第20話 「かよ」とのふれ合い

  二十 懊悩

 

 空が白みはじめるころ、客が宿を出立していく。どうやら今日は、いい天気になりそうだ。

 裏の稼業を知らない奉公人たちが頭を下げる姿を、吉左は目立たない場所から見ていた。

 いつもなら同じように隅から客の様子を見ている左よしが、当の今朝旅立つ客に探し出され、無理に挨拶を受けさせられている。

 「ごまのはえ」をはじめややこしい客の出入りを、時に殺意を秘めて見張る恐ろしげな男も、この扱いは勝手が違うようだった。

 相手は商用で数日滞在した客であり、行き届いた部屋の掃除やぜいたくに湯が使えたのについて、口を極めて感謝した。するとあの左よしが、しきりに恐縮し頭を下げている。

(案外、宿屋は天職じゃないか)人を殺し顔色ひとつ変えない男とは思えないうろたえぶりが、ひどくおかしい。

 

 しばらくすると、吉左は思いついたように腰を上げた。適当な包みを手に持つと、

「出てくる」と店の奥に声をかけ歩きだした。半次が様子をうかがうような顔をして見送った。

 まだ静かな通りをいくつか過ぎ、表通りに出た。馬の声まで聞こえる朝のにぎわいを横目に、吉左は黙々と歩いていく。

 彼が到着したころ、早朝の船着き場はすでに人が盛んに働いていた。

 近くの農家からだろう、藁をかけた荷を積んだ小さな舟が行き来している。水面に跳ね返る朝の光を眺めていると肌寒さを忘れる。

 国に戻った当座より、一段と荷の量は増えて人の往来も激しくなっていた。

(これはいい流れなのか、それとも)吉左は胸の内でつぶやく。

 

 本拠を、思い切ってそれまでの江戸近郊から小さなこの国へと移し、三年が経過した。すでに内外に複数の拠点を設け、人も配し、主な辻番所や町方の情報だって聞こえてくる。

 彼と子分を引き寄せ続けているのは、江戸や大坂には感じぬ育ち盛りのようなにおいだった。

(ダメだったらまた煙のように消えりゃいい)と思いつつ戻ってから、いまのところは、順調すぎるほど順調である。

 この国の農村部は十年以上飢饉にあわず、表向き石高の大きい付近の国々より内実は豊かである。また、国柄なのか住人は教育熱心で信心深く、おまけに役人もおっとり構えている。

(ここの役人ときたら)吉左は同郷人の間抜けぶりに苦笑いする。少しのかく乱でもひっかかるし、捜査となっても後手後手に回ってくれる。きょうび江戸あたりじゃそうはいかないだろうとは、手下どもに共通した見解だ。

 

 先日の牛太を処分した際もそうだった。あえて一味の死体を放置しておいたら、期待通りこの国の町方役人連中は、吐きそうな顔をして肝心の現場をすぐ掃除させてしまった。

 その一方、陸路と水路はよく整備されていて、尾張名古屋や京大坂にもすみやかに移動できる。吉左たちも、外に出て大掛かりな仕事をこなすと、こっそり戻ってきて雑事を済ませて次に備える。なかなか良い塩梅である。

 そのせいか、かえって不安感に襲われる日が多くなった。悪党のさだめだろうとは思う。

 隠居したいとの気持ちも、はじめて理解できるようになった。


 生国も仕事も異なる人間が出入りしてもあやしまれないようはじめた宿屋は、すっかり軌道にのった。いまでは裏の商売を知らない通いの働き手も増えた。堅気に混じって人相の悪い子分たちが、案外楽しげに働いているのを見ると、

(ここでこのまま過ごせないか)と、いう考えがひんぱんに浮かんでくる。

 彼の気持ちを知ってか知らずか、子分たちは口々に言う。盗賊仕事という目的があるからこそケチな旅人の相手も苦にならない、と。

 (それにしても、だ)

 もし、本気でこの国に落ち着きたいなら裏の商売をやりすぎてはいけない。それは判っている、しかし。吉左は考えながら、ただ歩いている。

 宿屋とは別の根城である古着屋に顔を出すつもりだったのに、迷いが生じて気が落ち着かない。

 吉左はひとり道を転じ、また歩き続けた。

 

 迷いの中に焦りがあり、さらにその中に、まだほんの小さい芽ではあるが、新当組があり、そしてこの前にすれ違った「すごい奴」があるのはわかっていた。

 世間では先日の寺での盗みが評判となり、寺社方、町方、さらには新当組を軽んじる声ばかり聞こえると手下どもはうれしそうに伝えてくる。しかし、自分たちが英雄と勘違いしてはならない、と吉左は強く思う。風向きが変われば、

(おなじ口がまったく逆を言って恥じない)と、吉左は理解していた。世間とはそんなものだ。さんざん持ち上げた英雄の処刑を、楽しげに見入るのもまた同じひとびとなのだ。

 それに、(少なくとも、今出来だからって盗賊改に油断しちゃならない。こちらに気づかれないよう注意しつつ、もっと動きを探らねば)

 

 歴史が浅く堅い人間の多いらしい新当組には、まだ内通者は得られていない。だが、現場の主軸となる与力は、町方の変わり者で知られた宮部源次郎と勘定方あがりの古田親兵衛の二人であるぐらいは掴んでいた。

 小遣いを渡している郡方の小物からは、この前の酒呑童子一味の捕縛の一幕も伝わってきた。郡奉行の手柄ばかり喧伝されているが、実際には新当組組頭三浦図書が指揮を取り、彼の配下が主力として成功に導いたと。

 冴えない話ばかり聞こえるが -- むろん煙一味が面白半分に噂をまいたせいもあるが -- 彼の見るところ、新当組は町方とは別次元の脅威になりうる。

 

 半次が聞き込んできた話も気にかかっていた。

 先日、郡方の山番所から新当組を回り町方へと死体が運ばれた。それが、逃げ延びた酒呑童子の残党だというのだ。

 また、生け捕りされた者もいたらしいのだが、詳細は伏せられたままだ。

 口の悪い右よしなど、「一味をまとめて捕まえたって言い触らしたのに、残りがいたなんてみっともなくて黙ってるんでしょう」と笑った。そして、百姓の山狩りの罠にでもかかったのだろうと推測した。

 しかし吉左の気になったのは、町奉行所へ搬送ののち埋葬された死体の状態である。

 町方の付帯施設には、煙一味に通じているとは当人たちすら知らない内通者がいる。そこからは「ホトケはどれも顔がきれいだった」との感想が伝わってきた。

 吉左はこの小さな情報が気になった。つまり酒呑童子の残党は、山狩りに追い詰められ袋叩きになったのではなく、腕利きに急所だけ正確に斬られてしまったのではないのか。

(やはり、あいつか)即座に吉左は、寺で会った白い顔を思い出した。

「酒呑童子といやあ、人斬りに慣れた侍崩れの集まりでしょう。そんなやつらが死ぬ気で暴れるのをばっさり斬るなんて、できるものじゃありません」と、自身も居合いを遣う半次は首を横に振る。ただ。この話を吉左に伝えるということ自体、彼も不安を感じているはずだった。

 むろん、剣術と犯罪捜査の達者は全く異なる。だが、

「あいつとやり合うはめになる前に」吉左は胸の内でつぶやく。「一つ大きく稼いで、つまらぬ小商いをせずに済むようにしようか。自分の家のまわりは、小ぎれいに掃除しておかなくちゃならないもんだしな」

 

 そう冗談めかしながら、これまでにない薄気味悪い気配に、吉左は心のどこかがかき乱されているのを感じていた。

 考えのまとまらないまま歩き続けるうち、知らずに餅菓子屋へと足が向かっているのに気づいた。

(あそこに通うのも、たいがいにしなくちゃいけないな)

 かすかな後悔を覚えつつ、彼は足の動きに従った。

 

 小さな店に着くと、入れ違いに若いお店者風の男が吉左に頭を下げ、出て行った。首がながくひょろっとした体つきだ。

 他に誰もいない店の隅で、かよはじっとしていた。やせて肉付きの悪い女が暗がりで思いにふけっている姿は、何か別の世界に足を踏み入れたように思えた。

(まるで幽霊みたいじゃねえか)と軽口を叩こうとして、やめた。

 女の様子にただならないものを感じたからだ。


「あら、今日はちょっと早いのね。商売がお盛んで結構」吉左に気づいた女は毒づいたが、声に力がなかった。

「なに。お客さん、早く出て行ってくれたの」

「ああ、今朝は特にね」

 吉左はいつもの「ややこしいところ」に腰をかける。空いた場所に無理に席を設けたために狭く、洗い場と客席を行き来するかよや彼女の母が頻繁に前を通る。落ち着かないだろうと言われるのだが、彼は気に入っている。

 注文もせず、ぼんやりと店内を見回す。

 目の腫れぼったい女の顔にたどり着いて、

(狐みたいなやつと思っていたが、今日は子犬のようだ)と、思う。

 茶を出そうとしてまだ鼻をすすっている女に、つい、言葉が出た。

「なんだい、いろに愛想尽かしでもされたのかね」

 そっけなく言った吉左をかよは、ちらっとだけ見た。

「いろだったら、こっちから捨てられるけどさ。きょうだいだったら、そうはいかないじゃない」

「きょうだい」

 娘は腰に手をあて、ふーっと息を吹いた。

「ごめんなさい、余計なことね」

「いいんだ。赤の他人に話せば、楽になることもある」

「お客さんは、話す相手がいるの」

「いや、話して楽になる相手は、わたしもいないな」と吉左は首を振った。 

「いつもいつも、年だけ食ったガキみたいな連中に囲まれて、そいつらの世話で一日が終わる」

 珍しく身の上話をはじめた吉左の顔を、かよはじっと見ていた。

「一人になりたくて出かけては、よくお地蔵に話しかける。返事がなくてかえって都合がいい。誰にもばらさないし」

 かよは笑い出した。これまで見たこともない少女めいた笑いだった。

「一人きりもつらいけど、人がいすぎるのも考えものね。それは宿の人たちなの」

「ああ、そうだな。どいつも古馴染みの、不出来の兄弟みたいな連中だ。どうしようもない」

 吉左は首を振ってみせた。

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