第4話 変わりゆく日常④
夕日によって真っ赤に染め上げられた世界も、ドアを閉めると漆黒に染まる。覗き対策で、瑞樹の家のカーテンは一切光を通さない分厚いやつだ。
普段ならばドアが閉まりきる前に玄関の明かりをつけ、そこから狭いキッチンを抜け、六畳間の部屋に入る。
六畳しかないが、この部屋には布団とテーブルしかないため、広々としている。隣の部屋は機材が多く別だが。
この日もいつも通り、食事をとり、翌日に備えるつもりだった。理事長との話もあり、より備えは必要だ。
しかしこの日、瑞樹は普通とはかけ離れた体験をする。
受け取った鍋をコンロに並べ、明かりを付けようと電源に手を当てた途端――。
「なんだ?」
瑞樹はなんとも言いようのない違和感を感じた。
視覚では普段通りの空間が広がる中、強いて表現するならば、空気が軽くなったといったところか。
気がつくと瑞樹は電源から手を離しており、そうすべきだと知っていたように柱を強く掴んでいた。
――瞬間、部屋全体がまばゆい光に包まれた。
「――っ!」
反射的に強く瞼を閉じ、しかし視界が黒く染まったのも一瞬。瞼を貫通して光が目に届く。
赤、橙、黄、緑、青、紫……。
色相環を周回したと思うと、やがて白く輝き、消えてゆく。
(誰かのいたずらか? 誰だ、タチの悪いことしやがって)
そう思う瑞樹だが、目を開けたのは、小さい光の球が消える時。
そして光が消滅するのに合わせ、強烈な突風が部屋中をかき乱した。
その風力は台風直撃なんて比ではなく。
大きく部屋を揺らし、布団は舞い上がり、食器は落ちて割れる。
瑞樹も、柱を掴んでいなければ舞うまではいかずとも、大きく後退していたことに間違いない。
「――――!」
声を出しても、自身にさえ届かない。彼の思考は「解らない」で埋め尽くされていた。
風が吹いたのはほんの数秒間、しかし瑞樹の体感ではその何倍にも達していた。
その数秒のせいで部屋は荒れ狂い、キッチンはゴミ屋敷同然だ。部屋に物が少なかったことが不幸中の幸いか。
次は何が来る、と少しばかりの諦念とともに覚悟を決めたのは、突風が収まった直後。そして目を開いた瑞樹は、折りたたみ式の小さなテーブルの上に少女が倒れているのを見た。
空間移動の実現が簡単ではないことは、瑞樹自身よく分かっていた。成功するのに何年、いや、何十年必要とするか……。もしかすると、一生涯かけてもたどり着けない答えなのかもしれない。
それだけ難易度が高いということ。
そのことを、彼も重々承知していた。
だから。
猛烈に風が吹き荒れる中、暗闇に目の慣れた瑞樹はうっすらと見た。
何もない部屋の中に、人型のシルエットが突如現れたのを。
それは現在布団で横たわっている少女で間違いない。
瑞樹が帰った時にはまだ、この少女は部屋にはいなかった。あの一瞬で唐突に現れたのだ。
――何が起きたんだ?
そう何度も自分に問いかけるが、当然だ、一向に答えは帰ってこない。あるのは夢の躍進だけ。
瑞樹の見たものは、それこそが彼の望む代表例的なものだった。
成功例を見てしまったのだから、失敗はできない。
間近で見たのだ。ヒントくらい得られよう。
(本人に直接尋ねるのも手だな。幸いここにいることだし)
倒れた食器達を片付けながら、瑞樹は眠った少女に目をやる。
真っ白の純白なワンピースに身を包んでいるが、貧しい生活をしてきたように、薄汚れてしまっている。
しかしそれが気にならないほどに綺麗な、やや金色がかった長髪。それは染髪によるものには見えない。
どう見ても日本人ではない。ないが、ヨーロッパ、アジア、etc.そのどの人種にも属しているようには見えない。
しかし特に顔立ちがおかしいなんてことはなく、むしろ整っており、美少女に類されるものだった。
見た目は若く年下に見えるが、あくまでも見えるだけ。女性は見た目通りではないし、これに関しては直接聞くわけにはいかない内容だとも理解していた。
その理由は、気を損ねて情報の開示を躊躇されたら面倒だから、というものだったが。
(お粥か何か作った方がいいのか?)
こういう場合の対応を瑞樹は知らない。
食べられるものを与えた方がいいのはわかっていたが、それがフルーツなどでもいいのか。
それが口に合うかどうかも分からない。
どうすべきか色々知識を探っていると、少女が目を覚ました。
「ようやく起きたか。体調はどうだ?」
少女の近くに寄る。
日本語が通じるなんて都合の良い展開はないとわかっていても、つい日本語で話しかけてしまうのは、本能的なものだ。
そして案の定というべきか、少女は何が言いたいのか伝わっていないという風に、コクリと首をかしげた。
無理もない。どこからやってきたのかは謎だが日本でないのは確かだ。話せる言語なんて、よほどの場合でない限りは一つか二つだ。
長期休暇には必ず海外に飛び立つ瑞樹でさえ、三ヶ国分しか話せない。
そして話せる言語は大抵、母国語と英語だ。日本語を話せた、なんて滅多に起こることではない。
だから今度は英語で話しかけたが、反応に変化はない。この様子では、話せる言語を見つけるまでに相当な時間がたってしまう。
「まずいな。会話すら成立しないのか……」
そう小声で呟いた時。
「――――――」
少女は聞きなれない言葉を発した。いや、言葉よりは音を発した、の方が近い。
抑揚のない、感情の一切が含まれていないそれはまるで、高速で文字の羅列を読み上げるだけの無機質な機械音。
彼女の口から出るその音は、瑞樹には到底理解するには至らない、意味不明なものだった。
「言語……釈……解…………。インストール開始――完了」
しかしその音も次第に変化が現れ始め、途切れ途切れにはなるが、瑞樹の知識にある単語が聞こえ始める。
だがそれを理解できるかは別問題だ。
瑞樹が単語に意味を当てつけて納得するには、それから両手では数えられないくらいの時間を要した。
そしてその頃には金髪の少女は元の様子に戻っており、
「えっと……これで通じる、かな。どう?」
今の時間に、何が起こったのか。流暢な日本語を話した。
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