第16話 盗賊改、殺人現場を検証する

  十六 検視


 米を見つけた雀のように、おおぜいが店に群がっていた。ひっきりなしにのぞいては、米つぶのかわりに噂の種を咥えては出てゆく。無理もない。商家が数多く並ぶにしては静かなこのあたりで、派手な人死にが出たことなど、絶えてなかったはずだ。

 番屋の若いのが懸命に追い払うが、逆に呼び込むようなものだった。

(そのうち、物売りが出るな)宮部はしばらくその賑わいぶりを見ていた。殺しに関わった奴らが様子を探りに戻るのを期待していたが、

(ま、そんな甘い奴らじゃなさそうだ)

 

 思い返して一歩踏み出した。すると、戸を開いて武士が三人出てきた。宮部にはおなじみの顔だ。町奉行配下の定回りの連中である。三人揃ってというのは珍しいが、さすがに六人も死んでいれば話は別だ。

 町方同心たちはいずれも紙のように白い顔でしきりに息を吸っている。一番若い男は、ついに家の裏で吐き始めた。

「いまどきのお役人は、頼りないねえ」見物人から笑い声があがった。恐らく若いのは、行き倒れぐらいしか見たことはなかったろう。

 困った顔をした年長のふたりが、宮部の視線に気づいた。あわてて会釈し、目で店の中へ入るよう促す。

 宮部も鷹揚にうなずき返し、支給されたばかりの十手を帯の前に差し直し、人をかき分けて店に入った。

 

 町方と新当組、すなわち一般警察と重犯罪捜査班は、現在のところ憎み合っても張り合ってもいない。正直な所、お互いどう振る舞うか決めかねている。

 当初、番屋や牢屋など町奉行所の施設を新当組も利用することに、町奉行個人の反発はあったようだが、江戸におられる殿様やご家老方の権威を借りるまでもなく、組頭の三浦図書が直接挨拶に出向くや相手はあっさり了承した。

 そのさまをこっそり伝えてきた町方の人間によると、二人の「格が違いすぎ」て、厳しい言葉のやりとりなど発生せず、奉行の「へりくだりぶりばかり目立つ」会見だったという。

 人影に気づき、長助という中年の十手持ちが顔を上げた。宮部と認めるや丁寧に頭を下げた。宮部もうなずく。この男にはまだ時々小遣いをやっている。今朝早く、役所より先に知らせてきたのも彼の使いだった。

 

 店の中は、線香が手向けられていたが、まだ血のにおいが勝っていた。土間に一人、廊下に二人、さらに奥に三人が死んでいると、長助が教えてくれた。

「見てください、夢に出てきそうな顔じゃありませんか」そう言って土間の方を指差した。土左衛門のような膨らんだ顔の男が指で宙をかきむしる姿勢のまま、冷たい骸をさらしていた。

「よほど、恨みを残したようだな。まあ、極楽では決して引き取ってくれそうもない面だな」

「店の人間は縛られていただけで皆無事でした。話では仲間割れのようです」

 なるほど、といいながら宮部は廊下に倒れた二人を見た。

 町方は片付けずそのままにしてくれていたようだ。単にすぐ逃げたかっただけかも知れないが。

「私は外に出させてもらいます」と、長助も言った。「巾着きりの相手や夫婦喧嘩の始末ばかりしている身には、たまりません」彼はいったん退出しようとして振り返り、

「そうそう、土間で死んでるやつ、懐に封をしたままの小判を持っていたそうです。この間、佐野屋で盗られたものではないかという話で、船橋の旦那が持って行かれました」と、さっきすれ違った町方の名を挙げた。

「そりゃ困る。証拠の扱いについて、さっさと取り決めをしないといかんな」


 宮部は土間から廊下、そして倉の前に折り重なって死んでいる三人の所まできて、思いついて店の外へと急いだ。あたりを見回すと、人ごみの中で所在無さげに立つ古田親兵衛の白い顔を見つけた。

「これへ、これへ古田殿」引っ張り込むように彼を呼び寄せた。

 中に入ると、親兵衛は見張りをしている番屋の小物に丁寧な挨拶をはじめた。気のいい田舎者といった風情の彼を死体のもとへ引っ張ってゆく。

「切り口を、見てほしい。どんなやつにどう殺されたのか」と、頼んだ。先日まで勘定方にいた親兵衛は、惨殺死体の検分など初めてのはずだったが宮部には、

(このひとは人の死に様には慣れている)との確信があった。


 事実、あちこちに飛び散った血や足下に残る血溜まりにも特別な表情を浮かべず、まず丁寧に土間の死体に手を合わせる。そのままかがみ込んで傷のある腹をはだけた。その落ち着いたしぐさに嬉しくなった宮部は、

「こっち、こっちにもあるんだ。向こうにもまだいる」と、声をかけた。

 しばらく廊下の二人の傷口をあらためていた親兵衛は、中庭で倒れていた別の三人の所まで行くと、唇に指を置いて少し考えていた。そのうち土間に戻り、今度は男をひっくり返した。ほっそりした親兵衛が、大柄な死体をたやすく動かすのを見て、

(あれは技のゆえかな)と、感心する。彼は宮部に向き直ると、

「少なくとも相手は三人いたようです」と断言した。「おそらく、もっと」

「侍ですかな、それは」宮部は聞いた。彼の頭にある犯人候補のひとつが、浪人による盗賊団だったからだ。

「刀法をたしなむ百姓町人は珍しくはありませんが」親兵衛は奥に目をやりながら言った。「倉の三人は同じ得物。よほど人を斬り慣れているのでしょう。一人はへそから下が蹴り潰されていて、居合いの一手にも見えます」

「ほう。拙者はあまり剣術には詳しくなくて」

「三方を取り囲まれたら、正面を蹴倒しつつ抜刀し左右を仕留める。諸流で行われている技です」

「ふむふむ。ほかは違いますか」

「この男は」と、親兵衛は死んでいる牛太の背を見せた。「異なる刃で何度も刺されている。背中の傷は匕首より細い、版木彫りのようなものでしょうか。数人で押し込み刺したのやも知れませぬ」

「恨みが強いのかな」顔をしかめた宮部に、親兵衛は続けた。

「廊下の二人はどちらも違う。一人は匕首、これは自分のもので刺されたとも考考えられる」彼は子供のように小柄な亡骸を指差した。手に血まみれの匕首を握りしめている。そしてもう一人を指すと、「こちらは全く違う刃物、伸ばした舌のような形とおぼしき刃物で刺されています」

「舌。舌だってえ」

「傷口は槍というより、ちょうどこんな形のようです」親兵衛は手で笑った口のような形をつくってみせた。「これで急所を貫いている。百姓の道具なのかも知れませぬ。それに、この男は口の周りに布の切れ端が残っています」

「袋をかぶせられたのだな」

「おそらく。宮部殿には釈迦に説法でしょうが、周囲に流れた血も少なく、この二人については別の場所から運ばれてきたようです」

「やはり、仲間割れかな」

「そのあたりは判りかねますが、抵抗の少なさから、知った相手に騙されたか、あるいは腕の立つ者による待ち伏せに踏み込んだと考えるのが自然かと」


 それを聞くと、宮部はあごを掻き、額を掻き、掻くところがなくなってから、

「余計な見込みは禁物なのは重々承知だが」と言った。「煙の一味の仲間割れなら嬉しいと思っていた」

「先日、お話だった賊でしょうか」

「しかし、これだけでは判らん。第一、煙は無駄に人を殺さぬ。町方が持って行ってしまったようですが、懐に佐野屋でうばわれたと思しき小判を入れていたそうです。しかし、それはただのかく乱かもしれない。町方は多分、こいつと佐野屋をやった奴らとを素直につなげるだろうが」彼はまたあごを掻きながら言った。

「ずっと追っていて感じるのだが、煙はこんな、二重三重の意味を隠した、どこかふざけた目くらましが好きなんだ。殺しの方はともかく、わしにはこれこそ奴らのあかしに思える」

「少なくとも争いを隠そうという跡が見えませぬ。倉の金は手つかずだったそうですね」

「幾ばくか持っていったのではなかったのか」宮部の表情が動いた。

「立番によると、倉は開けられたが小判類はそのままとのこと」

「うん、その妙に潔いところ、ますます気になるな」

 

組の同心たちが、ようやく入ってきた。四人は凄惨な現場に真っ青になり、巨漢の島などすぐよろよろと外に出て行ってしまった。

 残った連中にむかって、宮部が死体の前で講義をはじめたが、最後の涌井が出て行くまで、わずかな時間に過ぎなかった。

「情けない。絶好の学び舎なのに」宮部は憤然とした。

 与力二人がもう一度倉をあらため、縛られていた店の者から話を聞き終わった頃には、すでに昼はすぎていた。

「かくなるうえは」と、宮部は親兵衛に言った。「お頭にいただいたものを、早速使う時だ」彼は懐を確かめると、「じゃ、お頭への報告はよろしく頼みます」

「いずこへ」

「ちょっと、ややこしいところに。悪いが一人で。二人だと警戒されるだろうからな」

 そう宣言して彼は早足で歩き出した。

 

 事件のあった通りを過ぎると、宮部はいったん城の近くまでひたすら歩き続けた。

 お堀近くの、国でも大手の商人が軒先をならべる目抜き通りまでくると、横にそれて呉服屋の角を横切り、さらに裏の道に入った。ひっそりした通りだった。ここまで来ると店の規模はずっと小さくなる。

(後ろ暗い連中の話を聞きに両刀差して行っても、だれも口を開くはずがない)と、胸の内でつぶやく。

(そんな奴らは、近い生き物に探らせるしかない。直に話を聞きたいなら狙い目は灰色の連中だ。金の集まるところには、話も集まる)


 彼は一軒の店の前で立ち止まった。看板は出ていないが質屋である。あたりを見回すと、慣れたように中へ入った。他人には、切羽詰まった侍が金を借りにきたかに見えるかも知れない。

 店は真ん中を細長い土間が貫き、その両脇に細かく区切った部屋を置いていた。変なつくりは他の客と鉢合わせしないためらしい。ケチくさくもある。珍しく店に客は一組しかいなかった。奥に座っていた若い男が宮部に会釈した。

「隠居は、いるかね」

 男は心得たかのように、奥の三畳ほどの小さな部屋に宮部を案内した。

しばらく待っていると、障子越しに「お久しぶりですな」と声がして、男がよっこいしょと入ってきた。上背があって顔もやけに長い。


 店は城近くの両替商などと比べると、数段格の落ちる質屋権金貸しだった。比較的小さい額を、短期で貸し付ける。裏では金貸しのほか、後ろ暗い金を洗いにかける一連の作業の中間に位置し、出所をあいまいにするなどの作業も手がけていた。店構えはぱっとしないものの江戸、大坂、尾張にも出先があった。

 それに客は急ぎが多く、常時まとまった金をどこかに置いてあるはずだった。宮部はつねづね、襲うなら立派な店を構える両替商よりこっちの店の方が確実だ、と思っていた。ただしどんな防衛装置が隠されているかは、つきあいの長い彼にも分からなかった。

「ひざの具合はどうかね」と宮部が聞いた。

「なかなか治りませんな。ちょっと失礼させてもらいます」隠居は足を崩した。

隠居といっても、まだ髪は黒々として、肌の色つやも良い。

「新当組与力就任おめでとうございます」と、いきなり隠居が言った。

「禄も無事元に戻られたそうで」

「余計なことまで知ってるな」

「それを、役立てようとお越しなのでは」

それだけ言うと、隠居は黙った。


 うーん、と宮部は頭をしばらく掻いていたが、

「これだ」と小判を三枚出した。

 しばらくそれを見てから、「おや。大丈夫ですか」

 そう聞いた隠居に、

「ばか。新しいお頭からいただいたのだ」宮部は怒ったように言った。

「知りたいのは、今朝の殺しのことだ。死んだのは誰で、煙の一味がからんでないかどうか。入り次第教えてほしい」

「さすがに、ついさいぜんの話です。私はまだ、よそ者の盗人がまとめて殺されたとしか存じません」

「それだけ知ってりゃ大したものだ」

 ただ、と前置きして隠居は小判を指さした。

「なんだ、はっきり言えよ」

「煙相手じゃ、足りません」

「そうか。そんなに難しいのか」

「いや、怖いのです。殺されては元も子もない。あいつらなら千両出されてもごめんだ。一万ぐらいいただけるなら、それを持って本当に田舎へ隠居します」

「奴ら、殺しは好まないというぞ、今朝のはどうだか知らないが」

「そりゃ、盗みに入るお客さんに対してだけです。まあ、後ろ暗い商売で足をすくわれたくないなら、そのぐらい不気味さがないと」

「ふむ。あんたが怖がるとはな」

「煙に限らず、きょうびの盗人には、昔からの連中とはずいぶん違ったのがいます。もう、私の時代ではありませんな」と、言って隠居は自分だけが持ってきた茶をすすった。


「いまどきの連中は、湿気ていないのです」隠居は言い直した。「盗人はたいてい、湿気たところに生えるカビみたいなものです。でも、奴らは風通しを好むし、お天道さまも恐れない。お分かりになりますかな」

「なんとなく、分かるな」

「それに……」明快な隠居がわずかに言いよどんだ。

「なにかあったか」

「こいつはその手の連中に太いつながりがありそうだ、と目をつけていた奴がいました」

「どんな奴だ」

「名は、お教えできません。かいつまんで言うと、あたしらより、さらに悪い側に寄ったやつでした」

「悪い側、ね」

「昔は慎重なやつでした。ここいらから尾張、近江あたりまでつるを持ってたのかな。ところが、歳のせいか口が軽くなってしまって。特にこのごろ、大物に頼りにされて困る困るって調子の自慢めいたことをたびたび漏らしておりました。あたしらと違い、あ奴らは盗人と直接絡む事も少なくありません。その口が緩くなったら、実に危ない。大物と言っても所詮、盗人ですから。で、あたしの方も興味がありますのでね。宮部様にもご贔屓にしていただいているし」

「ありがとうよ」

「あなた様へのお祝いも兼ねて、消されないうちに一度きつい酒を飲ませて洗いざらい喋らせてやろうと、楽しみにしてたら、ぱったり消息が途絶えて」

「殺されたのか」

「分かりません。少なくともこないだ上がった土左衛門ではありませんでした」

「ふーん」

「なんででしょうな。歳を取ると人に一目置かれたいって気持ちが、抑え切れなくなるんですかな。でも盗人の、さらに上前はねてる奴ですよ。世間様から尊敬までいただこうなんて、厚かまし過ぎるとは思いませんか」

「あんたはどうなんだい」

「わたしは、僅かばかりのおあしだけで十分です。元来が慎ましい男なのです」

「へえ、そうだったのかい」

「むろんです」

 宮部がふーんという顔をしてみせると、

「愛想なしで」と、また隠居は口をつぐんだ。

 

 じゃあ一枚で勘弁してもらおうかな、と言って宮部が小判に手を出そうとすると、隠居が大きな手でそれを抑えた。

「慌てちゃいけません。ちょうど耳寄りな話がありました。殺しとは別の」

「なんだい、煙じゃないんだろう。あんたみたいな金持ちが、貧乏役人の三両ぐらいで慌てなくとも」

「いいえ、一文でもそれはそれは大事です。金の話はさておき、つねづね目障りだとおっしゃっていた夜盗どもの話です。酒呑童子とか名乗る小僧どもがいるそうですな」

「なに」宮部の顔が引き締まった。

「これは、いつもの道筋からたぐり寄せた話ではないので、三枚すべていただきますよ」

「くそ、早く話せ」

「この国の、山向こうの扇村に古い古い百姓屋があります。新田のために川替えして以来、使わなくなった所だそうですが、そこに近くあ奴らは立ち寄ります。前にもきたそうです」

「それはいつだ」

「おそらく、二、三日あと。遠くとも五日の間には。急な話でね、今日おいでにならなければ、使いをやろうかと考えておりました」

「嘘、つけ。だからまめにこなくちゃならん。ところでそいつは誰が聞き出したのだ」

「もちろん、お教えできません」

「郡方の力も借りねばならぬ。分からんでは、ちと厳しいのだ」

 隠居はまた黙った。

「退治に成功すれば、当然近くの庄屋連中から礼がもらえる。新しいお頭は、名家の出だが、下々に理解のあるお方だ。いくばくかはご配慮してもらえるかもしれんぞ」

 隠居は、ちらっと宮部の顔を見てから、言った。

「夜盗どもが馴染んだ女から、だとお思いください。そろそろ乗り換えたいそうです。もっとまともな男に」

 

 役宅に戻ると、中は静かだった。広壮な屋敷に、人数は小物をあわせても町方の四分の一に過ぎない。組頭の三浦図書は在宅していた。

 宮部は執務部屋にいた親兵衛を伴い、図書に報告に向かった。まずは昨晩の押し込みと殺しである。

「先に古田から聞いた。殺されたのは、盗賊であるのには間違いなかろう。今朝はご苦労だった。町方も含め回状の人相書きを、いま一度あらためるよう命じよう」

 そして、「盗人どもの跳梁を抑えるため、我々はこの任務についたが、足もとで盗人が大勢集い、仲間同士殺し合ったのは喜ぶべきかどうか」などと、とぼけたことを言った。

「お頭、ご相談したい事ができました。古田殿も聞いてくれ」

 宮部は隠居から聞いた話を伝えた。図書もまた、

「酒呑童子と名乗る夜盗づれについては耳にしておる」と言った。

「あたりの村の者によれば、一味は、元いた夜盗どもを蹴散らしたことから、かの地では見て見ぬ振りをするきらいがあったと聞く」だが、と図書は息を継いだ。「いまどきは気もゆるみ、結局は前の連中と同じことをしつつあるとの訴えを受けたところだ」

 先日も隣国の大百姓の家を二カ所続けて襲い、明け方近くになって追跡のものを斬り散らし悠々と引き上げた。移動中というのは本当だろうと図書は言った。

「郡奉行と計らい、かの地で待ち伏せして捕縛いたします。お下知を」宮部が言うと、一緒に親兵衛も頭を下げた。

「わかった。しかしその方らだけではない。わしも山村に入り、捕縛の指揮をとる。これ以上捨てては置けぬ。必要とあらば頭目をその場で切って捨てる」

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