第28話 解明の兆し⑤

(今なんと言った? 科学使い!?)


 瑞樹は全力で思考回路を働かせる。

 聞き間違うはずがない。こんなにも近くで、声を遮る原因は何一つないのだから。


 瑞樹が如何に優秀とは言っても、他人の考えを読み取るのは簡単でない。それも、事前情報無しで短時間の今回、それは失敗に終わった。


 目線で続きの説明を求める。


「私って魔法は使えるじゃん? ……限定的だけど。だけどそれは、元の世界のもので、この世界には存在しないもの。私ね、瑞樹の役に立ちたい。研究の手伝いがしたい! 難しいことしてるのは分かってる……けど、手助けくらいは出来ると、思うの。そのために、瑞樹が使う、科学を使えるようになりたい」


 金の瞳には、はっきりと見て取れる強い意志が込められていた。

 続けて、「ずっと世話になりっぱなしは良くないもんね」とはにかむ。


 魔法と対比する科学だから、魔法使いではなく科学使い。瑞樹として耳にしたことの無い単語だったのだが……。


(いや、そういうものか?)


 ニーナとは生まれ育った世界が違うと、深く考えるのを止める。科学使いというのも、あながち間違っていないように思えた。


「ニーナ、もしお前がこの家に居候するのを迷惑だとか考えているんなら、そんなことはないと言っておく。それでも気が済まないようならば、せいぜい研究の邪魔にならないよう、じっとしてろ」


 他に要件がないのを確認すると、部屋を出るように言い、机に向き直る。


「で、でも……」


 それでもニーナは納得いかないとでも言いたげな目で、瑞樹を見つめる。その目にはうっすらと涙が浮かんでいるが、瑞樹からは死角であった。


 瑞樹は別にニーナのことを迷惑だとは露も考えておらず――若干扱いに困ることはあるが――手のかかる実験体にしか思っていない。

 欲しているのは魔法という新たな概念であり、彼女自体にはさしたる願望も抱いていなかった。


 手がかかると言っても瑞樹の言いつけは聞ける訳だから、繊細な手入れと温度管理を必要とする植物を育てるよりは、よっぽどマシであった。


 そんな瑞樹の心の声もニーナには届かず。


「ねぇ、ミズキ……」


 瑞樹は背中に、トンと体重を預けられたのを感じた。続いて伝わる人間の身体の温かみ。


 前言撤回、ニーナを舐めていたようだと、深く反省する。

 全くマシでは無い。なまじ知能がある分、遥かに厄介である。


 肩を通してニーナの腕が瑞樹に絡みつく。マフラーのように優しく、包み込むように。二人は接触するほど近づいており――否、ニーナは全体重を委ねるように、瑞樹に抱きついていた。


 瑞樹の背中では、やはりと言うべきか、ニーナの胸の膨らみを感じることはない。皆無だ。しかし、風呂上がりの火照った身体から醸し出される特有の香りが、瑞樹の鼻腔をくすぐる。

 瑞樹と同じトイレタリーを使っているのに、こうも差が出てしまうのはどうしてだろうか。


「お、おい。なんのつもりだ?」


 耳元での囁きに、思わず声がうわずる。


「やっぱりそれじゃ悪いよ。他に大変なこととかないの?」


 瑞樹を包む腕の力は、いとも簡単に振り解けそうなほど緩い。ここだけ切り取ってみると、正真正銘か弱い乙女である。

 鼓膜を震わす綺麗な音色。耳にほとんど触れる距離でそれが紡がれたのだから、瑞樹たりとて意識しないのは不可能だろう。


 心臓が激しく脈を打つのを感じる――が、それをニーナに悟らせないよう平静を保つ。

 いや、今更意識したところで密着しているのだ、気が付いていてもおかしくない。


(兎にも角にも、このままじゃ不味い。精神がどうかしそうだ)


 ニーナは離す気はないのか、がっちりと固めていて、しかし乱雑に振りほどこうとすると怪我を負わせそうで……。勢い余って研究道具を壊す可能性だってある。むしろその二択と言っても良い。

 そんな状況に、瑞樹の精神はすり減っていた。


「大変なことと言ってもなぁ。研究は俺がやらないと意味がないし、それに、ニーナに分かるとは到底思えない。と言うか、危なっかしい」


 ニーナには魔法を使える条件でも探していて欲しい所だったが、彼女を納得させられる名案にはなり得なかった。


 二人で考えること数分。


「じゃあ料理を交互に、その他瑞樹の言う通りね」


 不安しかない瑞樹だったが、ようやく見つけた妥協点であった。異世界の料理がどのようなものか気になったのを、瑞樹は口にすることは無い。


「ところで、そろそろ離してくれないか?」


 話が一段落ついた所で瑞樹が切り出す。良案を夢中になって模索するあまり、ニーナは瑞樹に密着したままだった。

 普通はどこかで気づくだろうが、意識を切り離してしまうほど集中していたということか。


 それが事実か疑おうにも、瑞樹が思い出したのもついさっきなのだから、どっちもどっち。お互い様だ。


「う、うん……」


 どこか名残惜しそうなニーナだが、手を解く前にを見つける。

 黒石だ。精査と考察を幾度も繰り返し、今は瑞樹の手の中にある。それが、少し力を緩めた時にニーナの視界に入ったのだ。


「ミズキ、それは?」


 ニーナの好奇心は瑞樹とて一目置く程で、彼女は無意識に質問していた。


「火事が起きた観覧車付近に落ちてきた奴で……」


 と答えながら、もしや、と瑞樹はひとつの疑惑を持った。


「ニーナ、これを握ってみてくれ」


 軽く言うと、黒石を手渡す。

 その瞬間こそニーナは訳は分からなかったが、それをてのひらに収めると、大きく目を見開き。


「っ! 何これ、魔法? 説明しにくいけど、心臓の奥の方がうごめくみたい……!」


 ニーナが真っ先に口にしたのが、軽さや硬さではなく、瑞樹には体験出来なかった感想。しかし瑞樹は、やはり反応を示したかと唇の端を吊り上げた。


「それがあれば魔法は使えそうか?」


 この問いは、かなり確信をついたものだ。


「使えそうだけど、まだ足りない。でもでも、あそこ――緑の公園でなら、絶対いける!」

「よく、分かった」


 ――この石には、魔法の使用を促進させる働きがあるのではないか。


 瑞樹の中にまた一つ、新しい仮説が生まれた。


 仕組みも構成成分も原理も、何も分からない。

 しかし効果が分かってしまえば、いずれ解き明かすことが出来るだろう。瑞樹自身の手で。

 黒石が魔法的要素を含んでいるという仮定は、立証された。あとはこの謎を調べるだけだ。


 そうと決まれば早速研究を再開しよう。そうやる気をみなぎらせたところで。


「それはそうとミズキ、お風呂上がったから、冷める前に入ってね」


 せっかくの助言を無視する訳にもいかず、渋々しぶしぶ研究を中断させると、ニーナと共にリビングに戻った。

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