第8話 仲間を探す

 八 仲間


 雨は霧のように細かく降り注ぎ、川面を白く濁らせている。少し離れると行き交う船がかすんで見える。

「それでも舟は減りませぬな」先助がつぶやくように言った。

 三浦図書と供の先助、庄助は、茶店の軒下で雨宿りをするような格好のまま、ずっと座っていた。 

 運河のそばに船乗りや水主をあてにした茶店や飯屋が増えていた。彼らが座っているのは一番大きな茶店で、歴とした一軒家になっている。そこそこ見晴らしがよく、今日のような監視仕事にはぴったりだった。先にたっぷり心付けを渡しているので、邪魔にされる気遣いはない。


「そりゃ川番所でもいちいち調べておれんわな。ああ暇だ。こう暇だと、わしらもすっかり怠け者になっちまう」

 二人の供のうち、年かさの庄助がどこか楽しげにため息をついてみせた。

「そう申すな。先助は夜も見張りを続けてくれておるのだぞ」

 ここ数日、図書は与力候補者をひそかに見てまわった。

 勤務状況や人となりなどは横目付から詳しい情報が入るが、「自分なりに得心したい」という図書に、彼に仕える二人がずっとつきあっている。

 今日は川奉行の配下である宮部源次郎を探りに来ていた。以前は練達の町方与力で、候補者の筆頭だ。彼らはとびとびに宮部の様子を見続けていた。宮部が日常詰めている川番所は、夜遅くに臨検が多いと聞き、先日など先助は徹夜して仕事ぶりを探っていた。

「まあ、ゆんべみたいに野っ原で棒切れ振り回しているのを見続けるのも、考えものだ。それに」と庄助は遠慮なく言った。「目当ての吉野って人は、なりは立派だったが、どうもいけなかったな」 

「どこが、いけなかった」と図書が尋ねた。

「剣術のうまいへたは知らんけど、心根が良くなさそうだ。若もそうは思わなかったかね」

「ふむ」

 

 昨日は午後一杯、馬廻組の野稽古を眺めていた。吉野は一刀流の遣い手として家中で知られ、気性もまっすぐで不正を嫌うという報告がされていた。

「棒っ切れを振り回すのは上手でも、後がいけねえ。ほれ、どこぞの小童が前を横切っただけで、血相変えて怒ってたろ。どうも、おけつの穴の小せえお人ではないかね」

「それは言い過ぎというものではないでしょうか」

 二十歳になったばかりの若い先助が、横目で川を見ながら突っかかる。

「吉野様は、万事手続きをおろそかになさらず、評判も上々と聞きます」

「そうだな。先助」図書も言った。「確かに吉野は剣も達者で不正を憎み、組でも一目置かれているようだ」

「はい」と先助は嬉しそうに返事した。

「だがな、新当組は時に人を裁くことも必要となる」

「はい」

「これはな、先助。わし自身を顧みての言葉でもあるのだ。抜きん出た剣技を身につけた者は、得てして情や恕の心に欠けることが多い」

「……はい」

「いや、法を峻厳に守る心が不要だというのではない。いま宮部を見ているのは、彼の者にそれがあるかを確かめようとするためなのは、お前も存じておろう」

 だがな、と図書は続けた。「およそ人のつくった法やしくみというものは、いくら知恵を絞り、理においては正しくとも、あまりに人情から遠ければ、弊に坐し凶をまねくものだ。それを使う者もまた、同じこと。それに頭が固いのとお前のような気性の直ぐな者とは全く違う。わしはそれを確かめたいのだ」

 褒められたのだと気づき、照れる先助に庄助は、

「お前みたいにしゃれの通じないのもなんだな」と冷やかしの言葉を送った。

 むっとして向き直る先助を、「ほれ、ちゃんと見とらんか」とからかう。


 庄助は、これまでより大型の船が進んでいくのを指差し、

「あれは、さぞかし怪しい荷物を載せてるのだろう」と無責任なことを言った。

 ふたたび川番所を向きながら先助は、

「せっかく殿様に大事をうちあけていただき、お手伝いさせていただいているというのに、もっと精励すればどうです」と口答えした。

「大事というならな」と庄助も言い返した。

「若のご生涯最初の大粗相にも、おれは居合わせたよ。亡くなられたおお殿様の玉顔に、早速ゆばりをおかけなすった」

 隣で図書が苦笑した。庄助は調子に乗ったように、

「若が蓮弥さま若年のみぎりの御手習いに、渦巻きを書き足された大事も、おれがうやむやにした」

「蓮弥さまとは、一体どなたです」

「先の殿様の末の弟君であらせられるよ。出家されて京のどっか大きな寺にいらっしゃるはずだ」

 図書は笑いながら「これはわしの生まれる前から家におり、都合の悪いことは皆知っておる。許してやってくれ」

「はあ、しかし」

「ほい、誰か出てきたぞ」庄助が言うと、ふたりともそちらを向いた。


 ちょうど外堀へとつながるあたりの水路の横に、川番所が設けられている。その前を荷物を満載して通過しようとした一艘が、強制的に停止させられたようだった。さっきの大きい船のようだ。

「あれ。いま出てきたのは、お目当ての方ではないか」

「うむ。そうらしい」

 雨はまだ柔らかく降り続いていた。その中で船頭と番所から出てきた小物が言い合うところに、なにも雨具をつけない武士が出てきて加わった。

 がっしりした体つきで、意思の強そうな顔をした中年男だった。目当ての宮部源次郎だ。船頭の話をしばらく聞いていたが、それを遮ると小物たちに荷物の調査を命じた。

 慌てた船頭は、しばらく宮部にまとわり付くように話しかけていたが、ちらちらとあたりを確かめたあと、他の目が届かなそうなところに相手を誘導した。図書らからは上半身だけが見えている。

「おや、わかりやすい。袖の下を出しよるぞ」

 庄助が嬉しそうにいった。

 まだ若く見える船頭は、頭を下げながらたもとから何かを出し、こっそりと渡そうにした。

 すると、背筋を伸ばしなおした宮部が大喝したのがわかった。

 雨で声までは聞こえないが、かなりの迫力なのは間違いない。他の者が駆け寄り、船頭の頭は見えなくなった。腰を抜かしたらしかった。

 宮部は、腕を上げたり振り回したりしている。集まってきた男たちを制し、調べの続行を命じたようだった。船の上が騒がしくなった。


「殿のお見込み通り、世評とは裏腹の清廉な方だったようです」

 感激したようにその光景に見入る先助を横目に、庄助が小声で聞いた。

「若、仕込みなすったな」

 図書はそれには答えず、

「ただ一度のことで人を決めつけるのは愚かだが、目安にはなるだろう」

 そして、もう一度川番所の騒ぎに目をやると、

「あとで川奉行に人をやって、船頭を貰い受けねばならぬな」と言った。


 夕暮れの近づいた雨上がりの町中を、勤務を終えた古田親兵衛が穏やかな表情で歩いていた。

 その手からは麻縄でしばった包みがぶら下がっている。場所は貝殻町と呼ばれる一角で、微禄の武士の住まいや町人の長屋、小さな商店などが混在している。

 彼は時折、懐かしそうに立ち止まって町を眺めるが、身なりのよい武家姿の彼を見ると、人々は頭を下げたまま通り過ぎてしまう。ふたたび歩き始めて、また足を止めた。年配の男が道の端でぶつぶつ言いながら行ったりきたりしていた。

 男は目線を感じて顔を上げた。明らかに中士以上の身分と分かる武士が、こちらに微笑みかけている。あたりに似つかわしくない姿に、男はいったんお辞儀を返し、しばらくするとまた顔をあげた。そして、

「先生?」と、悲鳴のような声を上げた。

「息災でおられたか」

「ひゃー」

 悩み事も忘れたかのように、男は武士に抱きつきそうになり、あと一歩でとどまった。「なんとまあ、ご立派なお姿になられて。どこの判官かと思いましたや」

「覚えてくれていたとは、実にうれしい」

「そろそろ三年になりますか」

「そうなるか」

 

 親兵衛は古田の家に婿入るまで、ここから一足の距離にある長屋に住み、近くの古寺を借りて手習いの師匠をしていたのだった。再会したのは岩太といって、付近の世話役を勤める男だった。

「どうも、このような格好では、だれも知らぬ顔をする」と自分の胸に手を滑らせる親兵衛の姿を上から下まで確かめると、

「とんでもない、忘れるものではございません。この間も、先生は百石取りの立派なご身分、こんな臭い町には二度と足を踏み入れられることはねえ、とかかあと喧嘩していたところで。あいつまだ未練がありやがる」

「いやいや、また前のように参ったぞ。ご内儀と娘ごはいかがお過ごしか」

「へえ、なんとか、かんとか。それより今日はどちらへ」

「家の者に、ここの漬け物には独特の味わいがあると申したら、購って帰ることになってな」

 ほら、と粗末な陶器を紐で縛ったのを見せると、

「わしと分かると、きく殿はこのようにたくさん入れてくれた。実にありがたいことだ」

「そんなみっともない大根の漬け物を立派なお殿様に持たせるなんて」と、岩太は顔をしかめてみせたが、「まあ、三次のかみさんは、うちのと同じで先生の話ばかりしてやがるし。お姿を見て、喜んだことでしょう」


「ときに、なにか悩みのある様子であったが。いかがした」親兵衛が聞くと、

「え、なんだったかね」と岩太はしばらく天を仰いで、「そうだ、鶴がまた大虎になって、今度は刃物まで持ち出しやがって」

「鶴。鶴吉どのか。いつも、酒が過ぎて内儀に叱られる愉快な方ではなかったかな。たしか大工の」

「それがね、先生が出られて一年も経たないうちに、やつのかみさん出て行きやがって」

「ほう、それは困ったな」

「それはすごい大げんかでした。いえ、大家が気にして、半年ほど前になんとかよりを戻させたんですけど、二、三日前にまたやらかして」と、岩太は鳥が飛び立つしぐさをして見せた。「また逃げられた」

「それは念が入っておる」

「そりゃ、もう。で、鶴の奴、飲んだらそれを思い出したらしく」

「まだ日は暮れておらぬが、もう飲みはじめたのか」

「いえ、小銭が入ったんで、朝から飲んでたようです」

 さすがに親兵衛は心配そうな顔をしてみせた。

「よし婆の店の前で、女房はどこだとくだ巻いてますが、ついに刃物を持ち出しやがって。いや、まだ手に持っているだけですが」

「うむ」

「実はこないだ、番屋でずいぶんしぼられたところなんです。もういっぺんやったら今度はちょっとまずいと思うんですが」と両手を十字に組んでみせた。「だれも知らんぷりで」

「わかった」親兵衛は真顔になって言った。「拙者でよければ話を聞こう」

「ああ先生、恩にきます」。二人は夕暮れの中をそろって駆け出した。


 着流し姿の図書と、庄助、先助の三人もまた夕暮れの迫る道を歩いていた。雨上がりのうえ、あまり整備の良くない道ばかり通ったので、三人とも裾をはしょり、威勢のあがらない格好をしている。

「あの普請方の柄の大きいのは、どうかねえ」

 宮部の仕事ぶりを探ったあと、ついでに普請方の現場に廻り、別の候補者を見た帰りだった。

「気に入らんか」

「気に入るもなにも、あんなにのろくさくては、悪いやつにすぐ殺されてしまうわな」

 かといって、と庄助は渋い顔をして見せた。

「郡奉行さまの下にいたのは、鶏みたいに落ち着かない奴だったし。せっかく山の中まで追いかけたのになあ。人の評判というのは、ほんに当てにならねえ」

 なにか反論しようとした先助だったが、ここ数日の疲れが出たのか、結局はだまってしまった。

「先助、悪かったな、ずいぶんと疲れさせたようだ」

「生真面目すぎるのも考えものだな」 

「そう申すな。よし、あの店にでも入ろう。少しだけだ。一口酒を口に含めば、家に帰る力も出よう」

「若は下々に詳しいな。お教えした覚えはないぞ」 


 笑いながら図書は、飯屋と小さな手書きの札の出た家に入っていった。

 戸をくぐってから、何気なく振り向いた先助は、店を少なからぬ人が遠巻きにしているのに気がついた。

「なにか変です」

「そのようだ」図書は気にする様子もない。

 店主らしいのが三人を振り返り、図書が体格の良い武家であるのを見てとると、安心したように「いらっしゃいまし」といった。

 店の中には、二人連れが隅で酒を飲んでいるだけであった。片方はかなりくたびれた町人、もう片方は身なりの卑しからぬ武士であった。

 武士は町人に何か言い聞かせているようにも見えた。

「変わった取り合わせだな。それに、えらくいい男だ」と、武士を見た庄助は言った。

 図書が酒と肴を頼む間も、先助は首をひねっている。客は、樽を半分に切ったものに腰掛けるようになっていて、高さが不均一なので人がでこぼこしているように見える。

 町人はかなり酔っているらしく、時折鋭く声を上げた。武士は落ち着いた口調で話しかけている。

 さっそく酒が運ばれてきた。図書は店主に礼を言うと、二人に勧めながら自分も口をつけたが、先助が袖を引いた。

「失礼いたします。けれど殿」と囁く。

「なんだ」

「あの町人、刃物を」

「む。そのようだ」

 男は手に大きめの槍鉋を握りしめていた。 

 庄助はだまって、二人の席から距離をとりはじめた。

 しばらく話していたが、突然、鼻水をすすって男が立ち上がろうとした。しかし、中腰で動作を止めると、見上げてなにかを話しかける武士をまじまじと見、また腰を降ろした。今度はぽろぽろと目から涙が流れている。


「若」

 今度は庄助が言った。

「見なすったか」

「うむ」

 いつの間にか男の持っていた槍鉋は、手品のように武士の手へと移り、さらに遠くへと置かれた。鶴吉は膝に握りしめた手をのせ、振り絞るような泣き声をあげはじめた。

 とぎれとぎれに親兵衛がなだめる声が聞こえた。

「……さえよければ一緒に……頭を下げにいこう」

 思いやり深そうな、優しい声音だった。

 いつの間にか、岩太が店に入ってきて、横に立った。

 鶴吉は横に首を振りながら、めそめそと泣き続けた。岩太は黙っている。

「若。あれはあんがい良さそうだ」

「うむ。あの風体、見覚えがある。さっそく調べるとしよう」

 三人はそれぞれに、鶴吉を慰める親兵衛の姿を見つめ続けた。

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