第18話 襲われる盗賊改

 十八 急襲


 くらやみ峠と名のついた坂道を、徒歩姿の三浦図書主従が進んでいく。

 図書には先助が付き、そのそばには親兵衛と同心の一宮がつき従っている。

 この一帯は、名から想像されるほど恐ろしくも厳しくもない。小川が流れているし、道だって一旦坂を登り切ってしまえば、あとはゆるゆると歩くことができる。ただ、木は刈ってもすぐ繁茂し陽の光を遮った。

 さらに風向きによって気味の悪い音を出す風穴もあり、たまに猪や山犬、ずっと昔は追い剥ぎが出没したとの噂があった。だから地元では、なるべく女子供だけで来させないという。

 

 今日の一行は、酒呑童子退治のあった扇村を非公式に訪れた帰りだった。短時間の滞在のはずだったが、ついつい予定の時間を超過してしまった。

 歩きはじめには高く感じた日も、だんだん傾きかけていた。空の色も変わりはじめ、油断するとすぐ暮れてしまうのを知らせていた。山道にも休息を入れず、四人は里へ急いだ。


「家がございます。田畑も」先助が指差した。

 急ぎ足の甲斐あって、眼下にぽつぽつ人家が見つかりはじめた。それに、無事に峠を降りさえすれば、しばらく行くと郡方の番小屋もある。日暮れまでには山を抜けられるとメドをつけた三浦図書の表情が少しやわらいだ。

「昔、このあたりは田をうつには向かぬとされていた。こう見下ろしても、めぼしい田畠などなかったとよく聞いたが」

 図書は眼下に見える畑を指差した。傾斜地をうまく利用してある。

「このごろは大根や豆、それ以外にも多く採れるようだ。市に出回る野菜も、わしなど分からないものが多いな」

「拙者にもよく分かりませぬ。しかし、いろいろと試す百姓がいるのはありがたいこと」

 古田親兵衛がにこやかに返事した。

「郡奉行の竹本など、米より熱心になられても困ると申しておるな。このごろはそんな国が増えているようだ。ただ、飢饉の備えとしては心強いし、他所にも売れる」

「家に出入りの者に聞きますれば、ここ数年、他国から舟を使ってまで市に来ることが当たり前になったとか。それまでは、舟を出すばかりだったと」

「だから盗人もくると、庄助がおれば言うであろう」二人は笑った。


 町中の巡視より明らかに上機嫌の二人に比べ、一宮はどうにも威勢があがらぬようだった。

「一宮は野歩きなどせんか」

 急に図書に尋ねられた若い同心は、

「わたくしはあまり……」と威勢のよくない返事をした。中間の先助ほどの量ではないが、土産として村人に心づくしの餅や干し柿などをたんまり持たされたのがみっともなく感じられて、あまり心楽しくなかった。だから、里がせまるほどしおれていたのだった。


 今回の訪問は、夜盗退治の折に怪我をした村人を内々で見舞う目的だった。

 庄屋への礼(および村側から新当組への礼)は公式行事として、郡方、町方も参加し城で実施することが決まっていた。その後はおそらく城下で祝宴がはられるだろう。

 だが、捕り手に加わり負傷した若い小作たちは、晴れがましい席へ参加はできない。よくてせいぜい代表者一人、それも村で何らかの役についている年配の人間が、出番をとってしまうだろう。

 それを気にした図書が、まず一言でも直接礼を言いたいと早期の訪問を望んだ結果が今日の訪問であった。

 しかし、村にはやはり庄屋一家が(一応は平服で)待ち構えていた。さらに負傷者とその家族だけでなく、かつて野盗に被害を受けた人々から大歓待を受ける羽目となった。

 果てしなく降り注ぐ礼や土産の波をどうにか振り切り、村を後にした四人が、ようやく峠を抜けるところまで帰ってくると、こんな時刻になっていた。


 一宮がしょんぼりしているのは、歓待の面子にもあった。

 酒宴を図書が固辞したためか、ひそかに期待していた村の若い女たちと親しく話す機会はなく、彼の手を取り涙ぐんで礼を言うのは、もっぱら年寄りばかりだったからだ。それに、いないわけではなかった女たちの、目線の先にあったのは、残念ながら一宮ではなかった。

(女たちが目を輝かせるのは、お頭と古田様ばかりだった。わかっているけど、顔も家柄も冴えない男は、諦めるしかないのかよ)

 しょんぼりしたままの一宮を、さすがに気にして図書が言った。

「そうしょげるな。次は将棋谷にも出向かねばな。長からはぜひ泊まりがけで来てくれと言われている。あの土地は鄙びて思えるかも知れぬが、実は古くから京と行き来が盛んであってな。みめ佳き者も少なくない。若い村娘も大勢おるし、きっと楽しいぞ」

 かぶりを振る一宮に、

「と、これも庄助なら言うだろうな」図書は朗らかに笑った。先日の大捕り物が、人死になく終わり、彼もようやく緊張をゆるめようとしていた。


「庄助さんは、こういう用事なら逃げてしまいます」図書の軽口に、先助が口を尖らせるように言った。

「そういうな。あれも歳だ。昔はかの者も腰が軽かったものだ」

 そう言うと、しばらく図書は歩みを続けた。

 急に視界が開け、里がせまって見える。まもなく峠ともお別れとなる。図書がふたたび話しだした。

「ずいぶん前になる。わしは世間が見たくて、見たくて」

 いまのお前より若かったな、と先助を見た。

「剣術修行と届け何年も国に戻らなかったことがある」

「はあ、殿様が」

「むろん、兄が存命だったせいもある。うるさいことを言われなかったのをいいことに、あちこち見て回ったものだ。先代様は、そのようなことにはいたって鷹揚でおられた。それでな、身分を隠し変な仕事にもついたぞ。山に舟を担ぎ上げたりもした」

 しおれていた一宮まで今は彼の顔を見上げている。

「なかでも気に入ったのが、ある施療院だ。柔の使い手でもあった薬師が人を集めては面倒を見ておられた。そこはよく覚えておる。薬草からせんじ薬を作る方法を習ったり、年を取った病人の世話をしたり」

「では、殿が下の世話まで」

「うむ。この手で人に尽くすことが、若造には良いことに思えてな、ずいぶんいい気になっておった」

 彼は遠くを見るような顔をした。

「国のことなど忘れ、楽しく過ごしておった。ところがな。小雨のそぼ降る夜のことだ」

 

 寝所にあてがわれていたのは、小さな小屋だった。一日の労働にくたびれ、寝る用意をしていた時、ふと外で気配がするのに気づいた。木戸をあけて外を見ると、暗い中に突如、埃に汚れた男の顔が浮かび上がった。庄助だった。彼は図書を認めると必死の形相で袖を掴んだ。

「わしの出した手紙を元に、諸方を探しまわった末、似た男がいると聞きやってきたらしい。あれが、万事に慌てるそぶりすら見せないのは、昔からだった。その男が、わしの手をとって、泣くとも怒るともつかぬ顔をしたまま、どうしてもつかんで離さない。ついにはその夜、わしが子供の時分にそうしていたように、横で裾をつかんだまま眠りおって、厠にも行かせてもらえなかった」


「それは、どなたかがお命じになったのでしょうか」親兵衛が尋ねた。

「いいや。わしは知らなかったが、帰国が遅すぎ修行の許しを延ばすのは難しいとする意見が強まり、行き先知れずにせよとの声すら出たらしい。あの頃は父もいろいろまつりごとに関わっていたのでな、その仕返しだろう」

 図書は頭をかいた。

「あとで聞いたところでは、庄助はその噂を聞き、しばらく塞いでいたそうだ」

「あの人も塞げるのですね」これは先助だ。

「それが、突如として出国許しを取り付けるや女房には離縁届けを渡し、その足でわしを捜しに出たそうだ。それを諒として受けるいともいとだが」

 庄助の女房はいとという。亭主とは大違いの明るく愛想のいい女だった。

「あの顔を見て以来、わしは庄助夫婦に頭があがらん。まあ、その前からあらゆる悪さを知られてはいたがな」

 図書が笑った。先助はしょんぼりと黙った。

「お頭」親兵衛の鋭い声がした。「ご注意を。不穏な気配が近づいて参ります」

「待ち伏せか」

「おそらく」

 

 ふたりが落ち着いた様子のまま刀の鯉口を切るのを見て、慌てて一宮も刀に手をかけた。

「一宮止まるな、歩き続けよ。弓があるやもしれん」

 一同が岩に囲まれた狭路にたどり着く前に、男が四人ばかり草むらから飛び出し、図書へと殺到した。

「一宮、お頭につけ、先助、後ろから見張れ」親兵衛が一列になるよう指示した。

「古田、かまわぬ」 

「いえ、こやつらのねらいはお頭」

 と、言いながら親兵衛は横を見て、

「一宮」と鋭い声をかけた。

 斜め前の茂みから、手槍を持った男が躍り出てきた。

 待ち伏せのつもりらしかった。男は、おろおろと前に出た一宮を力任せにひっぱたき、彼の手から刀が飛んだ。

 勢いに乗って一宮を突こうとした男の動きを、いつの間にか親兵衛が捉えていた。相手の槍を刀で抑えると、そのまま刀身を前に滑らせ間合いに踏み込む。そしてなにもできないままの男の胸を、遠慮なく突き刺した。

 崩れ落ちる男から親兵衛は槍を奪うと、後方に向かって地面を滑らせ、

「先助、これを持って誰かきたら振り回せ」と声を掛け、青眼の構えで残りの賊に圧力をかけた。

 

 あまりの早業に賊はたたらを踏んだが、ひげ面の男が前に出た。動物のようなひどいにおいが寄せてくる。

「新当組組頭と見た。この前の遺恨晴らさせてもらう」

「いかにも。まさしく茨木童子のごとき口上だな。おぬしが副将か」

 答えおわらぬうちに、別の男が左から回り込もうとする。向き合おうとした図書に、今度は反対から別の男が刀を前に突き出してきた。戸惑う図書の前で親兵衛はすでに動いている。地面を滑るようにふたたび図書のすぐ前へと出た。

 親兵衛は残りの敵四人を威圧しながら、先に刀を振り上げ襲ってきた左の男の動きにあわせて相手の拳を切り割った。そのまま体当たりで右の男に向けて吹っ飛ばす。

 慌てた右の男は、崩れた姿勢で刀を振り下ろそうとするが、それを見切った親兵衛は肩手打ちで男の喉頸をはねた。そして男が血を吹き出し崩れ落ちようとした時には、図書と残りの山賊二人の間に戻ってふたたび敵を威圧していた。すべてが停滞なく行われ、ほんの数瞬だった。相手も一宮も、口をあけて動きを止めた。図書ですら目を丸くしている。

 さきほど吹っ飛んだ男は意識を失っていて、先助が槍をのばしてめった打ちにしている。

 親兵衛はこれまでにない冷たい表情をし、

「賊、神妙にいたせ」とつぶやいた。目に見えない恐ろしい力のようなものが、彼から敵に吹き付けているのが図書にも判った。

 

 脂汗をかいていた一人の男は、くるりと後ろを向いて駆け出した。

 残ったひげ面は、それでも「ばかめ」と吐き捨て、前に進みだした。

「古田」図書が声をかけた。「生け捕りにできるか」

「承知」

 図書は、今度はひげに向かい、

「その方、一人残ったのは褒めよう。だが、これ以上血を見るのは無駄というもの。おとなしく縛に就け」と、いつものおっとりした口調に戻って言った。

「抜かせ、小役人めが」ひげ面は大上段に振りかぶり、図書にぶつかる勢いで飛び出した。

 だが、親兵衛が一歩前にでると、大きな壁にあたったように速度を落とした。親兵衛はそのまま刀ですねを払い、ひげ面を転倒させる。さらに脾腹に猛烈な蹴りを入れ、昏倒させてしまった。

 気がつくと、あたりに血のにおいが漂っていた。一宮が腕を抑えながら、倒れたひげ男に近づく。

 先助は自慢げに気絶した賊の上に座っていた。親兵衛は油断なくあたりの気配をうかがっている。

「古田よくやった。逃げたのは捨ておけ」と図書は言い、「先助、一宮の手当をしてやれ」声をかけながら、死体に近づいた。

「逃げ延びた奴らか」

「そのようです。この汚れ具合なら、山の中に潜んでいたようです」

 首から血を流して倒れている死体を、恐る恐る見ていた一宮が言った。地に伏した男たちは、顔もすねも泥がこびりつき、異臭を放っている。 


「さて、生け捕りにはしたものの、どうしたものか」

「村人を呼び、預からせますか」

「恨みもあろうし、さらすより役宅まで運ばせた方が良かろう。これを降りれば郡方の小屋はすぐだ。まずそこを目指そう」

「承知しました。縛っておいて引き取らせましょう」


「しかし」図書は一つため息をついて、抜刀したままの親兵衛に声をかけた。「見事なものだ。刀を振るっての斬り合いは、これまでにも幾度か見て、巻き込まれたこともあったが」と、倒れた男どもを見回した。

「どれもふいごのような息をして、ぎくしゃくとにらみ合うばかりだった。このような剣さばきのできる者が世におろうとは、まだ信じられん」

 親兵衛はいつもより青白い顔のまま、黙っていた。

「いや、申し訳ない。わしの油断だ、嫌な思いをさせた。返り血がついたし、奥方にも怒られはしないか」と、図書は微笑みかけた。

「私めには過ぎた妻にございます。なにも申しますまい」

 ようやく親兵衛の表情もほぐれた。彼は刀を収めた。

 ふうっと、図書が今度は大きく息をついた。

「夜盗どもを根絶やしにするのは、かように容易ではないな」

「まことに」と、親兵衛が答えた。

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