第34話 不可解な事件⑥

 魔法は正常に効き、瑞樹の脳内ではその言語は正しく認識された。聞こえた言葉は知らない国のものだったが、理解までのプロセスに翻訳の工程が加わったようなもので、これなら会話にも支障をきたさないだろう。なにはともあれ一つ目の懸念は解消された。

 そして相手も対話を望んでいるようである。二つ目の懸念も心配はいらないようだ。


 問題はその次で、円滑に話し合いが進むどうかだが――


「言葉は通じます。先程の貴方のそれは魔法ですよね。ただ、何分こちらも魔法で会話を成立させている訳で、どのくらいの間効果が及ぶのか分からないのです。制限時間ってことですね。なので脱線せず対話を進めたいのですが、攻撃されるとそれも難しくて……」

「そちらも魔法を……。了解した、攻撃魔法は控えよう。それと教えてくれ、ここは何処なんだ? 言葉が通じず突然何かに撃たれ、そのくせ魔法はろくに使えない。魔法に関しては場所によるらしいが」


 何かに撃たれたというのは防犯レーザーのことだろう。


「ここは地球という星の日本という国、その一地域ですが――まあ分からないですよね。世界が違うんですから」


 瑞樹はこの男の情報を、空間移動の手助けにはなり得ないと判断した。しかし事件の関係者としては話を聞くべき参考人……いや、火事を起こした張本人かもしれないのだ、聞きたいことは山ほどある。


 男は瑞樹に一定距離以上近づこうとしない。敢えて距離を詰めるような真似はしないが、瑞樹が一歩詰め寄るとそれに合わせて足を引く。


 恐れている、レーザーを。そして知っている。防衛装置が作動するのが距離によることを。

 実際は建物との距離だが、それが瑞樹との距離でない証明は近づかなければできない。近づくのは怖い。だから離れる。

 気持ちが理解できなくはないため、瑞樹も追求はしない。


「ところで先程は何故魔法で攻撃してきたのでしょう? 俺がいるのが分かっていて、その上での攻撃だ。何か理由でも?」

「……この建物が私を襲ったのだ、中から人が出てきたら警戒もするだろうさ。相手の力量は未知数。先手必勝と言うやつだ」

「俺は理由があってここにいる。貴方はどうしてずっとそこにいるんですか?」

「ずっとではない、しばらくはここから距離をおいていた。だが危険な建物とはいえ、私が来たところはここだ。帰るのもここであると判断した」

「まあ、それが常ですね」


 何もおかしな点はない。強いて挙げる警戒心が強すぎる点だが、見知らぬ土地で自分一人、言葉も通じなければそうなるとも当然だ。


 男は黙って今ある現状を整理する。その反応はニーナの時と同じ。だが彼女よりもより長い人生を歩んできた故か、冷静になるのも早い。


「元の世界に戻る方法はあるのか?」


 低く唸るような声で訊ねる。


「それは不可能です、今のところは。実は俺はそれを研究してまして。貴方と同じ境遇の人物を知っていますが、彼女も帰り方は知らないようでした」

「ほう、その歳で研究者なのか、少年。私もそこそこ名を馳せた魔法学者だ、是非深く話し合いたいところだが……。今は無理だろうな」

「そうですね」


 転移の体験者としての話は期待できないが、魔法学者という肩書きは、瑞樹の知識欲を駆り立てるには十分なものだった。

 ニーナは魔法をよく知っている。瑞樹はそこから魔法の情報を得ていたが、それを上手く利用するには至っていない。だが専門家の言葉ならあるいは。


 今すぐ情報交換したいのは山々だがそれはできない。魔法の効果時間はなんとも言えないが、もしあるのなら、公園でニーナが使ったものと同じ時間。その時はそろそろ来る。

 それに状況が状況だ、話し合いには向かない。もっと時間に余裕がある時にでも、と思っている。


 ……そして、この人物の言葉が全て嘘である可能性もある。瑞樹は人を見た目で判断しない。しかしこの人には、怪しいと思える何かがあった。

 どんなに助けを必要としても、自分を襲撃してきたら警戒はする。必要以上の情報は与えない。

 上手く見極めることが重要だった。


「最後に一つ」


 男は無言で先を促す。


「この世界に来た時、この建物の様子はどのようでしたか?」

「……見るも無惨な燃えた痕だらけだった。出火元は何処なのか、酷いものだ」

「……ありがとうございました。俺はもう行きますが、攻撃はしないようお願いします」


 返事を待たずに背を向ける。

 遠くからパトカーのサイレンが聞こえてくる。目的地は恐らくだがこの建物。誰かが通報でも入れたのだろう。

 部屋を出る前に、思い出したかのようにパソコンに近寄ると――



 ☆☆☆☆☆



 扉をぼんやりと眺め暗い廊下の壁に寄りかかって座るニーナは、懐中電灯を上下させながら薄い扉の先の出来事を想像していた。

 瑞樹が部屋に入ってからそろそろ五分が経過する。話し合いが上手く進むためにニーナには祈ることしかできないが、魔法の衝撃が伝わらないのできっと上手くいっているのだろう。


 説得に失敗して魔法による攻撃が再開したら瑞樹は危ないが、ニーナはそれはないなと感じていた。


「やっぱりあれっておじさんだよね……」


 彼女の見間違いでなければ、現在瑞樹と話しているのは元の世界でニーナを捕らえていた犯人だ。実際のところ彼女自身は囚われたとは思っておらず、世間的な評価でである。


 ニーナから見たおじさんは言葉の通り親戚のおじさんのようで、有名な研究者らしく行動力があるが、押しに弱いという印象だった。

 事実に全く反していない。ただ一つ付け加えるならば、その行動力には暴力的な強引さも含まれている。まあ誘拐犯がそうでない場合の方が少ないが。


「でも、それならなんでいるんだろ? 行き来するのは難しいってミズキは言ってたよね」


 ニーナは考える。

 普通なら直接聞くことはやぶさかでないのだが、今は気持ち的にそれは難しい。というのも、ニーナが日本に転移した日、かなり激しめの言い合いになったからだ。

 些細なことだと言ってしまえばそれまで。異世界転移という事件と比べたら枝葉末節の問題だ。しかし簡単には結論を出せないでいたのは事実。


(……だってつまらないもん)


 衝突要因は、魔法研究に対するニーナの関心の低さだった。

 それまでも幾度か言い合いにはなってはいたが、相応の対価を与えることでいざこざを回避してきた。主に贅沢な食事を提供することによって。


 魔法が嫌いな訳では無い。ただ彼女への説明が難しすぎただけ。勿論理解しようと努力はした。「分からない」よりも「分かる」方が良いに決まっているから。それでも一般教養が十分でなかったニーナには限界があった。


 話がつまらなくても聞いていれば美味しい料理が食べられる。その認識は正しい。

 食料が尽きるまでは。


 ――もう少し待てば届くからそれまで待ってくれ。


 ニーナはその意味が理解できなかった。

 見るからに食べられる量が減り、それが何日も続く。その事実は口論が激化するには十分すぎた。


 仲裁者のいない口論は鎮まるところを知らず、痺れを切らしたニーナの投げた茶碗が男の意識を刈り取り。

 危険だと言われ続け、実行に移せなかった外出。勢いに任せて扉を開けた。


「……うん、分からない。後でミズキに聞いとこ。それと、私は悪くないよね」


 そのお陰でこの世界に来れたんだし、と自己完結させた。


 どこからか、不安を煽るサイレンがけたたましく鳴り響く。それが彼女の行動を責めてあるようで心が痛む。


「ミズキ、まだかな?」


 その呟きは儚く、おのれの耳にも届くことなく消えていく。

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