第15話 逆襲 凶盗との対決
十五 逆襲
夜がきた。
空の色が深くなるにつれ風は強まり、月明かりに忙しく雲が形を変えている。
吉左は頭上に浮かび上がった雲の融通無碍な動きに、しばらくのあいだ目を奪われていた。
「舟は、目印の近くに二。今宵はたまりで」と、半次が笑みを含んだ声で言った。舟には盗んだ荷を隠せるよう、二重底になった樽が積んである。万一調べられても、上蓋をあければたまり醤油しか見えないしかけだった。
他に酒や油、味噌もある。村々を頻繁に行き交う肥桶をのせた舟に偽装するという案は、一時真剣に検討されたが、「染み出たらどうする」という左よしの悲鳴にも似た声で中止となった。
気配は感じないが、どこで牛太の手下が見張っているやもしれない。むろん、舟の用意をふくめ一連の作業も、監視されている可能性込みで行なっている。
吉左はあたりに鋭く目を配りながら、待ち合わせの場所へと歩いた。
「すまねえな佐吉、お前にこんな役をふって」
「とんでもねえ」吉左の後ろに隠れるように歩く小柄な男がかぶりをふった。
「やつらの喜びそうなものはちゃんと持ちました」と、首から下げた袋を手で持ち上げた。
「やつら、お前にどうもご執心だ。金兵衛が余計なことを漏らしたらしい、よく知りもしないくせに」
「こっちにくる時、なにかと世話になりましたが、このごろは牛みたいなのまで連れてくるようになっちまった。恩にきすぎた」と、半次がささやいて薄く笑った。「そろそろ、潮時でしょう」
「その前に、牛の奴に悪さされてなければいいがな」と吉左は言った。
月は風の動きにそって、ときどき三人を照らした。近くに彼らを見張る気配を感じながら、吉左らは待ち合わせの地蔵堂へたどり着いた。
「悪いな、頭直々のお出ましとは」悠然と牛太が待っていた。
「お前さんもな」
「お」佐吉に目を留めると、うれしそうな声をあげた。「おめえか。おめえがそろばん役かい」
「佐吉と申しやす」彼はいかにも篤実そうな様子で返事した。
「中野のおやじからつねづね、煙の一家はおめえさんで持ってると聞いていた」
「めっそうもございません」佐吉が弱々しげに首を振ると、牛太は満足そうに喉を鳴らした。
「場所はすぐだ」土左衛門のようにむくんだ顔はそのままに、黒い衣装の牛太はこの前とは違って精悍に見える。足取りも軽く、脚絆を巻いた足は引き締まって無駄な肉がついていない。自然な足取りで家々の影を渡ってゆく。
(いまどき素波あがりでもなかろうが、ただの百姓くずれではなさそうだ。京大坂を荒らしたという奴だ、油断はできない)
半次は胸の内でつぶやき、腰の一刀を見えにくいようにずらした。
牛太について歩く吉左もまた同様に考えたらしい、ちらりと半次を見やってうなずいた。
無言のまま牛太が一軒の商家にあごをしゃくった。あたりはひっそりとしている。
影を選んで近寄ると、そのまま、木戸を開けてくぐる。不審気な顔をして見る吉左らを、
「すまねえ、おおよそは済んじまってるんだ」と、言い訳しながらを引き入れる。
土間には油のにおいが漂っている。だが血のにおいはしなかった。
「手回しのいいこったな」
「ああ、いい引き込みがいてな。それにこんなのは、俺たちが慣れている」と、さっそく土間へと吉左らを案内した。
「こないだも言ったように、頼りたいのはこれからの事だ」と牛は言った。「俺たちはこの辺にはうとい。それと、この店は珍しい唐物を集めてある。ここで、その値踏みもしてもらいてえ。全部は運べねえからよ」
「店の奴らはどうした」
ああ、あいつらか、と牛太は向き直り、「奥にまとめて放り込んである」
あんたらに、始末をつけてもらってもいい、と言ってから思い出したように、
「おっと、煙は人を殺さねえんだったな」
「ひとでなしは別さ」
そうつぶやいた吉左の目のすみに、人の頭が見えた。この前にいた気味の悪い子供のような男だった。
牛太は、相変わらず機嫌がいい。軽く興奮してさえいるようだった。
「うふふ。でもな、約束だからな。もうけは五分五分だ」
「売り払うのが手間なのかい」と、吉左が尋ねる。
「そう、唐物だからな。まあ、金だけでも千はあるぜ」
「そいつは、すげえ」それほどすごくもなさそうに吉左は驚いてみせた。
奥から別の男が顔を出して、牛太の目を見た。
「半次さんだったかな」そう言いながら、牛太は奥に目線をやった。
「わりいな。あいつらと一緒に荷物を持ってきてもらえねえか。おいら力仕事はダメだ」
「わかった」
気安く請け負った半次が中庭へ移動すると、
「どうだい、もうすぐ目もくらむ面白いものを見せてやるぜ」牛太は油断なく目を吉左に送りながら、佐吉に声をかけた。
「ところであんた、元はどこぞの立派なおたなに居たらしいな。どうしてこんな道に入りなすった。さだめし、女でしくじったんだろうね」
ふふ、と牛太は自分の言葉に笑いながら、また目の隅で奥を見た。なにも音はしない。
「いえ、つまらない癖がなおらなくて」佐吉は聞こえないような声で言った。小さな肩をおとして、まるでどぶに落ちたネズミのようにしょぼくれて見える。
わざわざ土間をぐるっと回ってから、牛太は吉左に近づいた。
「なにかあったのか」と吉左は、奥が気になる様子で聞いた。
「なにもねえよ、すぐだ」さっきの気味の悪い子供の顔が、吉左のそばまで出てきて言った。
「思ったより荷が重いんだよ。あんたらを頼んでよかった、よかった」
牛太は笑みを浮かべながら吉左に向き直った。そして、奥の暗闇に視線を注ぎ続ける吉左を二人で挟んだ。
「そうかい、佐吉。悪い手癖かい。盗人ならそのぐらいかまわねえんじゃねえかい。なあお頭」
口を動かし続ける牛太の袖からするりと光るものが手に落ちた。吉左と目が合う。牛太はそのまま踏み込み、厚みのある身体を吉左にぶつけようとしたが、急に動きはとまった。
「てめえ」のけぞる牛太は、肩越しにうしろを見ようとした。「なにしやがる」
肉のつまった彼の身体に、小柄な佐吉が潜り込むように胸と腕を押し付けていた。牛太の背中に小さな刃物が半ば以上埋め込まれている。口元が裂けそうなほど笑みを浮かべた佐吉が木製の柄を押しつつ捻ると、牛太は悲鳴を上げた。
「癖ってのは、こっちの方でさ。気に食わない奴をやり過ぎたのさ」
佐吉はさらに刃物を押し込み、抜いてはまた刺すことを繰り返した。
「かしら」気味の悪い小男が、自分も悲鳴のような声をあげながら帯に手挟んだ匕首を抜いた。しかし、吉左に手首をつかまれて押し返され、そのまま自分の匕首で心臓を刺し貫かれた。
崩れ落ちる男を離すと、吉左はその匕首をもぎ取って振り返り、
「入るなり、ってのは焦り過ぎだぜ」と言いつつ正面から牛太の腹をえぐった。
傷ついた盗賊はウシガエルのような声を上げて弱々しく刃物をひらめかした。奥から数人が出てきたのを見て、わずかに目を輝かすが、すぐに無念の顔に変わった。
「ふん。もそっとましなのを雇え」血刀を下げた半次だった。そのあとに右よしと猿が続いた。右よしは、
「ありゃ、そちらさんがあの有名な牛太の親分。こりゃどうも、はじめまして。それじゃさようなら」と、明るく言った。
「ふざけやがって」それでも牛太はまだ、土間に立ち続けていた。
「ああ、もちろんこっちも待たせてもらってたよ」こともなげに半次が言った。「俺たちの方がずっと先にきてたのさ。あんたら、盗みの手際は悪くはねえが他はさっぱりだ」
「悪いな、牛太さんよ」吉左は血の気を失いはじめた牛太の顔を見ながら言った。「罠というのは読んでたが、逃げる気はなかった。やり口が気に入らなさ過ぎるんでな。それに」ちらっと、外の方を見やって言った。
「烏と言ったか、あの見張りの男からもいろいろ聞いたよ。ますますほっとけやしない」
「なんだと」
「あんた、あいつをずいぶんと気の毒な目に合わせてたな。人扱いされないって、嘆いてたぜ」
右よしが嬉しそうに話に加わった。
牛太が声にならない声をあげながら手を懐に入れ、前に突き出した。吉左らは左右に分かれた。牛太の手から先のとがった鉄製の鏃のようなものがこぼれた。
もう投げつける力はないようだった。
宙を掻きむしってから膝をつき、彼はかすれ声で言った。
「くそ。裏切ってやがったのか、あの野郎」
「そりゃ無理もないぜ」右よしは膝をかがめ、いまは地面にのびてしまった牛太に言った。
「四人ばかり隠してたあんたの手下、みな先に逝ってもらったよ。悪かったな、あんたみてえな頭に付いてきた気のいい連中をばらしちゃってよ。それに」と、佐吉を見た。「こいつ仕事はできるが、見たようになかなか難しい所のある奴でさ」
「あたしを使えるのは煙のお頭だけだ」佐吉がもっともらしい顔をしてうなずいた。
「ぐそ」と言ったのが牛太の最後だった。動かなくなったのをしばらく見下ろす。
「奥の奴らはうまく始末できたかい」
「さすが半次さん、目にも留まらぬ居合の早業ってえ奴でした。手を出す暇もなかった」
右よしが感に堪えないという面持ちで褒めた。
「お恥ずかしい。それより、昔聞いた一味の利け者が、仲間割れで引いたからこのぐらいで済んだのでしょう」
「いや、危ない目に合わせたな」
「始末はどうします」
「そのままにしておけ。店の者はどうした」
「おれたちが血のにおいを嗅いで、怪しむのを避けたのでしょう。猿ぐつわをかまして転がしてました。このへんの手際はなかなかだった。まだそのままにしてあります。朝まで置いといても大丈夫でしょう」
「子供は」
「いますが、もう漏らしちまってます」
「それは、遅かったな」五人は断末魔の形相のままの牛太を見下ろしながら笑うと、奥の部屋をあらために行った。
一番最後まで残った佐吉は、牛太の死骸に対し、
「金については、あたしはびた一文ごまかしたりしねえよ」とだけ言うと、他の者を追いかけた。
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