第13話 凶盗「筒井の牛太」    

 十三 接触


 このところ、暇を見つけては、吉左はよく日中に出歩くようになった。

もともと、日の下で店を冷やかすのは嫌いではないし、出会った人と上っ面だけの会話を交わすのも苦痛にならなかった。

 この国にも、日が暮れてから活気づく町はいくつかあった。彼らの根城近くにもある。五色町という名で知られるその場所では、夜になれば酒や肴が供され田舎なりに白粉のにおいを嗅ぐこともできた。ただ、彼は自ら進んで足を踏み入れようとはしなかった。

 

 夜は彼にとって仕事の時間だ。神経を研ぎすませ、あらゆる状況に瞬間的に的確な反応を行う。

だから、五色町はどうにも落ち着けなかった。飲むとどうしても口が軽くなり、注意力を失う。夜の闇の、さらにその影をはい回る彼らにとって、いらぬおしゃべりは命取りにもなりかねない。それに、夜のにぎわいは、かつてのもの悲しい思い出と切り離せない。

ひとり放浪していたころに、しばらく身を置いてつぶさに見た夜の世界は、気の毒な女子供が多すぎた。

(つらい目にあう奴は、昼も夜も変わりなくいる。それでも、夜は寝ている方がいい)

 また、影の仕事が軌道に乗り、夜間活動を基準にものを考えはじめると、ますます日の下で物商いでもやりたいという気持ちが強まっていく。

この矛盾する感覚には、彼もまいっていた。夜の申し子のような吉左なのに、夜を嫌っているのは、自己嫌悪としかいいようがない。

(けどな)と彼は考える。(これは仕方ないさ。だいたいおれは、両替屋あがりなんだ。あそこじゃ夜はさっさと寝るもんだった)

 だが、彼を慕う手下どもは、いまの暮らしが楽しくて仕方ないらしい。吉左の憂いには、だれも気づかずじまいであった。

 

 細かく走る水路をたしかめつつ、印象に残らないほどほどの速さで吉左は町を歩いた。地味な衣装とはいえ、長身が人の目に残らないのは彼の才能であった。

 立ち寄り先での気に入りは、武家屋敷の多くある地域にも近い、静かな萩町の餅菓子屋だった。

 古い稲荷のそばにあるその店は、婆さんと呼ぶにはまだ間のある女と娘らしい女が営んでいる。大した人通りもないのに夕方にはたいてい売り切ってしまう。

 店では客にひなびた味の茶を飲ませるが、長居するのは年寄りばかり。働き盛りの男が長居する店ではなかった。

 お愛想どころか店主はめったに喋らない。そのうえ鬼でも取りひしぎそうな巨躯だった。おまけに肝心の娘の方は、顔立ちは整っていても眼がきつく、たまに口を開けばひどく乱暴な口をきく。吉左の趣味にはめったにけちをつけない半次でさえ、

「あれじゃ看板娘とは言えませんよ。ご府内じゃあり得ない」と閉口するほどだった。だが、吉左はいっこう気にする様子もなく、日を置かずに通っていた。

かよという名の娘は、吉左の顔を覚えると、彼にも平気で皮肉を言った。

「大の男が毎日昼過ぎに茶を飲めるなんて、まるでお侍みたいないい仕事してるんだね」   

 すると吉左は、旅籠で朝飯の番をやっているとすまして答えた。

「うちじゃ女は呼ばないから、お客はたいてい暗いうちには発つ。そのあと念入りに掃除をしても、昼間のほとんどの仕事は朝のうちに終わっちまう」

 その言い訳を聞いて、かよは神経質そうな眉を少ししかめたが、どうも受け入れたらしい。このところは甘党の男についての悪口を聞かせてくれる。


 実際、吉左たちの表向きの生業は小さな商人宿であった。

 街道から少し外れた目立たない建屋を居抜きで手に入れ、そこを根城にした。

 儲ける気などなかったが、差配を任せた左よしが怖い顔に似合わぬ癇性な清潔好きだった。

 毎日部屋の掃除を徹底し、晴れれば必ず夜具を干させる。厠など顔の映るほど磨きあげた。そのうち、静かで蚤に食われぬ宿だとの評判が伝わって、わざわざ泊まりに来る客が途切れない。このごろは遊山の客まで泊まりに来て、部屋割りに少々困るほどだった。

 今日もゆっくりあぶり餅を食べようとした吉左に、店の外から申し訳なさそうな顔の半次が合図した。

 吉左は気に入りの店に手下が出入りするのを嫌った。

 落ち着いて独り思案するためもあるが、当たり前ながらみな目つき顔つきが悪すぎ、とても堅気には見えない。唯一の例外が半次だった。知的だし、もの堅い商家の番頭ぐらいには見えたが、それでも彼の意向を尊重して、陽のあるうちに同席することはめったになかった。今日はよほど急ぐ理由があるのだろう。

 出てきた吉左を稲荷社の陰へと誘ってから、半次は伝えた。

「古着屋から知らせです。金兵衛さんがぜひ、今日のうちにお頭に会いたいとねばってるそうで。ついに大声を出したそうです」

「仕様のねえおじさんだ」

 古着屋というのは吉左たちのもう一つの根城だった。金兵衛には、その店だけ教えてある。「しかし急な話だな。この前の件か」

「ええ、相手が急いているらしい」と半次は言った。

「ただ、おおよその話しを聞いても、とてもすっきり受け取れません」

吉左が目でうながすと、半次は続けた。

「もちろん詳しく打ち明けはしませんが、相手は押し込みをやりたいようです。このあたりに慣れた私らに手を借せとの頼みとか」

「それで」

「必ずお頭と私、それに値踏みや金勘定のできるのを一緒に連れてこいとぬかしたそうです」

 みえみえじゃありませんか、と言う半次に吉左はうなずいた。

「金兵衛さんは肩入れして下さるが、自分で思うほど頭の切れる人じゃねえ。相手は例の牛です。おそらく、あたしらを始末して、のっとるつもりでしょう」

 牛というのは、筒井の牛太という名で知られる盗賊集団の頭目である。大坂や尾張で連続して大商家を襲い、一時はやり手として名を売った男だった。

「牛のところで手下を束ねてた男が、出ていったという話があったな」

「そのようです」

「盗人の知恵者といってもたかが知れているが、目端のきくのが逃げて焦ってるのだろう」

「ええ。それに奴らが名を売ったあたりは、すっかり取り締まりがひどくなったと聞きます。戻るのも難しいのでしょう」

「分かった。中野のに話しを聞き、会う段取りをつけさせよう。人相を見たあとは、いつものように跡をつける」

「もちろん、牛が噂に聞くほどの奴なら、こっちにも同じことをするでしょう」と、半次が笑った。「上手か下手かはしらないが」

「ああ、おれたちはひと通りあたりを探るふりだけして、あとは古着屋にでもそいつらを引きよせる」吉左は考えている風だったが顔を上げ、「その後は、出た目次第だな」と言った。


 金兵衛が指定した店は、外観が廃屋のようにみすぼらしく、まっとうな侍など絶対に近づきそうもない店構えだった。中に入ると思ったより広い。席は細かく区切られ、小さな座敷さえあった。客はそこそこにいるが、どれも懐が豊かには見えない。

「あの人の馴染みそうな店だ」半次がささやくと吉左は、

「火が出たらことだな」とだけ言って笑った。

 部屋数の割に働き手が少ない。女中どもはせかせかと動き回っていた。

 なかでも癇癖そうな女が、手際の悪いまだ子供のような小女をしかりとばしている。

「こんな店は、やっぱり性に合わねえな」

 吉左がつぶやくのを、半次はだまって聞いていた。

 

 通されたのは、隅にある汚い障子で薄暗くくぎられた場所だった。水っぽい酒と塩辛い干し魚のむこうに並ぶ顔は、さすがに見ものだった。

 牛太は、名前通り太い首に大きな顔の乗った四十がらみの男で、目つきもどこを見ているかわからない。連れは、なりは小さく妙ににこやかな、老けた子供のような男だった。

「いや、今日はお互い、滅多にない機会で」中野の金兵衛は、肉が薄くほお骨の目立つ顔に精一杯の笑みを浮かべ、「まずは、ゆっくりやってくだせえ」と、牛太らと吉左らを交互に見た。それぞれの顔が薄暗い部屋に並んでいるのは、

(まるで土左衛門に餓鬼に、そう、寺じゃなくて地獄の小坊主かな)

すさまじい顔に馴れている半次さえ、その悪相ぶりに感心した。

「……そうだな、これだけの面子が顔を合わせてるなんて、捕方が知ったら、どれだけ喜ぶことか」牛太は顔に似合わぬ柔和な声をしていた。

「いつもあんたは、おもしろいことを言う」金兵衛が無理に笑ってみせた。

「そういや」と金兵衛は続けた。「城に盗賊方ができたのは、知ってなさるか。その新しい頭が寺に来るというので見に行ったのさ」ぐい、と酒を口に含むと骨張った顔を崩した。

「それがさ、いかにも千石取りってぼんやりした男でね。図体はえらく大きかったな」

「へえ」だれも相づちを打たないので、仕方なく半次が返事をした。

「そばによ、これまた陰間みたいなほっそりしたのがいて、そっちの毛かと思ったら、あとでそれが捕り方をするらしいと聞いた時は、笑ったね」

 

 吉左は一瞬、無表情に金兵衛の顔を見た。それがなにを意味しているか理解しているのは、半次だけだった。

 期待した反応を得られず、困った顔のままで金兵衛は笑った。かまわず牛太は卓の上に太い腕を乗せ、いきなり話をはじめた。

「まさか、こんなすぐに評判の煙の一家に会えるとは思わなかったぜ。礼をいうよ金兵衛さん。ま、お頭その人か身代わりかは、いまもって分からないけどよ」

うろたえる金兵衛の傍らで、吉左と半次は何も言わず、目を光らせただけだった。

「ふふん。そのすごみじゃ、おそらく本物か、それに近いのだろうな」

上機嫌で牛太は言った。となりの老けた子供みたいなのは、声も出さず笑っているだけだった。

「おれたちは偉くもねえし、雲の上の人でもねえ。ただのこそ泥だよ」半次が抑えた口調で言った。

「もちろん、やすやすとは顔を出さねえが、そこの」と言って半次は顔面にびっしり汗をかいている金兵衛にあごをしゃくった。

「中野の旦那さんを信じてきただけだ」言いつつも、顔を立てるのはそろそろにしたいと半次は頭の中で考えている。

 牛太は無言でうなずいた。

「それじゃ早くすませようか。お互い忙しいからな」

 狙いをつけているのは、ため込んでいると噂の商人とのことであったが、詳細までは明らかにしなかった。

「今夜は話すつもりがないのかい。それともずっとか」

「怒るなよ。ずっとじゃねえ」牛太は弁解した。「先んじて押し込む店については調べたよ。ここはいい所のようだ。だがな、おれたちはまだ余所者。馴れた上方みたいには行かねえ。そこでよ、煙のように消えるというあんたらの力を借りてえと思いついた。知っての通り、俺たちの一家から人が少々減ったせいもある。そう、頼みたいのはまさしく金子運びとその後の雲隠れさ」

 ここまで牛太は一気にしゃべってから、

「あんた、なかなか良い男だ」と吉左を見た。「泥棒にしては目立つな、まあいい。おれたちのねらいは二千、いや三千は堅い。ぱっと消えるのに力を貸してくれねえか」

「あまり人様に逃げ方を教えたことはねえんだが」

「いや。あんたらは人と組むのが上手だと聞いている。そして、決して裏切ったりしねえとな」

「褒めてもらって、ありがたいね」と、半次が言った。

「借りたいのは三人ばかし。それと、舟だ。ただ、必ずあんたらと値踏みのできる一人を連れてきてもらいたい」

 ふむ、という表情で見た吉左に牛は、「わけまえは半分だ」と付け加えた。

「気前のいいことだ」

「なに、これが終わりじゃあねえ。ここいらでいくつか上手くやって、今度は江戸にでも繰りこもうと考えている。それには金がいるし、人手もいる。だが仕込みの金は、おれは惜しまねえ」

「なるほど。だからこそ大きな商いもできるってことか」

「ふふふ、あんたらが気に入った。長く仲良くしようぜ」

 すると唐突に、牛太の横にいた小男が尋ねた。

「なんで、煙の一家って呼び名が付いたんだい」

「気になるかい」

「ああ。火付けでもするのかね」

 そりゃ、姿を消すのがうまいから、と金兵衛が口を挟んだのを吉左が制した。

「昔、仲の良かったやつが、どこぞで見た煙って盗人の出る芝居が気に入ってたんだ。おれが決めたわけじゃない」

「そいつはどうなった」

「死んじまった」

 ふうん、と小男は気味の悪い大きな目で吉左と半次をじろじろと見た。吉左は腹の中で、彼らに言った。

(この座りの悪い吉左って名前も、そいつが好きな芝居からさ。面白い奴だったが、あんたらみたいな人をはなから騙そうとする奴に、殺されたんだよ)


 牛太と分かれると、月の光が路上を照らしていた。今夜は雲が少ない。

 店の裏側では、さっきの小女が片付けをさせられていた。まよわず吉左は近寄って声をかけた。そして、おびえた表情で見上げる彼女に、

「甘いものでも買え」と、金の入った小さな包みを渡した。

 小女は立ち竦んだままだった。

「俺はきれい事ばかりだな」歩き出した吉左は半次に言った。

「なに、わたしらが野ざらしになっていたら、花のひとつでも手向けてくれるかも知れません」

 二人は人通りの失せた道を、宿屋とは反対側にある古着屋に向けて進んだ。彼らが動くと同時に、影もひっそりと動き出した。時に彼らを追い越し、またもどってゆく。半次が前を見たままささやいてよこした。

「そうと分かっていないと、気づかなかったでしょう。大した奴です」

 二人のあとを静かに追う影は、おそろしく身が軽く、屋根ぐらいまたたくまに乗り越えてしまう。二人はひさしぶりに外部の技に感心し、まるでなにか人外のもののけに追われる気になってくるな、と言い交わした。吉左は言った。

「いけ好かないやり口とはいえ、あれだけの働きをした奴らだ。気の利いた手下の一人や二人は抱えているだろう」

「とりあえずこのまま帰って、あとは、猿たちに任せましょう」半次はそう返事した。


「ああ、辛気くさい顔だった。あれ、ほんとに煙かな」牛太につきそう小男が甲高い声で言った。いつのまにか店とは反対側の通りに出ている。

「ふふん、だからおまえはいけねえ。あの二人、相当な場数を踏んでることぐらいは、すぐ察しがつかないとな」

「でも、烏には気づかないだろうね」

 顔を見合わせて笑うと、牛太らは歩き出した。それを追って、小さな影が動いた。二人とも幾度となくあたりの様子をうかがってはいたが、影の素早い動きはそれを上回った。ましてや、吉左らによって影がはじめから自分たちに張り付いていることには、気づきもしなかった。

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