょうど膿を出す機会なのかも知れないって、お頭は言う」

「どうせ、常には人を付けてあるんだろ」

「ああ、いまの所怪しい話は見つかってない。だが、判らん。あいつだって裏をかくだけの知恵も手づるもあるだろうしな」

「しかし、なんであんたたちは、そう危ない橋を渡りたがるのかねえ」

「まあ、こっちもろくでもない連中だからな」

 言っても聞かないだろうしな、子供の群れだからな。えんはぽつりと言った。

 ふたりはしばらく黙り込んだ。


「そういや」えんは急に声を潜めるように聞いた。

「お頭のいろって、どんなんだい」

 唐突な展開に、半次が嫌そうな顔をした。

「もう、知ってやがるのか。右の奴だな。鳥の羽みたいに口が軽い」

「当たり前だよ。こんなに気になること、他にないよ。せっかく役に立つ話を教えたんだし、お返しをくれなよ。美人かい」

「いや、顔はそう酷くはないが見事に色気がねえ。丈が高くて色も黒くて、言っちゃなんだが、ごぼうみたいな女だな」

「そういった好みだったかな…。どこぞの具合が良いとかかい。なんか嫌だね、お頭がそんなのと遊んでるなんて。嫌だ嫌だ、どうしても嫌だ」

「違う違う」半次は顔の前で手をひらひらさせてから、「とは思うけどな」と言った。「それに色ですらない。正直なところ、茶飲み相手だ」

「茶飲み相手。そんな歳かね」

「いや、その娘となら色や銭金に関係なくて気散じになるんだ。欲の薄い、いい娘なのは本当だ。お疲れなんだよ、お頭も。この頃。ときどき見てて辛いよ。役に立ちたいんだがな」

 

 えんは、目を伏せた半次を見て、ふっと笑い、

「あんたほど役に立ってる男はいないよ」と言った。そしてまた聞いた。

「それじゃその女はさ、死んだお袋さんに似てるとか。あんまが上手いとか」

「さあ、それはどうかねえ。言葉もせかせかして、男みたいだ。そういえば、あんたの筋に近いかもしれない。その娘は細い子だけど、そこのお袋ときたら、おえんさんよりまだ大きいぐらいだぜ。ちょっといないよ、あんなすごいの」

「そうだったのかい。今の今まで、あたしもありだってことに、気づかなかったよ。焼きもちを焼こうかな、そのごぼうのお姐ちゃんに」

「それも、少し違うのじゃねえかな」


 ほとんど音もなく、吉左が店に入ってきた。あとを次馬が追いかけてきた。必要な時の吉左の素早さに、ちょっと慌てた顔をしていた。

「ああ、お帰りなさい」

 ふたりに、ちらっと笑みを浮かべ、

「うむ。ここいらはやっぱりいいな。広々としている」と言った。

「そうだろう」言わんばかりではないかという調子で、えんが答えた。

「前々から言ってるように、そろそろこっちに移って来なよ。いいよ。金を持ってるのは多いし、役人は間抜けだし」

「さっきとは、ちょっと言いぐさが違うな」と半次が言うと、えんは大きな手で彼の頭をはたいた。

「うるせえ」

 ふたりの掛け合いを見て、楽しそうに吉左は言った。

「半さんも、あんたがいれば、難しい顔をしなくてすむな」

「あいつらはもう店に戻ってるとは思いますが」照れたように半次が言った。

「よし、行こう」

 

 二人は、あたりに人の目がないのを確かめてから、斜め向かいの茶碗屋に向かった。

 勝手口は空いていた。

 奥には、この土地に来た残りの一味が全員揃っていた。

 二人を見ると、一気に明るい表情になった。

 吉左は言った。

「木曽常には三、四日あとと言ったかもしれないが、明日やる」

 全員がうなずいた。

「ただ、まだ急ぎで調べてほしいことがある」そして、指でそれぞれ彼らを差し招き、吉左は説明をはじめた。


 翌日、半次はえんの店から夕闇の迫る町へ出た。一味がまとまって外出することはめったにない。ばらばらに出て、いつの間にか目的地に集まるのが基本である。

 出かける準備をする半次に茶漬けを振る舞いながら、えんが言った。

「あんたらみたいな腕っこきの集まりなら、もっと楽なもうけ方があるのにね。いまさらながら無駄が多いな、あんたらの仕事は」

「そうだな」

「そんなに楽しいんだな、お頭との仕事が」

「そりゃ、そうだ」

「布施屋だってさ、確かに小金は持ってるだろうけど、木曽常なんぞに引っ掻き廻されるほどの、実のある客じゃあないよね」

「ふふん。いまどき大商人が店に金を置いてるかよ。お城の金蔵にもない。世の中を、証文としてぐるぐる回ってるだけさ」

「判ってるよ。あんたたちはすぐ悪ぶって、金、金ばかり言うけど、本当は意味を付けたいんだ。働く理由が欲しいんだよ」

「でもな」半次は少しおどけたように言った。「本当にちょっとは金が欲しいのさ。そろそろ先を考えたいのさ。四十五十で押し込みは無いよなあ」

「へえ、祝勝だね。でもそれならどっかの札差、何軒かまとめて皆殺しにすりゃいいんだよ」おえんは平然と言った。「やるなら、同じ金を儲けてる連中でも、一番あこぎな親父を痛めつけたい。そいつらに酷い目にあっても諦めてる世間の面を張りたい。それがあんたら。子供とはいえないが、まあ青二才の集まりだね」

「ごちそうさん」半次は、茶碗を置いた。

「もういいのかい」

「ああ。けどな、青二才っていやおれたちを手伝ってるあんたもそうだよ。世間に混ぜっ返ししないと、生きてる気持ちがしないんだよな。もちろんお頭もそう。ただな、そればかりでもな……」あとの方は、急に半次の口調に勢いがなくなった。

 ふん、とえんが鼻を鳴らした。

「あんたの心配はわかる。少しばかり休ませてやりなよ、お頭を。それでまた、こっちに移ってきてさ、あたしらと楽しくやろう。盗人仕事なんて、年に一回、いや二年に一回ぐらいで良いじゃないか。身内も減らせばいいんだよ。これから稼ごうとしてる金とか、手切れに使えば良いよ。あとはらくーに、たまーに腕を振るえば良いんだよ。気難し屋の職人みたいにさ」

 そうだな、うん。半次は弟が姉に諭されるような返事をした。

「まあ、とにかく行ってくるわ」

「気をつけて行ってきな、って、盗人には変だね」

 えんは店の表に出ようとする半次を送って、裏戸の近くまできて言った。

「あんたさ、気にしてたみたいだけど、本当にお頭の役に立ってるよ」

「そうかな」

「お頭も、もちろん、しんそこ頼りにしてるのさ」

 これまでにない優しい目で、えんは半次を見た。

「あんたも、ほかの手下どもも、本当にお頭想いだよ。だから、危ない橋渡って帰ってこれるんだろうね」

「じゃ、またな。後でな」

「昨日は、あんなこと言ったけど、博多を殺した理由は、あたしもちゃんと判ってるのさ。お頭を舐めるようなことぬかしたんだろう」そう言って、えんは戸を閉めた。


 夜の町に、犬の鳴き声がした。しばらくして、それに答えるように今度はふくろうの声がした。

 幽霊のような影が、角に位置する商家に向い、一つ、二つと近づいて行った。

 布施屋は白壁で囲われた母屋の中に、小さな倉を持っている。集まった影は、いつの間にかその家屋の回りを囲み、静かに合図を待った。背の高い影がうなずくと、一味は二人ずつに別れ、同時に表と裏から侵入した。

 前々からよく見知っているかのように素早く、狙いをつけた部屋に向かう。そして寝ていた主人夫婦と子供、住み込みの奉公人らを別々に拘束した。

 

 えらの張った顔の主人は、脂汗を流しながらもはじめは抵抗したが、吉左が数語、おどしの言葉を発すると、すぐ倉をあけることを承知した。

 中には複数の千両箱と、バラの金が千二百ほどあった。男たちは手慣れた風にそれを解体後、おのおので担ぐ革袋や綿を詰めた背負子に入れると、もう一度丁寧に店の人々を縛り直し、再び店の外へとでた。無理に予定以上の金を探さないこともあり、ぜんぶで小半時もかからない早業だった。

 目顔でうなずき合って舟のある地点へと向かう。月もなく、ほとんど見えない道をひそひそと男たちが駆ける。倉が並ぶ通りを抜け、舟のあるちいさな川べりへと急ぐ。


 その途中、足音が交錯した。二人目の位置にいた吉左は、先頭の肩を叩くと、その手をすっと横に伸ばし、ひゅっと音をたてて口から鋭い息を吹き出した。

 一味は早足で移動しながら身構えた。

 暗色の布で顔を隠した男が二人、横手から駈けてきた。別方向からまた三人、そしてまた二人が道を塞ぐ。すると、ほぼ一列になって進んでいた煙一味五人が、重い金を持ったまま突然、散開した。

「む」武士くずれらしい襲撃者が身体を開き、刀を抜いた。

「ぎゃっ」悲鳴がした。抜刀した男が振り返ると、一味の道を塞ごうとした二人のうちの片割れが、闇の中から伸びてきた長い得物に突き刺されたのが見えた。さらにもう一人は、地面から伸びた手に腹と胸を突き刺され、即死した。そのすきに半次は、宇佐という名の手下に自分が持った金を渡すと刀を抜いた。

 たたらを踏んだ襲撃者のうち、一人は即座に半次によって頚を刎ねられ、暗闇に血を振りまいた。うろたえたもう一人は、宇佐によって正面から顔に金包みを叩き付けられた。

「うめえ」と、左よしがのけぞった男の胸をそのままえぐる。焦って彼の方に向かった残りの男を「まちなよ」と、後ろから右よしが引き止め、片手で胸を刺し貫いた。

 さらに一人が、また闇から伸びてきた鋼の舌に刺された。

 瞬く間に仲間を失い、残った二人は川縁に立ち尽くした。


 吉左は宇佐らに作業続行を命じると、血刀を手にした半次と襲撃者の残りに向かい合った。

 刀を構えている男の足下に、低い姿勢のまま草太と呼ばれる男が近づいた。今度は後ろにまわりこんでから羽交い締めにして喉を、胸を突き刺した。咳き込むような声を出して、男は崩れた。 

 死を確かめると、草太はすぐ金を運ぶ作業を手伝いに行った。


「だから言ったろう、常さん」吉左が言った。「俺たちを裏切っちゃ、ろくなことにならない」

 粗末な頭巾をかぶったまま、木曽常は地面に膝をついた。

「すまねえお頭、信じてくれないだろうが女がかどわかされて、それで」

「嘘だな」

「ああ、下手な嘘だ。中々色っぽい女じゃねえか。あんたの家でのんびりしてるのは」

 二人が口々に言った。木曽常は頭巾の下からじっとそれを見た。

 吉左の視線が、ちらと木曽常から逸れ、その後ろに流れた。

 それに気づき、木曽常は帯に挟んだ匕首を取り出して、吉左に迫ろうとした。しかし、次の瞬間、彼は後ろから砂と砂利を詰めた袋で頭を殴られ、その場に崩れた。

「お頭」常を殺した左よしが言った。「舟の準備ができました」

「ご苦労」

「どうします、こいつら。結構いたな」彼は道の真ん中に倒れていた死体だけ、手早く物陰に隠した。

「ほっときな」と、半次が言った。「俺たちは忙しい。そのうち自身番が見つけるだろう」

「へい」なぜか左よしの声は嬉しそうだった。

 

 再び早足で移動しはじめながら、吉左は横に付いた左よしに聞いた。

「どうして、そんなに嬉しそうにしてるんだ」

「いや、このところ俺も偉くなっちまって。お頭と一緒にこんな荒事をやるのは、久しぶりだなあと、思って」

 死神のような男の口から出たかわいい言葉に、吉左は思わず頭巾の下で笑い声を出した。

「宿の大番頭だものな。それなのにまだ殺しが嬉しいのか」

「いやあ、殺しはもうご免だけど、ここらは良い所だ」

「おとついの晩、いい場所に行ったそうじゃないか。理由はそっちだろう」

「嫌ですね、そうじゃありませんよ。盗みですよ盗み。あたしらの本職だ」

 そうか、といって左よしを見た吉左は、もう一度周囲を確認すると、すばやく隠した舟へと向かった。

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