第7話 決別の日
いつもどおり、大学の帰りにスーパーで買い物をしてから藍の部屋にやってきた。
今日も藍は何週間同じものを着ているのか分からないような服を着て、俺を迎える。
買ってきたお弁当を広げ、汚れた床に座る。大人しくそれらを食べながら、藍が「ああ、そういえば」と話し始めた。
「昨日、恵がここに来たよ。心配してくれたみたい」
恵、来てくれたのか。そう、と相槌を打ってから、嬉しい気持ちでご飯を口に運ぶ。
「私と、京介くんのことを、ね」
そう言った彼女の顔は歪んでいた。あざ笑うように、口角を上げる。
「恵ね、京介くんのこと好きなんだって」
驚きで、目を見開く。恵が、俺のことを?
自分が恵のことをどう思っていたのか、よく分からない。そりゃ、大切な友達で大好きだけれど。それ以上に思っていたかどうかなんて、もう分からなくなってしまった。
でも、確かに、初めて会った時。
恵は、まるで芸能人のように華やかで、こんなにきれいな人、今まで見たことがない。そう、思ったんだ。
俺の気持ちを読み取るかのように、藍は睨むようにこっちを向いてから、意地悪く笑った。
「バカみたいだよね、京介くんは私と付き合ってるのに」
人を好きになる気持ちを否定したのが、他の誰でもなく彼女だったことに、まず驚く。
そして、次には怒りに似た感情が、胸を満たした。バカみたいだ、なんて、どうしてそんなことが言えるんだ。
藍の顔をこんな気持ちで見つめたのは、初めてのことで、戸惑ってしまう。どうすればいいのか分からない。
散々迷って、俺は無言のまま、食べ終えたお弁当を片付け始めた。自分で出したゴミはエコバッグに入れて持ち帰る。それが自分なりに決めた、この部屋で過ごす時のルールだった。
少し離れた場所に置いてあったエコバッグをこちらに引き寄せようと、その場に立ち上がる。すると、藍は俺がそのまま出ていくと思ったのか、腰に抱き着いてきた。
腰に回された手が、大きく揺れる。藍の顔を見ると、彼女は泣いていた。
「行かないで」
行かないよ、と答えようとした時。彼女は大きく鼻をすすり、手によりいっそうの力を込めて、
「お願い、京介くん、私と死んで」
どくん、と心臓が鳴る。
ひどく懐かしい気持ちになる。死にたい、と思ったこと。俺にもあった。けれど、父さんが、俺を死なせてくれなかった。
実際、父さんの前で死にたいと口走ったこともある。怒鳴られる、と身構えたが、父さんは俺を優しく抱きしめてくれた。
優しい人だ。俺も、こんな人になりたい。
あの時は、確かにそう感じたはずなのに、今、彼女にそうしてあげようとは思えなかった。それはなぜか。彼女のことが怖かったからだ。こんなに小さい彼女が、俺はものすごく恐ろしい。人に、一緒に死んでほしいと言えてしまうことが。
気が付いた時には、彼女の腕を振り払っていた。ごめん、藍。でも、俺。
「ごめん、俺は、母さんが目を覚ますまでは死ねない」
言い残して、俺は部屋を出る。後ろから名前を呼ばれた気がしたけれど、振り向く気にもなれなかった。
藍のことが好きだった。それが恋じゃなかったとしても、彼女に抱いた感情はあたたかく、穏やかな、大切な人を思う時のそれであったこと。それだけは間違いない。でも、藍や、そして洸希や恵に、自分の気持ちに嘘をついたと思われても仕方がないことを、俺はした。
これは、その報いなのだ、きっと。俺が真剣じゃなかったから、藍は悲しみ、怒りを感じたのだ。彼女の気持ちを本当の意味で受け入れることができなかったから。全部、俺が悪い。
俺と藍は、終わったのかもしれない。無心で散々歩いてから、いったん落ち着こうと閑散とした公園のベンチに座って、そんなことを思った時。俺は自分が泣いていることに、初めて気がついた。
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