第2話 変わりゆく日常②

 その日の放課後、瑞樹は数枚のプリントを片手に本校舎の中央、理事長室に向かっていた。

 終礼のチャイムと同時に教室を出たため彼の他には誰も、この廊下を歩く生徒はいない。


 早く出た生徒も、向かい先は多くが部室棟。二階の渡り廊下を使って直通できるので、わざわざここ一階まで下る必要はなかった。


 この通路は生徒用フロアとは無関係の場所であり、生徒が来るとしたら保健室。その他には事務室に来客室と、基本来ることのない部屋が並んでいる。


 何かこだわりがあるのか、廊下の色が僅かに異なり、各部屋前には華やかな装飾がなされている。

 その中で理事長室は群を抜いて栄華だ。

 カラフルで収まらず立体にまで発展したそれは、装飾よりもむしろ作品に近い部類となっていた。


 そのせいで目立つ。目立つが、異彩を放つアートのせいで理事長室には事実とは異なるイメージが植え付けられ、中に入ろうとする人はよほどじゃない限りはいなかった。


 が、瑞樹はこの修羅の門の正面に立つと、一度深く深呼吸をし、数度扉を叩く。


「入りなさい」

「失礼します」


 感情のこもっていない冷淡な声が部屋の中から返ってくる。

 しかし瑞樹は怖気付くことなく、堂々と中に入った。


 部屋の巨大机の奥に、声の主は座っていた。白髪混じりの長髪だが年齢の特定できない男性。

 一見優しそうに見えるが、人間性が感じられないと多くの人が会話すら恐れていた。


 

 なんの訳あってか彼が理事長に就任したから入試での合格点を大幅に下げ、高校の質を落としていった。


 こんな学校には不良や問題児が多く入学してくると思いきや、その誰もが入試で彼と会っただけで入学を断念したという。


 まあ高校に入ってから落ちていく人もいるが、校則を守らなければ停学、悪ければ退学と、犯罪スレスレを行く人は生まれにくかった。


「君が来ることは知っていた。あの件、なんだろう?」


 そう言いながら左手の人差し指で天井を差す。それを見た瑞樹はプリントを持つ手を前に突き出し。


「ノルマは果たした。これなら問題ないよな? 五連続全国模試一位。これじゃ不満か?」

「私も可能な限り約束は守る主義でね、今すぐにでも承諾してあげたいよ。だがこっちにも都合というものがあってね。残念ながら今の私には何もできやしない」


 成績が良けれさえいれば、どんな無茶な要求も聞き入れてくれる。これを求めて入学した生徒も少なくない。


 瑞樹もその一人だ。

 中学でも彼の成績は抜き出ていた。それは頭一つと言わず、もう何十個分も。


 そんな瑞樹が難関校に行かずこの落ちぶれた学校を選んだのは、将来を見据えてのこと。

 彼の成績でならこれまでにない要求が可能だった。


 こんな回りくどい方法を使わずとも瑞樹ならいずれできてしまうだろうと思えるが、その進路は正規ルートではたどり着けない、いわば隠しステージだった。


 そのたった一つのゴールへの道が、これなのだ。


 だがこれは表向きにされた嘘っぱち、とまでは言わないが、理事長に要求を聞き入れる意思がないため、あながち間違ってはいなかった。


「追加のノルマを達成したらこれか……。なら間違って研究所に直接持ち込むだけだ。学校の真実を持ってな」

「いいのかい? 間違って退学にしてしまうかもしれないよ?」

「なっ!?」


 権力の横暴。パワハラ。やってはいけないことではあるが……。


(この人ならやりかねないな……)


 どうしたら良いか。瑞樹は頭を抱えた。


 入学した当初はまだ瑞樹も会話に敬語を用いていた。それは相手が理事長というトップの立場の人間であり、瑞樹もある程度の尊敬の念を抱いていたから。

 しかし数回言葉を交わしたところで、理事長が瑞樹の思うような人物でない事が判明し、今の瑞樹の評価は「ゴールを防ぐボスキャラ」的なものだった。



 瑞樹の望みは、理事長の弟が学長を務める大学で密かに進められて来た研究のチームに参加すること。

 そのテーマは「空間移動」、要するにあの便利なドアを作ろうということだ。


 これは瑞樹の小さい頃からの夢であり、またその夢を実現するための頭脳と行動力を彼は持っていた。


 足りないものは実現のための環境だけ。

 そしてこの場では理想への切符を手に入れることができた。


 この研究は外部と一線を区切り情報公開は一切なかったため、彼がその存在を見つけたのはほんの偶然だ。


 しかし、夢の実現のチャンスが目の前にあるのにそれを断念する瑞樹ではない。


「今度はどうしろと言うんだ。まさかまた全国模試で結果を出せとは言わないよな? 次の試験は三ヶ月後。それまで待つ気にはなれない」

「なに、私もそこまで腐った大人ではないよ。今朝のニュースは見たかな?」

「……見たが、それがどうした」


 瑞樹の声が一段階下がる。そろそろ彼のフラストレーションは限界値に近づいていた。


「それは良かった。私はあの事件について少し信じがたいところがあってね。というのも、あそこは私の私有地なんだ。ほとんど行くことがないが、警備は厳重さを追求した一級品だ。侵入はありえないんだよ」


 ニュースで報道された情報とは、「日本のとある住居に何者かが忍び込み、火災を引き起こし逃走」といったものだった。

 何かを盗むことをせず、目的は不明。たしかに不思議な事件ではある。


「侵入者はレーザーで焼き切る。そのための装置はいたるところに設置されてるよ。それも避けられない程度には、ね。なのに作動しなかったらしいんだ。最奥部まで侵入した形跡はあるのにね。

 気にはならないか?」

「…………」

「これが最後だ。君からも何か調べてみてくれ。道は分かるだろう。私が納得し次第あいつと掛け合ってみるよ。約束する。ああ、それとも承認が取れたら行動をとるかい?」


 こうなったらもう理事長を止めるのは無理だなと瑞樹は匙を投げた。

 一高校生に頼む事とは思えないが、瑞樹はこれが可能だ。そのせいでこう面倒ごとを押し付けられる。


 断りたいところだが、この依頼は早くて数日で終わる。テストを受けるよりはよっぽどましだ。そう考え。


「必要ない。明日から当たってみる」

「そうか、そうか。頼んだぞ!」


 瑞樹は理事長に弟と話をつける覚悟があることを察し、後払いで応じた。これは散々延期してきたのに加え、この依頼の成果によっては望みをランクアップさせるつもりだったが。

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