第23話 天空の風車⑥

「許可が出ました。学校へ向かってください。住所は……」


 理事長との会話は皆が聞いていたため、簡単に下りた許可に驚くことはあっても、否定することは無い。

 だから瑞樹から住所を聞くなりすぐに、宙で静止させていたヘリコプターを大きく旋回させると、やや高度をさげながら動き始めた。


 学校は現在地とそう距離は離れていない。距離があるにしろ、せいぜい二キロ程度。上空を進めばあっという間に到着する。

 病院と方位が正反対に位置するので来た道を引き返すことになるが、それにより生じる問題など、些細な事だ。


 着陸場所がそこだけだから、という理由で病院に向かっているのなら、別に不自由はないのではないか。


 そのことに気がついたのが、学校の敷地に入り理事長が大きな素振りで手を振るのが視界に入り始めた頃。


 少しばかり申し訳なく思いつつも、検査をしないとは限らないため、行き先を変更したのには意味があると受け入れることにした。

 それに…………想像以上の量となった荷物を持ち帰るのに、家までの道のりが短くなったのは悪いことではない。


 ヘリコプターが空を飛ぶ道理となっているプロペラにより生み出された下降気流が瑞樹達のバランスを崩すが、乗車同様救助員の助けを借りて、影響の少ない所まで離れる。


「――――」


 機内ではそれほど感じることはなかったが、降車し、改めて思う。極めてうるさい、と。

 それも、ありがとう、と口に出すと自分の声すら耳に届かないほどに。

 それでも救助員は瑞樹の気持ちが伝わったのか、気にしなくていいよ、という風に片手を挙げた。



 ヘリコプターをヘリポートなり地上に降ろす許可をとるのには、簡単には済ませられない手続きが必要だ。

 あらかじめ話をつけていたのならともかく……いや、通常の手続きにも一週間、二週間はざらに超える。ヘリコプターに限った話ではないだろう。


 そんな筋道を瑞樹は一切なぞらず、しかも僅か百秒足らずで許可を取り付けたのだ。

 瑞樹にとっては楽な方法なのだが、理事長にとっては事後処理など、すべき仕事が増えるのだった。


 別に理事長に迷惑がかかろうと、瑞樹からしてみればどうってことはない。それどころか、普段の鬱憤が晴らせるいい機会だと感じたのは、紛れもない真実だ。

 最も、僅か1パーセント未満とはいえ、感謝の気持ちがない訳では無いのだが。


 この後、理事長に捕まり話をしなければならなくなることは、これまでの経験上明らかだ。

 それでもこっそりと逃げないのは、それが不可能だとわかっているから。


 ――逃げても良いが、逃げ切れるかな?


 理事長の先の読めない目が、そう物語っていた。


「……悪いな、ニーナ。家に帰るのは少し後になりそうだ。それとも、先に帰っているか?」

「ううん、用事なんでしょ? 終わるまで待ってるよ。帰り道も分からないしね」


 ゴォッ、という騒然たる風音のせいでいまいち声が聞き取りにくい。しかしこの時の瑞樹は、ニーナの発する語句の一つも、聞き漏らしがない気がした。


「そうか」


 自らの声は相変わらず、夥しい音量の風にかき消されて聞こえないというのに……。


 またニーナの魔法が働いているのか、と閃はしたが、それも束の間。音は高い方がよく届く。

 瑞樹の声は低く、更にヘリコプターの生ずる騒音に音調が近い。

 ニーナの声は、辛うじて聞こえただけだった。


 まあ、瑞樹の言葉を聞き取ったニーナの聴覚に魔法が使われていても、彼は不自然には思わかっただろう。

 そうでなければ聞こえるはずのない言葉だ。


 その理屈を証明する根拠となるものを、瑞樹は持っていないが。


 やがて救助隊は揃った動作で敬礼すると、順次にヘリに乗り込む。瑞樹達と違って、すっかり慣れた動作だ。


 扉が閉まると、一際大きい下降気流を生み出しながら上昇する。


 乾いた風が直視するのを妨げ、まともに両目を開けない。目が乾燥しない最低ラインまで瞳を閉じると、収まらない突風に鬱陶しさを覚え、眉根を寄せた。


「ミズキ?」


 不意にかけられた声は、ニーナによるものだ。しかし長らく響いた轟音により、聴覚が麻痺したと錯覚するほど疲れた瑞樹には、それが風鈴のような、優雅な音色に感じられた。


 ニーナは瑞樹の機嫌を伺うように、顔を覗き込んでいる。

 本能の赴くままに、と言えばいいのか、行動に自制心がない。あるいは無邪気とでも表現するのか。

 どちらにしろ、彼女が羞恥を感じる様子はない。


「どうした?」


 そして瑞樹は瑞樹でニーナの艶かしい態度に魅了されることなく、仏頂面を保っていた。


 しかしそれは動揺を隠蔽するための無表情ではなく、一切の恋愛感情を持っていないが故のものだ。


 女慣れしていると言ってしまえばそれまでだが、無念にも瑞樹にこれまでに彼女がいたという事実はない。

 しかし彼自身は悲しみなんて微塵も感じてはいない。恋愛に興味がないのだから、そうなるのも当然だ。


「やっぱり飛翔魔法なしで飛ぶなんて考えられないよ。これがカガクってやつ? あんなに大きくても飛べるんだね」

「もっと巨大なやつもあるぞ。それに、他の何よりも速いんだ」


 ニーナの好奇心は留まることを知らない。


 小さくなって行くヘリコプターを眺めるニーナにつられ、瑞樹の視線も上へ向く。

 その視線が、飛び去る形象と横面に大きく描かれている標章を射抜いた刹那、過去の記憶と何かが繋がった気がした。


 それがどれほど昔の記憶で、どこで見たものなのか。


 海よりも深く思考に耽る瑞樹だが、実物を見た時間が短すぎた。再び顔を上げた時には既に点になっており。

 どれだけ思考を繰り返そうとも、遂に答えには辿り着けなかった。


「さて、私に付いてきて貰おうか。なに、ただの教師と生徒の話し合いだよ。勿論、来てくれるね?」


 理事長は遠回しながら、部外者は来るな、ニーナに対しそう伝えている。


 その上からの物言いに、瑞樹は不服そうに眉を顰めたが、もとよりそのつもりだ。内心の不快感を外に表すことはしない。


「部屋の前までは連れていくが、構わないな? 迷われたら困る」

「……その位は構わないよ」


 悪あがき程度の反発に、そう吐き捨てはしたが。

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