第12話 盗賊改「新当組」始動

 十二  始動


「あれは失敗であった」腕を組んだまま宮部源次郎が言った。

 彼のまわりを八人ほどの男と真新しい調度品が取り囲んでいる。これが生まれ変わった新当組の与力同心に選ばれた面々だった。組頭である三浦図書の拝領屋敷は新当組の役宅へと改装され、奥座敷は与力同心の執務室へと充てられた。与力同心以外は、別の部屋が割り当てられている。そちらも町方に比べると人数は少なめだった。

 しかめっ面をした宮部の前には書役の大野と近藤、そして外回りの一宮と涌井、島と鵜飼が座していた。みな同心身分だった。胡座をかく宮部の横には、同じく与力の古田親兵衛が姿勢よく座っている。

「二、三日前にばあさんがへそくっていた銭二百文ほどが見当たらぬと、番屋を通り越して孫だとぬかす小僧が届けにきおった。それがどうも人を小馬鹿にした顔つきで、つい大きな声を上げ追い返してしまった。以来だれもこぬ」

 一様に歳の若い同心たちは、笑っていいのかうなずくべきか、どうにも決めかねている。

「長屋の泥棒ざたでも、ぼけたばあさんの繰り言でも、暇ならじっくり聞くつもりでおらねばならん。自然ともっと大きな話が入ってくるものだ。わしとしたことがな」

 親兵衛がもっともらしい顔でうなずくのを見て、同心たちもそれに合わせることにした。

 代々の町方与力で、犯罪捜査への度を超した執着を知る人も多かった宮部だけに、新造の組では自然、捜査の指揮を執ることになった。相役の親兵衛もまた、あたりまえに彼を立てる態度を見せるため同心たちもいやおうなく従っている。

「届けもなければ、とりあえずは詮議すべき盗賊も見当たらん。そこでだ」宮部は言った。

「この際だから組の為すべきことをおさらいしたい」

 宮部が語るのを、組頭の三浦も仏間を改装した隣室から興味深げに聞いていた。なにごとかとのぞいた中間の先助を手で差し招くと、とどまって聞いておくように命じた。

「まずわしの思うところ、これはお頭もそうと信じるが、町方の手に負えぬ盗賊や火付け、あるいは人死にが絡む事件ならわしらの領分となる」

 平たくいえば捕まれば重罪なのがそうだと、宮部は嬉しそうに言った。

「番屋の連中などさっそくおれたちを盗賊方と呼びはじめたようだな。しかし、自覚しておかなければならないのは」彼は若い同心たちの顔を見回した。

「町方の相手はいわば素人。わしらは玄人が相手だ」

 しばらく待ったが、返事は戻ってこなかった。同心たちの顔からなにも読みとることはできない。

(わかってるのかわからんのか、それがわからん。中でも外回りの四人の顔は何だ。ぼんやりしやがって)そう宮部は胸中で毒づいた。

(百歩ゆずって、涌井と島ならまだわかる。やつらは十七、八からずっと元の新当組でかかしだったのだからな)

 宮部の不快感は一宮と鵜飼の方に向いた。

(しかし、こいつらは短い間ながら町方と郡方におったはずだ。世間のにおいぐらい嗅いでいたはずだろう) 

 見かねた親兵衛が、玄人ならば博徒のような連中はどう見るべきかと尋ねた。

「場合にもよるが」としながらも宮部は、博打や詐欺、かどわかしも将来的な捜査対象にすべきだろうと言った。そして、

「賭場は、甘く見てはならぬ」と続けた。「場所は寺か百姓屋と相場が決まっておるので、雑事は要領よく寺方や郡方に任せばいい。とはいえ、愚かな盗人はせっかく得た金を博打で瞬く間に散じたり、もめ事を起こす。あそこに気脈を通じておくと何かと役に立つ」。

(いきなりこいつらを賭場にやるわけにはいかんな。危なっかしい。その点、町方は曲がりなりにも申し伝えがあった。手間のかかることだ)、

 などと思いながら宮部は、江戸表に行ったものはいるかと尋ねた。そして、答えを待たず、

「幸い江戸や関八州にあると聞く大げさな賭場は、ここらでは見当たらん。けちけちした小遣い稼ぎがほとんどだ。ただし、今のところ」そして、もう一度芝居っけたっぷりに部下たちを見回した。調子が出てきたようだった。

「このごろのように市中に金が回ると、大勢の集まる賭場ができぬとも限らん。時に町方や郡方に話を聞き、忘れず目を光らせておかねばな」

 同心たちからはまだ声が返ってこなかった。

「宮部殿」と、また親兵衛が穏やかに尋ねた。

「遺憾ながら我々は、貴殿から見れば素人。ここはどうしても頼らざるを得ぬ」と前置きし、「頼りついでに我々が最も気にかけるべきこと、追うべき相手をご教示下さらぬか」と宮部の顔を見た。

「よくぞ聞いてくだすった」我が意を得たりと、宮部はにやり笑って続けた。

「小物はさておき噂を含め大物を、教えて進ぜよう。ここ十年、いやせいぜい五年か。目立って国の内外に増えてきたのが夜盗の群れじゃ」と風呂敷から手製の綴りを取り出してきた。

「夜盗の群れならかつては関八州と相場が決まっていたが」宮部は楽しげに綴りを開いて指し示した。「見よ、このところ国の周囲で江戸なみの働きを示す盗賊が増えつつある」綴りには、かなり前からの内外での盗みが起こった月日とその被害額が記されてあった。

「荒いつくりでも、結構役に立つ」と、今度は皆の前に綴りをひらひらさせた。そして、報告書類は遅れても手製の覚え書きは思いついた時にすぐ付けておくのだ、と言った。

 彼の説明によると、いま国に迫りつつある盗賊は裕福な百姓などを大勢で襲う夜盗、百姓商家を問わず人数を持って暴力的に行う押し込み、そしてもっぱら少人数で気づかれずに商家などに忍び込む偸盗に分けられるという。

「夜盗なんてのは元亀天正の、もっと前からいるわけだが、偉そうなことを抜かしても国境を行ったり来たり、姑息な連中だ」

 そして郡奉行配下だった鵜飼に「山際でこの一年ほど、酒呑童子を気取る阿呆がいるそうだな」と尋ねた。「はい、追いかけてもすぐ隣国や天領に入り、手が出せませぬ」

「うむ。そのうち目にものを見せねばならぬ。で、押し込みの方だが」と、続けた。彼らは迅速に移動し平気で人を殺傷して証拠を消すので、こちらも跡が追えない。

「人は増えて商いは盛んだし、もともと宿場なのでよそ者をじろじろ見たりせぬ。おまけに舟の便がよく使い放題だ。まさに泥棒に入れと頼んでいるような国柄だ」

 若い同心たちは宮部の露骨な言葉に困った顔をした。

「だから、わしらがいるのだ」宮部は力を込めた。

「このごろは江戸大坂の取り締まりが厳しいらしく、こちらで小商いにはげもうとする盗人が増えておる」。だから新任の奉行に取り締まり強化を進言し、情報収集の必要性も訴えたが興味を示さなかった。むしろこちらを忌避するようになった。「それで仕方なく自前でやっていたら、この始末だ」

 町奉行と宮部の間に起こった一連のいさかいの経緯を、おぼろげながら知る一宮はうつむいた。

「お頭は違う」宮部はひとりうなずいた。「必要なものは古田殿を通じて遠慮せず申せとおっしゃる」

 隣室の図書がにっこりした。

「あと、舟だが、船方に追いやられたのを機会にうるさく取り締まってみたが、どうにも難しい。隠すのは容易で、探す方は人手がいくらあっても足りん」

 まあこれは、おいおい船方とも話そう、と宮部は言った。

「もうひとつ。もっぱら単独で朝まで気づかれずに盗み取る連中がいる」

 ようやく、一宮がうなずいてみせた。この種の捜査は手伝ったことがあるらしい。

「こっちは」と宮部は続けた。かつては一人ないし少人数の仕業が多く、被害もそれほど大げさではなかった。どちらかといえば、夜中に山向こうで庄屋の倉が破られる事件の方が被害額は多かった。「しかし、このごろ気になる動きがある。いままでの枠からはみ出るやつらだ」

 そして、「おまえ、知っているか」と一宮を指した。「この前、川沿いの倉がごっそりやられたろ」

「はあ。佐野屋は八百両ほどと申していたようですが、実は倍はやられたのではと」

「そうだ。あれだ。あれは煙一味の仕業ではないかと、わしはうたがっている」

「煙でございますか」黙っていた島が声をあげた。

「お、知ってるか」

「いえ、おかしな名だなと」

「なんだ。喜ばせるな。煙というのはな、簡単に言えば、さっと群れてぱっと消える連中のことだ」

 もう五年以上前、宮部は短い期間江戸詰になったことがあった。その際、雲が湧くように多数で押し寄せ、煙のようにすばやく跡形もなく姿を消す盗賊が噂になっていた。

「実はそのあと、あまり江戸での噂を聞かなくなった。で、わしは煙がこの付近に根城を移したのかも知れぬと気になっている。なあんの根拠もない。なぜこんな田舎に来たのかも分からない。勘がそう胸をつつくだけだ」と、ひとりまたうなずいた。

「ともあれ、どれも捕まえるのに近道があるわけではない。うんざりする地味な動きを、この人数でしなければならないのだけは、確かなことだ」。

 とまで言って、「ついでに、ここで教えておこう」彼はにやりと笑った。

「いいか、おれたちのできることは、先んじて防ぐことだ」

 けげんそうな顔をした一同にむかって宮部は続けた。「起こったことを調べるのは、もちろん大切だ。しかし、それを遅滞なくこなすには、組には気の利いた十手持ちも、こちらを信用してくれる内通者も足らん。つまりそっちは町方の間借りだ。むろん手札を少しずつ増やさねばならぬが、さしあたって必要なのは自らの脚で町を回りなにかないか番屋を尋ねること。つまり新番組のあることを知らしめねばならん。そうすれば、盗賊も盗みの前に、ちらっと嫌な気分になりしくじりが増えるというものだ」

 そういうものか、と信じるのが半分、疑わしいのが半分といった顔の同心たちに、

(こいつら、あまり煽ったら盗賊の一味を語る奴に金をだましとられるだろうな)と思いながら、宮部はまだ続けた。「そのためもあって、お前らそれぞれに中間などご無用と、お頭にはお願いしておいた。江戸表では町方同心といえば着流しで中間を連れて歩いているようだが、しょせんはこんなに小さな国だ。いらん」隣室の三浦が今度は苦笑した。

「必要ならば溜まりにいてくれる者を頼め。あとはおのれで考えおのれでせっせと歩け」

 そしてようやく、傍らに控えている親兵衛をみやると、

「古田殿、なにか付け足すことは」

「いや、拙者も感服つかまつった。本日ただいまより、自ら歩くことをはじめましょうぞ」 

 うむ、と宮部もうなずいた。組の立ち上げに際し親兵衛が見せた目覚ましい事務処理能力と的確な提案に、彼をいたく信用するようになっていた。

 ころ合いを見て、「まさに、宮部の申す通り。わしも異論はない」と三浦図書が声をかけた。

 同心部屋にいたものから、奥の中間部屋から通りかかったものまで、一斉に平伏した。

「よい」と、図書は鷹揚に声をかけ、

「もともとあったとはいえ、今の新当組はまったく中身をあらためた。まさに一からはじめるのと同じこと。その方らも目には見えない苦労に悩まされるであろう」

「恐れ入ります」

「わし自身もまだ戸惑いは多い。そこでだ」

「は」

「宮部、古田には相談もなく悪かったが、寺社奉行から合力の要請のあった任務を、受けることにしてまいった。まずはこれなどこなして、一日も早く慣れてくれ」

「中身は、どのようなことでございましょうか」聞いた宮部に、

「さきほど、おぬしが言っておったひとつだ」

「は」

「古寺で賭場の手入れよ」

「なんと」

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