第17話 山賊「酒呑童子」一味を倒せ

 十七 山賊

 

 坂道を抜けると、眼下には重たげな稲穂が一面に広がっていた。

 夕暮れの光に金色がひらめいて、扇村をめざす一行はしばし見とれた。

 「今年は」徒姿の三浦図書が言った。「どうやら作柄も上々のようだ」

 「はい。だからこそ百姓たちは心配になっておるのでしょう。根こそぎ奪われはしないかと」宮部源次郎が応え、古田親兵衛がうなずいた。荷物を背にした先助が上機嫌でそのあとをついてくる。心配ぐせのある彼も、この与力二人がいると安心らしい。

 

 人目を避けて二手にわかれた新当組のうち、図書ら主力が村に到着した頃には日は暮れかけていた。あらかじめ、大げさな供応は不要と連絡していたのにも関わらず、宿泊場所とされた庄屋の家では白米が炊かれ、いい煮物のにおいが漂っていた。

 月番の郡奉行竹本弥右衛門と配下の郡方が四人、迎えに出ていた。竹本は三浦と姻戚にあたり、もし夜盗退治に踏み切るならぜひ郡方に手伝わせて欲しいと熱心に訴えた張本人である。夜の出役について礼を述べる図書に、竹本は庄屋である三田久右衛門を示した。

 

「遠路わざわざのお越し、誠に恐れ入りまする」

 三田の家族が平伏して一行を迎えた。幼児を見つけると子供好きの図書の目尻がさがった。奥にもかなりの人数がかしこまっている。目立たないよう組を分けて村に入ったつもりだったのに、

(これはどこで見られているかわからんな)宮部と親兵衛は顔を見合わせた。

 家に広がる煮炊きのにおいの中、鷹揚にうなずいた図書はこっそり親兵衛を差し招くと言った。

 「ありがたいが、我々の膳は豆腐ぐらいで十分。残りは供の夜食にしてくれと伝えてくれ」

 

 役宅からは装備を持った後発組が計八人来る予定だった。湯浴みの用意までしてあるのを断りきれず、図書らが汗を拭っているうちに、外回り同心四人を含む残り全員が到着した。

 図書の判断で、現場の雰囲気を経験させるため、書役の二人も連絡係として加わった。役宅には、数人の足軽と中間だけを残し空となったはずだった。期待はしていないが、とりあえず後事は町奉行に託してある。

 聞かされてはいたが、庄屋である三田の家は、驚くほど広かった。

「城より広いんじゃないか」ひどいことを口にするのは、宮部だった。

 このあたりの百姓は副業が盛んで、裕福なものが宏壮な屋敷を持つ例はめずらしくない。後発組が足を洗い、口を漱いでから広間に揃った。若い涌井や島などは口を開けて広い天井を見上げている。隣の間には捕り方役の付廻り二名も入った。図書がうなずくと、みな安心したような微笑みを返した。

 「まず久右衛門から様子をお聞きくださいますよう」と、竹本が言った。小柄で貧相な竹本より、後ろにかしこまる庄屋の三田の方がよほど恰幅がいい。

「酒呑童子と名乗る浪人づれは、いまは十四、五人ばかりいるようでございます」と、庄屋は前に出て説明をはじめた。


 その一団が付近に姿を現したのは、二年近く前にさかのぼる。

「はじめのころは、やせ浪人が五、六人という体にございましたが、喜ぶものもおったぐらいでございます。それというのも先に無量がおりましたもので」

 当時このあたりでは無量という盗賊が知られていた。

 のちに関東で処刑されたこの一味は、思い出したようにこの付近に現れては食料や金、さらには人までさらっていった。夜盗の集団はたいてい、村々の裕福な百姓を襲って役人の追っ手がかかると、天領や飛び地などの管轄のややこしい場所に逃げ込む。無量一味もそうだった。

 村が自警力を持たないわけでは無かったが、無量一味にも腕の立つ浪人風の者がいて、ことあれば刀を振り回し手が出せなかった。とくに茶をはじめ商品作物の生産が軌道に乗ってから、狼藉が一層ひどくなった。庄屋は口を濁したが、時に女が襲われることもあった。

 その無量一味に突然、酒呑童子というふざけた名乗りの一団が襲いかかった。

「連中は無量どもよりよほど刀を持ち慣れた様子で、時には槍や長刀まで得物にしておりました」

「遠慮せんでよい。おそらく武家崩れのしわざだ」竹本が声を掛けると一同から笑い声がおこった。庄屋はうなずいて続けた。

「無量どものほとんどは、どこかの百姓のやくざ息子だったのでしょう。正面から切り合うこともあったようですが、程なく追い散らされました。その時分は、酒呑童子どもは村人には滅多に手を出さず、さすがはお武家と妙な感心をしておったぐらいでございます」

 だが、それも次第に変わった。

「そのうち、いつの間にやら仲間が増え、酒を探して里をうろつき回るのもめずらしくなくなりました」と、久兵衛は苦い顔をした。

「私どもは存じませんでしたが、隣国の分限者が襲われたり、山で荷駄が盗まれたという話もございました。どうもあやつらの仕業のようでした」

「なにか手は打たなかったのか」と、若い郡方が口をだした。

「このあたりは内福な反面、みなぼんやりしておりましてな。人を頼んで追い立てるなどの策が思いつかなかったのでございます。そう、一度隣国からご出役がございましたが、人数をまとめて追うと、今度は天領にはいるのでございます。そしてそのあと誰が密告したかとひと暴れしますから、怖くなったのもあります」


「半年ほどまえ、木浦伊右衛門が襲われたと聞いたが」今度は宮部が国境近くに屋敷を構える隣国の大金持ちの名前をあげた。

「そうでございました」と庄屋はうなずいた。「木浦の家は、私もよく存じておりますが、船を何はいも持っておりましてな、ごつい男たちも抱えているはずでしたが、刀をふりまわす夜盗にあっては蹴散らかされるばかりで。倉などもやられ、大変なことになりました」

「これまで上手く行ってばかりで味をしめ、加減がわからなくなったのかもな」

「そうでございましょう。奴らの誰も彼もが女どもに野卑な言葉をかけはじめ、無量どもと同じ、いや、もっと酷くなるまで、さほど時はかかりませんでした」

 一味の人数も増えた。それが村近くに市の立つ日を狙ったり、村の祭りにも暴れ込んだりして、

「歯向かった手前の下のせがれを、手込めにしたのでございます」

 村相撲の大関だったという彼の次男は、今も寝たきりで回復の見込みがつかないという。


「一味それぞれの様子は詳しくわかるか」と図書が尋ねた。

「はい、頭目と見えますのは、ひげを伸ばした大きな恐ろしげな男でございます。近づけば案外歳若に見えるそうです。この大きな男を、似たようなむさい男が六、七人いつも取り巻いております。これが昔からの仲間のようです」

 庄屋の横に控えていた中年男がにじり出た。

「たちが悪いのは、副将格の二人でございます。これが三十半ばほどのひんやりした感じの男と、もう一人歳のよくわからない男がおります」そう言うと顔をしかめた。

「ほう。二人副将が付いて、それで酒呑童子を気取っておるのか」

 「とりわけ歳のわからぬのは、いけませぬ。手下らがせがれを棒で打つのを、にやにや笑って見ていたそうで」庄屋の膝に置いた手が震えていた。

「もっとやれ、もっとやれと。なんとも言い難い癖のある、犬のような顔の男でございます。そういえば、このところ姿を見たという話を聞きませぬ」

「このふた月ばかりは、他を荒し回っておったのよ」宮部が言った。彼が「川替えでさびれた家というのは、近くにあるか」と聞くと、庄屋たちはしばらく顔を見合わせた。すると、若い男が膝行して言った。

「ございます。ここから山に少しばかり踏み入った所に、暗くなるとだれも近寄らない古い大きな家があります。昔の砦あとに手を入れたため、敷地はこの家より大きいほどです」

「なんでほったらかしにしたんだ、そんなすごい家を」宮部が聞いた。

 男は一度黙ったのち、周囲に促されて続けた。

「つまり昔、首くくりが出たので、そのままになっております」

 

「ここらの百姓の少し、というのは、われわれの大層にあたる」

 黙って歩いていた宮部が突然、不機嫌な声を出した。新番組一行と村人、村役人らは夜明け前から黙々と山を登り続けていた。薮を漕ぎながらであるが足元は踏み固められていて、以前はそれなりに人が行き来した山道だったと思われた。

 ブツブツといった感じで宮部がまわりに聞いた。

「そういや、なぜ首をくくったのだ。奉公人を大勢抱えた分限者だったのだろう」

 同行の村人一同は黙ったままだった。

「相場に手を出した、とも聞きましたな。ずいぶん前になります」

 年配の郡方、小城が口を添えた。

「わけがわけだけに、村人も当時の役人も放置してしまったようで。えらいのに住み着かれたのは、われわれの手抜かりでござる」ついつい弁解口調になってしまう。

「詳しい地図はあるかな。あるよな」

「もちろん」宮部の問いに、嬉しそうに若い郡方が綴りを出してきた。役所に古い記録が残っていたのを、なにかのためにと持ってきていたのだと誇らしげに示す。宮部は親兵衛と頭を寄せ合い、その地図を見た。

「この辺りはその昔、一木さまと木村さまというふた方の武将が所領を取り合っておられまして」などと庄屋の三男が教えてくれた。三郎丸といい、昨夜首くくりの件を教えた青年である。

 一行が目的地近くに到着したころには、あたりはすっかり明るかった。

「それで昔は二本木村と呼ばれていたのだったか」三浦図書が聞くと、郡奉行の竹本が答えた。 

「この一帯を扇村と呼びだしたのは、大きな川替えの後からでした。ですから死んだ彼の一族を二本木長者などと呼ぶ者もおりました。屋敷も一木の砦あとに手を入れたものとされ、かつては盗人を近づけない家などと誇っていたようです」

「皮肉なものですな」

「ええ。一族は変わり者が多かった。最後の当主である亡くなった男は、村に親しいつきあいの相手もおらず、残った家族もある日さっぱり退散しておったということです。川替えも、万事口うるさいその者がいなくなったせいで、大きなもめごともなく進んだと見る向きもありましてな」

「うまく口封じできたな」宮部がぼそっと言うと、村人たちが困った顔をした。


 「家は借金のかたに取られなかったのか。ああ、こんなに足が悪いとこなら借金取りもいやがるな。どうせ川替えで舟も通わなくなったんだろ」宮部が村人に聞いた。年かさの村人が誰も答えなかったので、三郎丸が返事した。

「はい。小さな川はありますが、前より川水が減ったせいでしょう、舟を浮かべるほどではございません。ただしあそこには井戸もあり、その小さな川もあります。数日なら十人やそれ以上でも住めるかと」

 小城がまた弁解がましく言った。「我々も、よそ者の侵入を気にしてはおったのですが、舟が使えぬのではと、つい」

「山の中に素早くまとまった人数を送るのは、口では言えてもなかなかに難しいこと」図書が言った。「だからこそ、この捕物は必ず成功しなければならん」


 三郎丸が、さらに坂道を登るのを提案し、見晴らしの良いという丘へ一同をいざなった。 

 宮部はしきりにぶつくさ言っていたが、なるほど屋敷跡が見渡せる。

「捕り物には好都合であるな」図書が微笑むと、三郎丸もにっこりした。

 ほっそりした優男なのに汗一つかいていない。山には慣れているようだ。

「先にやった物見からは、この周囲も含めまだ人の気配はないとのことでした」

 家は鬱蒼とした樹々に覆われていた。

「隠居は古い古い家とかぬかしてたが、それほどでもないな」宮部はひとり感想を述べた。「だけど長者の家っちゅうよりそのまま山塞じゃないか。こりゃ盗人が気に入るはずだ」

 傷んではいるがちゃんと表門まで残っていて、そこに入るには小さな崖を進まねばならず、裏は山に接している。

「敵のおらぬ間に偵察できるとは、実に気持ちがいい。けど、ここらに気の効いた見張りを置く必要がありますな」宮部と親兵衛が語り合っていると、三郎丸が応えた。

「私と、村の若い男総出で見張りをつとめます。大人は近寄らなくとも、子供には遊び場でしたから、わたしたちは馴れています」


 郡方の小城がじっくり観察したあと、

「夜、山側から薮をこげば気づかれずに入れそうですな。夜盗どもが、見張りを立てなければ表からも入れましょうが」と言った。

「さとられぬ工夫がいりますな。追っ手が大勢あつまって気勢を上げれば、いくら気の緩んだ連中でも逃げ出すやも知れぬ」郡方出身の鵜飼が言うと、また三郎丸が言った。「それには、少々考えがございます」

「ほう、それは」

「この目と鼻の先に、小さいほこらがございます。巳の神をお祀りしています。そこにお供えのふりをして、酒樽を置こうと思います。それと多少の食い物も。こうすれば一、二日は村にたかりにくることはないのではないでしょうか、皆様がいらっしゃっても」

「そんなむかで退治の様な手が効くかな」

「それを、やつらに勧める者も用意します」三郎丸のほおが少し赤くなった。

「ほほう」

「町から出戻ってきた後家で、この手前の集落におります。前々から酒呑童子の頭目とは酒を酌み交わしており、今度もおそらく夜になれば、誘いがあろうかと。その者に勧めさせます」

「ほう、ふーん」宮部はおおよそを察しながらも尋ねた。「その後家が裏切ったらどうする」

「それは、決してございませぬ」むきになった三郎丸に、

「しかし大勢の男の中に、一人とは危ない」と鵜飼が言った。

「頭目の飲み仲間だからと、さすがに荒くれ男どもも手は出さないそうです」

「ふむ。まあ、昔からさばけた後家は、村の若い男の味方だからな」宮部が言うと、三郎丸はさらに赤くなって頭を垂れた。

「まあ、ばれぬようにしてもらえればな」その言葉で、皆なんとなく納得した気分になった。

 

 偵察から戻り、丸一日たった夕方近くにようやく、武装した男たちが屋敷跡に入ったとの連絡があった。周囲に知らせがとんだ。新当組と郡方は広い屋敷の中にこもってじっとしていたが、巳の神への供物がきいたのか、野党たちが村に顔をだすことはなかった。 

 暮れてから村はずれに大勢が密かに集められた。新番組のほか郡奉行配下の役人、小物らに町方からも若干の人数、そして村の男たち、さらには近隣の将棋谷と呼ばれる集落からやってきた体格のよい男たちが七名ばかり。木こりや魚取りを営んでいるという。あわせると四十人をこえた。

 それだけの人数が手に手に獲物を持ち、声も出さず、緊張した顔つきで指示を待っているのは壮観だった。

 斧や投網をそれぞれが持ち、興奮を隠せない将棋谷の連中に扇村の若い男たちは不満げな視線を向けていた。図書と昔から縁のある村であり、彼が直々に依頼し呼び集めたとの説明を受けたあとも、あまり心楽しくはなさそうだった。水利の問題が、すっきりとは片付いていないらしかった。

「ああいうのは、難しいですな」

「まことに」宮部と親兵衛は小声でささやきあった。

 郡奉行の竹本が咳をひとつしてから、押し殺した声で下知を行った。

「今宵集まってもらったのは、寺に巣食う夜盗めらを召し捕らんがため。おのおの職務を尽くされよ」

 と、それぞれの配置を確認した。屋内への潜入は正面からと山側から郡方と新当組が行う。村の衆は背後に待機。大声をあげ、はしごなどを用いて逃げ出した夜盗どもを取り押さえよ。指示は捕り物に慣れた町方が行う。暴れようとすれば網を使え。

「相手が得物を振り回せば、道具を前に出し網を投げよ。人は慌てて前にでるな。切り掛かられそうになればいったんは引き、大声で役人を呼べ。なにより狙いは酒呑童子を名乗る頭目と二人の副将。それ以外の深追いはするな」と図書が後をついだ。

 行軍がはじまった。


「古田殿」宮部が小手のすれる音をさせて、親兵衛をつついた。

「申し訳ないがお頭のそばを離れないでくれ」

「それは構いませぬが、いったい」

「あのようなお人柄だ、相手が目の前に刀を持って姿を出せば、かならず自分で何かなさろうとする。道場での稽古は積まれても、斬り合いははじめてのはず。相手は、町中の盗人よりたちが悪かろう。頼むからお頭を、無事にあの楽しい奥方のもとへ帰らせてやってくれ」

 いつになく神妙な宮部の言い草に、親兵衛は微笑みながら了解した。

 

 大勢が声をたてずに山をこえ、屋敷跡を包囲した。

 同心たちが山から回り込み、所定の位置に着いた。それまで、どこかで人の動く音がしていたがいつの間にかなくなり、かわりに虫の声が聞こえている。

「ひよどり越えはようやく終わり申した」竹本が図書にささやいた。偵察隊からも報告があった。

「見張りは一応おりますが、寝ております。酒が利いたようで」

「酒呑童子退治でござるからな、庄屋の息子の手はずがうまくいきました」

「かなり旅に出ておったはず。疲れ出ているでしょう。ざまあみろだが」

 竹本が頬をにっと歪めた。

 風が静かに流れていく。図書が辺りを見回し、うなずいた。竹本ががん灯を差し上げ、二度振った。

 

 新当組同心の鵜飼は、裏山を短く滑り降りた。偵察の際はじっくりと観察しめどを付けていたのに、いざ夜間活動となると容易ではない。それに、慣れない帷子などを身に帯びているため、思うように動けずひやひやする。

 元は山奉行の配下で、一年の大半は山々を歩き回っていたことから、先陣を勤めることになった。ただ、彼の担当した山にはせいぜい密猟者しかおらず、あとの危険は獣であった。盗賊の集団に立ち向かうのは、むろんはじめての経験である。緊張で足が震えた。

 同僚の一宮と島がおっかなびっくり後ろを付いてくる。どうせ彼らも似たようなものだ。

 蒸し暑く、古家の戸は大胆にも開け放ってあった。月明かりの中をできるかぎりそっと、踏み込む。

 向かって左の客間が頭目の寝所と予想されている。足下でいやな木の音がして鵜飼は動けなくなったが、寝息に変化はなかった。

 

 鵜飼のうしろは一宮、島、その後を郡方同心が二名いる。組の同心でやたらと入れこんでいたのっぽの涌井は、宮部に興奮を危険視され、書役ふたりと同じ図書付きの連絡番にされてしまった。

 刃引きをした手槍を突き出しながら、鵜飼は広い屋内の中を足音を立てずに歩いた。昔見た絵物語では、酒呑童子の寝所にはどこかの姫が侍っていた記憶があった。こちらの童子の横にも女らしき姿が二つあった。ただ、闇に慣れてきた目で見ると、少々とうが立っているようだった。いびきの音が太いと、気になった。鵜飼がじっと見ていると、大柄な女と見たのにほおひげが生えている。小袖を布団がわりにかけた、男だ。

 すね毛の生えた大きな足が、にゅっと突き出ている。

 部屋のすみで気配がした。後衛の島と一宮が振り返ると、これはちゃんとした女だった。

 戸の影から何かを訴えるような目でこちらを見ている。話に聞いていた隣村の後家であろう。体がこわばる緊張感の中でも、

(なかなかきれいな後家じゃないか)と、思った自分に、一宮はおかしくなった。彼女を手で制し、鵜飼の反対側からひげ面の男の頭のある側に回り込もうとすると、突然いびきがとまった。

 

 男が目を見開き、突然立ち上がった。鵜飼より、たっぷり首一つ大きい。

「……」名乗りを上げようとするが、誰も声が出なかった。男があたりを見回す。武器を探そうとしている。しかし、いつも振り回す野太刀はおろか、脇差し一本なかった。

 すると大男は、動物のような声を上げて鵜飼の槍をもぎ取ろうとした。 

 

 息をのんで待つ屋外の一同に、叫び声がとどいた。竹本がすっくと立ち上がり、小柄な身体のどこから出たのかと思える大声で、「かかれ」と怒鳴った。

 山側からそれぞれ手に棒を持った男らが建家に一斉に侵入した。表門の下からも湧き出るように集団が乗り込んだ。男たちはあらかじめ定められたとおり、二手に別れて建物になだれ込んだ。

 さっきとは違う罵声が聞こえた。今度は意味がわかった。お前ら底辺の役人に捕まりはしないという決意を、もっと下品な言葉で表したものだった。

 房のついた十手を手に図書が立ち上がった。

 大股に表門へと向かう。親兵衛と他の三人が従った。帆を上げて船が進むようなその姿に、彼らのまわりに残っていた捕り手たちもまた我先に門へと殺到した。他の捕り手たちも遅れじと合流してくる。

 興奮した男たちの中には、持ち場をすっかり忘れて駆け出す者が多く、あわてて竹本らが押しとどめる。門の中は混乱していた。


 手前で着物をはだけた男が二人、刀を振り回している。犬が吠えかかるように、捕り手たちが棒を突き出していたが、腰が引けていた。

 仁王立ちになった図書が、横にいた顔見知りの将棋谷の男に、

「あれに網をかけよ」と命じた。心得た、と放たれた網は頭にかからず、駆け出そうとした足にからまって一人が倒れた。

 走り寄った捕り手たちが男を棒で殴りつける。その隙に門から逃げ出そうとした盗賊のひとりは、待ち構えていた百姓たちに突き回され、そのうち倒れると動かなくなった。

 広い中庭は、さらに混乱していた。裸に近い姿の三人の男が、石や土塊を手当たり次第に投げ、捕り手に飛びかかる。そして武器を奪って振り回す。評判通り腕はそこそこに立ち、数倍する人数にもひるまず対等以上の勝負を続けた。

 

 家の裏手から人が飛び出してきた。女を二人連れた郡方の捕り手だった。一瞬。周囲をキョロキョロ見ていたが、図書を見つけると一散に駆けてきた。

 目立つ怪我はなく、酒やら湿布やらを持った準備のいい大野に任せる。

 その時、音がして雨戸が吹き飛んだ。乱れた髪に女物の小袖をひっかけた、ひときわ大きな男が飛び降りてきた。手に奪った手槍を掲げ、頭上でぶんぶん回して吠え声をあげた。

「とんだ酒呑童子だな。あれを逃してはならぬ」図書の声に親兵衛が答えた。「はっ」彼はまわりの捕り手たちに命じ、網やさすまたを集めさせた。

 髪を振り乱した大男のあとを同心たちが這い出てきた。例の女を連れている。

「あの女を」と、図書が指差したので、涌井たちは女を引き取りに走った。

 

 大男は槍を片手にひっさげ、ぐるりと中庭を見回した。じりじりと捕り手に取り囲まれつつあるのを知るや、一転して血路を開こうとした。網をかけようとした捕り方に向かい吠え声を放つと、槍を振り上げ真っ向から唐竹割りをねらう。捕り方はぱっと散った。

 親玉の所在に気づいたのか別棟から夜盗が二人駆け出してきて、大男を見つけ脇へ駆け寄った。三人は思い思いに得物を振り回し、手薄にみえた方角の塀へと近づく。町方の増援の一人が大声をはりあげ突進したが、大男に首筋をうたれ、その場に崩れ落ちた。


「まずいな」竹本がそう漏らしたとき、また図書が歩きはじめた。

 止める間もなく、するすると前に出て行く。塗笠をかぶった大柄な図書が混乱の中を歩むと、敵味方の視線が集中した。横に親兵衛が従っている。

「あれほどの気力。機と場所を得れば、世の役に立ったやもしれぬ」

「まさしく」

 全体を見回せるところにくると、なおも手薄へとにじり寄る大男ら三人の盗賊に向かい、あたりに大音声を響かせた。 

「御用を承り盗賊改にまいった。神妙に縛に就け」

 瞬間、あたりの音が失せたようだった。気を取り直した大男が、山犬のようなうなり声をあげ嘲弄する。隙と見て棒を持って突っ込んできた捕り方を殴り倒すと、

「名はなんという」と見栄を切った。

「新当組組頭三浦図書。あれにいるは郡奉行竹本五郎兵衛。とうに手は回っておるぞ」

 ものすごい笑いを浮かべて大男はまた激しく暴れ出した。そのとき、塀の向こうで歓声が湧いた。逃げ出そうとした他の盗賊がつかまったらしい。

「仲間の運命は定まった。諦めよ」

「ふん、お前の首を勲に、逃げ延びてくれるわ」

 大男が図書をめがけて駆け出し、子分二人もそれに続いた。

 迎え撃った図書がすばやく十手を刀に持ち替え、青眼に構える。間もなく接触というところで大男の動きが一瞬、止まった。首の付け根あたりを押さえる。すかさず両脇から一斉に網がかけられた。

「それっ」さらに親兵衛が声をかけると、はしごやらさすまたを持った男が殺到し、網から抜け出そうとしている三人を散々に殴りつけた。これに怒った野盗どもは捕り方を繰り返し跳ね返して暴れたが、ついに動きが鈍ってきた。

 ただ、中からすごい顔でにらみつけられるので、捕り方はしばらく遠巻きにしていた。

「お頭」親兵衛が声をかけると、「わかった」と図書が前に出た。

 

 息のかかる距離に接近した彼を見るや、酒呑童子の頭目は怒号しつつふたたび網を引きちぎる勢いでつかみかかろうとした。図書は落ち着いた様子で十手をふりあげ、賊の頭をしたたかに打った。頭目はその場に昏倒した。残りの二人もようやく諦めたようだった。

 網を囲んだ捕り方たちから、一斉に歓声が沸いた。

「酒呑童子ならこの場で首を刎ねねばならぬが」図書は倒れている頭目を見下ろしながら言った。

「お前には裁きをうけさせる。黙ったまま死ぬのは許さん」

 

 混乱がようやく静まろうとしていた。

 図書は竹本らと確認作業に入った。その近くで捕り方たちに指示を出す親兵衛の元に、宮部が戻ってきた。

「ごくろうさん。二匹ばかりひどく暴れたのがおりましてな。噛んだり引っ掻いたり、大変でした」

「いかがされた」と親兵衛が顔を覗き込んだ。大きな搔き傷が付いている。

「大丈夫、ちょっともつれただけです」

「すぐ酒で洗いなされ。いますぐ」と、親兵衛が大野に酒を持ってくるよう命じた。

「大丈夫、すぐ飲む事になる。それより、見ましたぞ。頭目が飛び出すのを見事に止められましたな。小柄打ちもお上手とは」

 親兵衛は、肩をすくめただけだった。

 野盗の残りがいないのを確かめ、片付けがはじまった。捕縛したのが全部で十一人。ただ、肝心の副将の一人が逃れ得たらしかった。

「まあ、こんなところか」と宮部が、集まってきた配下の同心たちに言った。みな、汗みずくで傷を負ったのもいたが、大けがは一人も出なかった。

 図書は竹本らと一緒に、庄屋はじめ村人たちの感謝の言葉を受けている。

 宮部は床几に掛けさせられ、傷の手当を受けた。酒を含ませたふきんで、傷を洗ってくれている親兵衛に、

「ちょっと、ちょっと」と声をかけ、止めさせた。

「なんです」

「ほらあれ、あれ。三男坊と例の後家だな」


 煌煌と焚かれるたき火でできた建物の影に男女がいた。むかい合い、深刻そうな顔で対峙している。こっそり見ていると、しきりに男がなにかを懸命に語りかけ、女が首を振っているのがわかった。

「ほう。なかなかに美しい。三郎丸どのも見目良き方だが」

「うん。思ったよりずっとだ」

「あの女が、賊どもの動きを知らせた……」

「多分そうだろう。女は怖いな。逞しいのに飽きたら、今度は優男だ」

「男の想いが、通じておらぬように見受けられますが」

「いやいや。あれも楽しい駆け引き。そのうちお頭の所に、頼みに来るかもしれませぬぞ。嫁にしたいので、親に言い聞かせてくれと」

 あちこちで男たちの歓声が続く中、与力二人は興味深げに逢い引きをのぞき続けた。

 

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