第39.5話 歯車は止まらない
世界を二分し、世界大戦に数えられることとなるこの戦争は、どちらの勢力も目的を達成出来ない形となって終結した。
各陣営とも最高戦力で雌雄を決することが出来なかったのだ。これ以上戦争を続ける気力は、双方とも残っていなかった。
きっと戦争の落とし所を探っていたのだろう、締結までの流れは、これまでの泥沼な戦いが嘘のようにスムーズに進んだ。
結果は引き分け。完全な互角の争いに勝敗はつけられず、痛み分けだとして、誰の異論も受け付けない。
ほとんどの人間がその事実に歓喜し、世界を挙げてのお祭り騒ぎの日が続く。
二つの最上位魔法が衝突してから二日後のことだった。
「バカな! 誰もいないだと? 隅々まで探し尽くしたのか!」
窓のない密閉した部屋に、男の重く低い怒声が響く。
「は、はい。間違いありません! 住んでいた痕跡はあるのに人がいる気配がしないとのことです! 屋根裏に地下室と、隠れそうな場所もチェック済みです! 現在、探査に優れた魔法師を動員して近隣を捜査中です」
「うむ、即刻見つけ出すように!」
そう言うと、報告に来た彼の部下を下がらせる。
やがて椅子に深々と腰掛けると、大きく息を吐いた。
「東の奴等に保護されたのではなかろうか。あそこから逃げられるとは、ワシには到底思えん。東の介入があったと見れる」
「いや、それはないわね。魔法衝突の前に彼女は姿を現したけれど、衝突時の白煙が晴れた時には消えていた。今思えば、あれは逃げるための布石だったのかしらね」
「くそっ、我々が早まった結果という訳か。しかし、あれ以外の選択肢がなかったのも事実」
「そこまで考えていた訳か。いやはや、ここまで明敏とは。一杯食わされたわい」
「……貴様は何故そんなに楽観視していられるのだ」
戦争は終結した。多くの者がそれを喜んだ。
しかしそれを快く思わない者もいる。ここにいる三人はその代表格だ。
彼らはその急進派である。
「せめて戦争さえ続いていれば……」
「多数決で決まったことに口出ししても今更だ。現実は変わらないのだよ」
「わかっている。しかし、僅かに時間が足らなかったのも事実だ。それがあればまた違った結果になっていたろうに……」
「その点には同意する。そればっかりは、東の奴等は作れまい」
しかしどれだけ嘆こうとも、時間が戻ることは無い。限りなくゼロに近づけることはできても、マイナスにすることは不可能なのだ。
そこで会話が途切れ、再び室内に沈黙が流れる。三人とも重く口を閉ざしているが、その中心にある感情は、彼らの目的である少女に逃げられたことへの自責と後悔だった。
「ところで補充係はまだ帰ってきておらんのか? 確か新人の子が入ったはずだが……ここに戻れと伝えなかったのか?」
ふと、一人が言葉を紡ぐ。しかし彼は話しかけるつもりはなかったらしく、
「す、すまない。独り言だ、忘れてくれ」
今までならばその言葉で済んでいたが、今は目的が姿を消した直後。余計な繋がりを――たとえそれが存在しなくても――疑ってしまう。
「そやつが逃亡の手助けをしたのか!?」
「その可能性も十分有り得るわね。新人と言うのだから、まだまだ年若なのでしょう? おおよそ同情でもしたか……」
「チッ、出過ぎた真似をしよって。まあいい、尋ね人が一人追加されただけだ。彼女は一般人だ、逃がしたのが本当ならすぐにでも始末すれば良いさ。大した戦闘技術もあるまい」
男女二人は、その考えに賛成の意を示す。
その後、それ以上会話が続くことはなく、それから数分もすれば会合は終了となった。
☆☆☆☆☆
「よしっ、今日が初めての仕事。気を引き締めて行くのよ、わたし!」
鏡の前で自分と向き合った少女――ノルン=クレイグは、自身に喝を入れるため両頬を軽く叩いた。洗ったばかりの手は、ひんやり冷たく気持ちいい。
これはニーナが研究所を出る数時間前のこと。
彼女の仕事は、用意された食料を研究所に届けることだった。
当然危険。しかしその分、報酬は多い。一度限りの日雇いバイトのようなものなのだが、一回分で並のバイト一月分はある。紹介してくれた親戚には感謝していた。
「服装よし、髪型よし、持ち物よし。準備は万端、忘れ物はない。つまり完璧」
不備がないことを確認すると、戦争終結までの仮住宅の狭い玄関をくぐり、集合場所に向かう。
集合場所に指定された場所は、西側陣営の本拠地近くの広場。当然と言えば当然か。依頼主は軍なのだから。
時計がないため正確な時間を測ることはできない。集合時間が「昼過ぎ」とあっても、12時から2時までと幅広いのだ。
だからノルンは待たせることがないよう、太陽が最高点に達する前に着くよう、家を出た。
しかしいざ到着してみると、事前の打ち合わせで見知った女性がいた訳で。
「ひょっとして、遅刻してしまいました? わたし。うーん、早めに出発したはずなんですけどね」
「いいのよ、こっちが少々早まっただけだから。でなきゃ上司に何言われるか……。だから君が気にする必要はないわ。早速だけどこの仕事についての説明をする……つもりだったけど、大筋は伝えていたわね」
「あ、はい。荷物運びですよね」
「あー、まあ、うん。そんな感じ。で、目的地は戦地のど真ん中。これも言ったっけ?」
「はい、危険だから気をつけろ、と」
「なるほど、じゃあ追加の説明はほとんどないわけね」
女性は腕を組み、他に何かあったかと考える。が、思い出せないものは、いくら考えても時間だけが過ぎる。女性は考えるのを止め、
「まあ、いいわ。何か気になることはある? 答えられる範囲内で答えるわ」
質疑応答にシフトした。
「はいはーい! なんでこんな仕事を募集したんですか? あと、わたしが受かった理由は?」
「あぁ、それも説明した方がいいのかしら。正直なところ、少女なら誰でも良かったのよ。まあ、少年でもいいことはいいんだけど……。で、その理由は届け先にいる子の話し相手になるように、かな。君が受かった理由は、強いて言えば、馴染みやすい性格だから」
「つまり、仲良くしろってことですか」
「強制はしないけどね」
前任の子はそれができず役割を変えられたのだが、この女性には知らされていない。
「ふーん、まぁいいですよ。あ、質問は以上です」
それだけでは無いと思うも、楽しそうだからいいや、とノルンは問うのを止めた。
「それじゃ、よろしく頼むわ。一人で行くことになるけど、直線だから大丈夫なはず。日が暮れるまでには着くから」
「え? でも目的地は見えてますよ、小さいですけど。そこまで時間はかかりま……」
「荷物はこれね。重たいけど頑張れ!」
「えぇー!! 大きい! 馬車の荷台くらいありますよ!? わたしに馬になれと? 力強くて立派なお馬さんになれと!?」
「やらないの? 報酬は出ないけど」
「くっ、やるしかないのか!」
「うん、よろしくね」
そう言って女性は本拠地に向かって行った。
ノルンは荷台にかけられている布をそっと捲りあげ――そっと閉めた。
入っていたのは大量の食料。
荷台を引いてみる。重たい。しかし運べない重さではないのが逆に悔しい。
「……なんでもいいから魔法が使えたらなぁ。こんな時、あったら便利なんだろうなぁ」
少なくとも、十代の少女の仕事ではない。しかし受けたのはノルン自身の判断。
「……やりますか」
そう言うと軽く身体を解し、荷台に積まれた大量の荷物を見て、再び大きな溜息をついたのだった。
二つの大魔法が衝突した時、ノルンは疲れて建物の反対側の壁に寄りかかっていた。
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