第5話 現在 侵入、そして闇に消える
五 現在 侵入
月明かりの乏しい闇の中に、かすかに合図が見えた。二台の船はみるみる速度を増し、狙う倉のやや手前の堀端に滑り込んだ。
小柄な男が、猿というあだ名のままにかるがると船から上がった。彼の手助けによって十人を超す男たちが陸へと上がる。それぞれ、黒っぽいというだけでみごとに装束はふぞろいだったが、動きはよく揃っていた。とりわけ中心にいる数人の動きは鮮やかに息が合っている。
くらがりに達すると、虫の声すら恐れるかのように息をひそめ声を殺し、目指す倉とその周囲に視線を注いだ。
付近は廻船問屋が集めた荷を一時保管し、また他に回すための倉が並んでいる。人の往来は絶え昼間の賑やかさとは比べものにならないが、そのうちのひとつに今夜だけは目立たないよう番人が増やされている。
緊急に大坂へと送るまとまった金銀が運び込まれているのだった。
集めた手段と使い道の、どちらも後ろ暗いすすけた金。
(そうさ、けむりのように失せるべき金だよ)
張り詰めた気配の男たちの後方で、穏やかな、そして少し気うつげな顔をしたまま吉左は倉のある方角をむいていた。仕事の前には、彼はいつも心がどこにあるのかわからぬ表情を見せる。
「かしら」そばにいた半次が、一言低く言った。仕事にかかる時、いや一味のすべてにおいて彼が吉左を補佐し、まとめ役を務める。吉左自身は、おれと半さんとの二人で煙の吉左だ、などと思っていた。
先行して偵察していた右よしと呼ばれる男が合図の火縄を振った。暗闇に一瞬、赤く細い線が引かれた。
吉左が頷いたのを見た男たちは、緊張した顔に笑みを浮かべた。
(まるきり合戦ごっこの出番待ちだ)
そう思いながら半次も合図を返した。少なくとも彼の廻りにいる男たちは、金や手柄より、吉左となにかをやること自体が楽しいように思える。
蜘蛛のようにひそやかに、二人ずつが張り番を囲む位置に移動した。そして、合図もなしに一斉に一人を四人が取り囲むかっこうになると瞬く間に地面に這わせた。
頭から袋をかぶされた番人たちが隅に転がるころには、準備された合い鍵が差し込まれている。少し合わないようだったが、鍵にとりついた男は慌てずさらに別の道具で鍵を手直しし、なんなく開けた。
「いいな」息を殺した声で、吉左の横に控えた佐吉という小男が感心した。彼は一味が扱う金の出し入れ一切を取り仕切っていた。値踏みも得意であり自ら現場に顔を出した。一同で声を発したのは彼だけで、他は目だけで作業を進めた。
倉の扉が開くと、暗闇からわき出るようにあいた入り口へと殺到し、目指す場所へと向かった。どこに何があるか、調べはついている。
今回のねらいは、あとから使いやすい銀だった。倉の中は整然と荷が並べられていた。米のほか書画などもあったが無視し、吉左は頑丈そうな一対の唐櫃の前に腕組みして立った。
「磯」目鼻に穴を開けたずだ袋を覆面にし、背負子を背負った大男が、前に出た。担いでいたぼろ切れや布団を櫃にかぶせると、ためらいなく槌を下ろした。鈍い音が二度、その後は静かになった。佐吉が差配して中から銀の豆板を次々に取り出し、磯太のほか数人の男へ順に担がせた。二番目の櫃からは小判が溢れ出た。
佐吉がさらにぐるりと倉の中をみまわして、別の箱を指さす。
「小判があります」
すぐさま開けると、白い紙で封をされたままの小判がぞろぞろと出てきた。
「どうします」半次が聞いた。明らかに今回集められたものではない。出所が読めず、さばきにくいと彼は言う。「ま、いくらでも足のつかない手はありますが」
「それに」と、彼は付け加えた。「金兵衛に、これ以上利ざやを稼がせるのは考えものだ」と、この付近を縄張りにする金の洗浄業者の名を挙げた。その男に対する半次の警戒心はこのところ急速に強まっている。
吉左は弥十という名の男を手招きすると、手短に相談した。他はすでに撤収に入っている。
弥十が「これを喜ぶ奴らがいるのは間違いない」と言えば、佐吉は、「当分寝かしておいたらどうです。あっても腐りませんし、このぐらいの量なら磯のけつにぶら下げれば」
向こうで大男が鼻息を荒げた。吉左は「わかった、おれに考えがある。持ち帰って封のままにしておけ」と、その小判も持ってゆかせた。
彼らの撤収は早かった。佐吉が小走りになり、陸路を行く男たち三人と一艘の船にのる二人に、あらかじめ用意してあった報酬を渡している。一緒に行った左よしという目つきの厳しい男も、「また、力になっておくれな」と声を掛けた。
彼ら五人は吉左の配下ではなく、外から手助けを頼んだ連中だった。だれも何度か仕事をしていている。分け前をもらうと、離れたところで頭巾のままじっとみている吉左に頭を下げ、消えていく。
見送ってから吉左と半次は、彼らに気づかれないよう、少し離れた場所にわだかまる影に合図を送った。影が音も立てずに動きはじめる。ひっそりと禍々しい気配を放つ彼らは、いわば懐に隠した匕首だった。影はしばらく独自に人の動きを確かめているようだったが、そのうちそっと姿を消した。
必要に応じ他の盗賊団を組み入れる煙の一味にとって、裏切りに即座に報復するための装置はどうしても必要だった。協力には手厚く返し、裏切りは許さない。吉左は盗みに際しての殺しは嫌ったが、それは一人でも殺せば、追求が段違いに厳しくなるためでもあった。全員の動きを見て取ったのち、吉左自身も逃走を開始した。そして、一味は一艘の船と陸にわかれ、闇の中をいずこともなく去っていった。
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