第6話 盗賊改、誕生
六 誕生
「新当組をただいまの任から解き放ち、あらたに盗賊追捕の任を与えると」
筆頭の家老である花崎四郎兵衛は、思案する際のくせである唇に指をあてた姿のまま、じっと動かなくなった。
だが、案外早く顔をあげたかと思えば「あい分かった」と勢いよく返事した。
そして、国難に機敏に対処することこそ新当組本来の任務に違いないとうなずいた。
今回の会議における最大の難所との見方のあった花崎がかくもあっさり賛意を示し、部屋に詰めた人々に安堵の気配がひろがった。
「わかっておる。あんなお飾りのまま放置して良いとは少しも思わぬ。ただな」
彼が飾りと皮肉ったように、新当組と呼ばれる組織は設立以来、現藩主と先代を慰霊する行事に花を添える以外の役に立ってはいなかった。藩主が江戸にいる現在は、城内の数カ所をただ巡回し気がついた点を報告するだけである。
花崎は後ろに控える側近を差し招き、しばらくごにょごにょやり合っていたが、ふたたび一同に向き直ると、
「質素倹約はこれからも国の大方針。そこにおのずと限度のあることを心得られたい」などと言った。
各奉行所はもとより、国内の行政機関すべてに厳しい予算の制約を課してある以上、金のかかる新組織への移行は慎重にされたいと予防線を張ったわけだ。徹底して無駄を切り詰め、財政再建の基礎を築いた男だけにこの主張は当然とも思われた。
「重々承知しております」最年少の中老である平野がうなずいた。少々姑息ながら、もとあった器を生かすことで、軋轢を減らしつつ最大限の効果を発揮させたいと説明した。
新当組とは、藩主が晩年に立案しあたらしく設置させた組織である。
財政健全化の必要性は十分理解しながら、生涯むら気の治らなかった先代は、その治世のうちに大小三十あまりの思いつきの実行を命じ、行き詰まるやあっさり投げ出した。その最後の大ものが新当である。さる年の新年年賀の席でいきなり下知があった。
花崎らによる藩政改革が奏功し、国の財政が徐々に活気を取り戻すと、経済犯の急増をはじめ新たな問題がいくつも噴出した。既存の仕組みにとらわれない藩主直属の機関を新設、それに迅速に対処するとの口上はおそらく、屠蘇が振舞われてからの発表だったためだろう。居並ぶ群臣の多くから支持を得たかに見えた。
当然ながら彼らの内心は別であった。当初、御側目付などという仮の名がついていたのも猜疑心を刺激した。
自分たちへの監視が強化されそうな組織に、諸手を上げて歓迎するのは、なかなかに難しい。
さらに、莫大な予算と人員をつぎ込み、見合う成果が得られるかについては、ほとんどの重職が腕を組んで空を見上げた。それに、肝心の再建もまだ道半ばであるのは執政らの共通認識でもあった。
家臣らの鈍い反応に焦れた君主は予算確保をもくろみ、本末転倒である増税案の検討を側近に命じた。だが機先を制した花崎によって、新当組というさほど深い意味のなさそうな名を付けられ、実質わずか二名での発足が決定すると、先代は急速に興味を失った。すでに健康が下り坂であったためかもしれない。
最終的に、見習い出仕組から外見を基準に選ばれた新当組の二人は、祭礼や行事の折々に藩主に付き従うだけの存在となり、いまの役目の半分を占めるのが発案者たる先代の霊廟の巡回である。柔軟な頭脳の持ち主とされる現在の藩主にしても、扱いにとまどう存在と成り果てていた。
「新当をただの飾りとした責が、わしにあることも分かっておる」
「いえ、決してそのようなことは」平野が慌てて否定した。
「それでもなおかつ、与力は二騎にとどめてもらいたい」
「なるほど」ようやく予想どおりの反応を得て、平野はおもわず口元を緩めた。
「わしは吝嗇じじいじゃからな」そう花崎はうそぶいて続けた。
「与力二騎は確かに多くはない。だが、それぞれに同心をつけ書役を置き、さらに公事や中間、牢番等々を置けば経費はふくれあがり、目に見えない金はもっとかかる。町方と相乗りできるものは遠慮なくそうしてほしい」
一気に言うと、執政に着任以来真っ白になってしまった鬢を花崎はなでた。
そして集まった面々をぐるっと眺めてから、
「ただ、盗賊どもを放置してよいとは、わしも全く思ってはおらん」うなずく平野に花崎は続けた。
「周辺の国々の疲弊に比べ、このところの我が国はそれなりに富み、少しは倉に金も溜まりつつある。もちろん、控えめに申しておる。それはともかく、上様が心血を注がれた数々の施策が良い方向へ進みつつある証と、まことにうれしくありがたく感じておるが」
花崎は言葉を切った。
「雀はわずかな米にもめざとく集まる。鷹がおらねばなおさらじゃ。このところ夜盗づれの跋扈が少々目に余ると聞いておる」
花崎は町奉行を統括する中老の上田の方を見た。上田は平伏した。
「これは仕方ないことでもある。多年にわたって我らは、罪人を出さぬよう、厳しさよりも温情をもってまつりごとにあたってきた。それが百姓商人の離散を防ぎ、それなりに豊かで暮らし良い国をつくってきたとの自負もある。しかし皮肉なことに、規矩にとらわれぬ悪党にとっても、それは望むところ。言っては悪いが、近隣の国々の冴えない現状もそれを後押ししておる」
部屋に座っている七人ほどの男たちがそろってうなずいた。上田が言った。
「賊どもに都合のよい話は瞬く間に伝わり申す。ついには我が領内をねぐらに、他国に出張るふざけた輩もいるとの報告を受けております」
「うむ」花崎は深くうなずいた。
「おぬしらも存じていよう。特にここ二、三年の盗賊の跳梁には江戸の殿もいたく憂慮されておられる。先ごろもその方たちに意見を求め、早急に対処するよう内々にご指示があった。手間と金をあまり惜しむなともな。ちゃんと聞いておるぞ」
だが、と花崎は眉を下げた。
「それとは別に、三浦殿が組頭となられるのには少々戸惑いがある」
部屋の隅にいた三浦図書が、持ち前のゆったりした口調で言った。
「さよう。もっと捕物に詳しい者はほかにおります」
「いや、いや、そういうことではない」花崎は慌て気味にかぶりを振った。
彼は、藩主家にもつらなる名門の当主が、一時とはいえ盗賊退治の任につくことは、まさしく前例のないことだと懸念を隠さなかった。
「むろん、長く勤めるべき役目とは思っておりませぬ。それに」図書は矛盾するようだがと前置きし、一日も早く新当組が不要な世の中となるようはげむことこそ、組の究極の目的であると言った。
「しかし」彼は続けた。
「それは腰掛けでは為しがたい。自ら陣頭に立ち、一命を賭す覚悟で任務に励まねば人は従わず、ましてや盗人どもが恐れることはありますまい」
花崎は、しばらく黙って図書の方を見ていたが、「覚悟のほど、了解した」と言ってうなづいた。
「いやなに、もとより水をさすつもりはござらん。ただな」と、図書の父の後押しを得て執政に就いた人間として抵抗があることを正直に話した。
「お気遣い恐縮にござる」
「しつこいようだが、手本となる江戸の盗賊改方も、確か先手組頭が加役を申し付けられ若年寄が支配しておるはず。せめて組頭に誰ぞを配し、三浦殿はそれをご差配されてはいかがか」
「真っ先にそれも考え申した」と平野が認めた。「しかし、国では知らぬ者のない方が組頭に就くことで、はじめてうちそとに伝わるものもございましょう」
そして花崎に笑いかけると、経験を積み後進を育てたのち上位の役職に戻ってもらうのも特段不都合はないはず、と平野は言った。
自分を納得させるように花崎は繰り返しうなずいた。席にふたたび安堵の気配がさした。
「そうそう、人選はどうする。まったくの素人というのもな」思いついたように花崎が聞いた。「町方から引き抜くか。それとも」
「与力についてはすでに一人、見当をつけた者がおります。それをまず固めたうえで、同心選びをまかせようとも考えております」
「おお、誰を選ぶ。わしの存じておる男かな」
「与力にはまず、宮部源次郎を」
水野の補佐役である山崎という年配の男が口を挟んだ。
「二年ほど前に汚職の疑いありと、目付の詮議を受けたのではありませぬか。以来町方をはずれていたはず」
「厳しく調べた結果、疑念を招きかねない金のやり取りはあれど彼の男に罪はないとの結論に至りました」末席から目付の島田が声をあげた。
「いまは舟奉行の下におりますな」
「あれは」と、平野が弁明した。「町奉行の福井との齟齬も原因と見ております。いわば双方職務に熱心すぎるきらいがござって」
「盗賊どもの動きを探るには、どうしても金がいる。そのぐらいわしでもわかる。ところが福井は死んだ親父に輪をかけた癇性の石頭。合わんだろうな」こんどは花崎自身が下世話な口調でかばった。
「私が直接調べにあたりましたが」島田が引き取った。
「私腹をこやした事実は一切見つかりませんでした。むしろ潔癖すぎるほど。ただ少々韜晦の癖がございまして、それが疑惑に尾ひれをつけたのでしょう。あとは、切れ者ゆえ凡庸な同輩に理解されにくい男、との印象を受けました」
「ほかの町方どもに」花崎が言った。「職務のため自腹を切る気概がないのもまた情けないことよ」
「今日この席に福井を呼ばなかったのは、よろしゅうございましたな」
一同は大笑いした。
笑顔になった花崎は、上田に向かい、
「町方との相乗りの話もな、福井にあらかじめよくよく言い聞かせておけよ。あとで青筋を立てられてもかなわん」と現実的な指示を出した。
ようやく雰囲気がなごんだ。
「宮部につきましては、私がこの目で確かめたうえで、目付と図って決めることにいたします」と図書が言った。
「あともう一人の与力を選ぶとすれば、あてがあるか」急に興味が増したのか、重ねて花崎が聞いた。
「それが、なかなか。郡方、馬廻りなども含め、急ぎつつじっくり選びたいと存じます」
「どのような人物が適任かな」
「まだ宮部と正式に決まったわけではござらぬが、できれば、足らぬ点を補う者が望ましいかと」
「ふむ」
「緻密で穏やかで…」
「やつとは異なり、書類が早いこと」誰かの差し出口に笑い声があがった。
「あとは」と、図書が続けた「腕が立つなら、なおさら良いとは存じます」
「剣術な…。そのような男、いまどきいるかのう」
「正直、まだ見当もつきませぬ」図書は首をひねって見せた。
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