第24話 解明の兆し①
瑞樹が歩くのは、理事長の後方およそ五メートル地点。そしてその後ろを、ニーナはヒヨコの如くつけ回る。
廊下は静かだった。
ここでは威勢の良い運動部の掛け声も遮断され、大理石を連想させる真っ白な廊下に、三人の足音だけがこだまする。
生徒はおろか、教師ともすれ違わない。
物音のひとつとして聞こえることはなく、一つ、また一つと横開きの扉を過ぎる。その向こう側では普通に生活音が発生しているはずなのだが、その音が漏れ出ることはない。
瑞樹にとっては何度も通った通路だ。が、今回用があるのは理事長の方だ。その表情は、瑞樹にしては珍しく、冴えないものだった。
(この名状しがたき気持ち……入学式以来か?)
その時も、生徒用通路とは異なる荘重さに圧倒されながらも、落ち着いて理事長室に向かっていた。
瑞樹が理事長室を訪れるのは過去頻繁にあったが、理事長が瑞樹を呼ぶのはこれで二度目。皮肉にも、ほとんど全てが瑞樹の意志によるものだった。
理事長室に続く廊下はどこか、ゲームのラスボスへの挑戦と重なるところがあるが、途中に敵はおらず、距離も短い。
瑞樹が思考に耽っている間に、一同は理事長室に着いていた。
「悪いな、この先は俺一人でしか行けない。荷物を頼む」
理事長の話がどのくらい続くのか、瑞樹にも想像がつかない。しかし、長時間の暇がしんどいことは十分わかっているため、申し訳なさそうだ。
肩に担いでいた、巨大袋に詰めた荷物を壁に寄せて置くと、冷房の効き過ぎている部屋に入った。
「河西瑞樹。君は確か、理系選択だったよね? 成績も素晴らしい。国語が96点だが、それでも全国に上はいない。他はさも当然の如く満点だ」
「……だから何だ?」
「いいや、何もないさ。凄いなと褒めてるんじゃないか」
普段よりも一層、先が読めない。
しかし、まさか瑞樹を称賛するためだけに、部屋に招き入れたなんてことはないだろう。
そうでなければ、ニーナを引き分けた理由にならない。
「ただ、この成績を持ってどうして……あいつの大学に拘るんだい? 進路には困らないだろうに」
理事長の眼鏡越しに、二人の視線がぶつかる。
「あんたも知っているんだろ、俺の夢を。あの研究所でなら、早急に叶えられるんだよ。最短距離だ」
ニーナの魔法に出会った今なら、自力で成し遂げることが可能となったが、それには時間がかかり過ぎる。
実験を行いにしても、場所や費用に目を瞑ることは出来ず、結論、個人での研究には限界があった。
「率直に言おう。私は、君にあそこに行って欲しくない」
「ここに来て遂に本音を漏らしたか。願望を聞き入れるとは名ばかりで、そんなに特例を認めたくないのかよ」
瑞樹の気持ちは固い。大木のように、がっちりとした土台の上に力強く居座っている。
たとえ相手が権力を盾に、自意を押し通そうとした所で、こればっかりは大人しく従えない。
「そんなことはないが……確かに私は君を強制させる権限は持ってないよ。君の自由だ」
それを理事長も感じたのだろう。毎度の如く権力を振りかざすことはせず、引き下がった。
「初めてなんじゃないか? あんたが諦めるなんて」
「ははっ、そうかもしれないね」
瑞樹は肩の力を抜く。
無茶な要求をされなかったことに安堵したが、同時に、今までからでは考えられないような変わり様に、不気味さを感じた。
理事長はおもむろに席を立ち上がると、部屋の角の紐を引き、ブラインドを降ろす。
真っ赤な夕日が遮られ、明かりを太陽に頼っていた部屋が、闇に包まれる。が、それも一瞬。センサーが機能したのか、瞬時に明かりが灯った。
「空間移動ね。うん、夢のような話だ。研究所に行けば完成するのは、時間の問題だろうが、まず間違いないだろうね」
紐から手を離さず、壁に寄り添い続けて言う。
「実用化されれば、世界の移動手段に革命が訪れる。実際、私も見てみたい。体験してみたい。世界は混乱するだろうが、歴史を振り返れば混乱だらけだ。特に、産業革命後はね」
「それなら何故……?」
瑞樹の疑問はもっともだ。理事長の主張は矛盾している。一方通行に進まず、更に出発点も多数あるようだ。
それでも、自身では納得するに足る根拠を持っていた。
「危険だからだよ」
その言葉は、瑞樹の心の奥深くに、重くのしかかった。
「アルベルト=アインシュタインのことは知っているね?」
「ああ」
「彼の研究成果である相対性理論は、本来は人々の生活を豊かにするはずだったんだ。決して核爆弾を生み出したかった訳では無い。しかし、大量虐殺兵器は産まれてしまった。何故だと思う?」
「 …………」
「人間の欲がそうさせたんだよ。力を追い求めるあまり、あまりに非人道的に成り過ぎた」
レンズの奥の鋭い眼光が、瑞樹を見据える。
その視線は不良達が入学を拒むほどであったが、瑞樹はそれに屈しない。……もう慣れた、というのが真相か。
「……随分と喋々じゃないか。授業でも恋しくなったのか?」
「まさか。私に授業の経験はないよ。それどころか教員免許すら持っていないしね。ここで話を戻すけど、考えても見て欲しい。間違いなく戦争の道具になる。いや、それよりも最悪な……」
瑞樹の研究では、人間が遠くの地点に転移するというもの。移動手段としては最高位のものであるが、それはつまり輸送手段の役割も兼ねているということ。
爆薬や毒ガスを敵の拠点や国の中枢に転移でもさせたら――。
空間を跨ぐのだから、どれだけ防衛力が高かろうと、意味をなさない。暗殺も容易だ。
人々はいつ訪れるか分からない死の恐怖に晒されながら、生きていくことを強いられる。
「それでも君は、研究を望むのかい?」
空間移動が現実化すれば生活は便利になるが、原子力の発明よろしく、世界に危険をもたらす。
瑞樹は答えるのを躊躇った。
その通りだ、と即答したいところだったが、彼は戦争に賛成する意味を見いだせない。
しかしこの問いを肯定するようでは、まるで戦争が起こって欲しいと願っている様なもの。
そんなもの――戦争が生むのは恐怖と苦しみ、憎しみ、復讐心……悪感情でしかない。
「危険性は重々承知している、戦争ごときには使わせないさ。狙われたとしても、亡命の用意はするつもりだ。それに――人類がいつかは到達する道だろう」
空間移動を駆使するのだ、追っ手を撒くのはそう難しいことでは無い。外国に隠れ家となる家を購入しておくのも、悪くない気がする。
望ましいのは、そうならないこと。だが、予防線を張っておくに越したことはない。
「まあ、あくまで自論だ、必ずしも
「そうかよ」
これ以上は説教じみた扱いを受けてたまるかと、言葉のキャッチボールを止める。
「この話はもういい。さっさと要件を言え。なければ帰る」
入室する時までは感じていた、不安に似た感情は、今の瑞樹からは消滅している。
むしろつらつらと終わらない話により難儀さを感じ、やがてそれは苛立ちに変換されて行った。
この部屋に入ると毎回、正常でいられなくなるが、こうなる
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