ある光のうたかた
第1話 希望の春
中学を卒業し、あと数日で高校の入学式を迎えようとしていたある日、俺にとってまさに悲劇が起きる。
母さんが俺の入学祝いを買うために、街のデパートに行き、その帰り、暴走した車にひかれたのだ。
連絡を受けてすぐに病院に駆けつけたけれど、その時にはもう母さんは昏睡状態に陥っていた。
医師からは、今後目が覚めるかどうかも分からないと告げられ、まだ若かった俺は、絶望してしまった。
現場に落ちていた、模様がついた紙袋の中には、ブランド品のペンのセットが、ほとんどきれいなまま残っていた。
それらを受け取った時の気持ちが、今でも簡単に思い出される。悔しくて、苦しくて、泣きながら紙袋を抱きしめた、あの日のことを。
入学した高校では、自堕落な日々を過ごした。友達をつくる気にもなれず、どんどん非社交的な人間になっていく。
成績だけはそこそこよかったものの、学校に思い入れや執着などは全くなかった。
全てを拒絶し、一人だけで過ごすのが当たり前になっていく。
なんの疑問も持たなかった。家族のうちの一人が、生命維持装置を付けられ、もう目覚めないかもしれない。その事実は、俺をとことん追い込んだ。
そして今、母さんが眠りについて、三年が経とうとしている。
あれだけ気力を失っていたのに、無事、大学に進むことができたのは、奇跡じゃないかって思う。
父は以前は全く家に帰らない人だったけれど、母さんが事故に合ってからは、よく俺を励ましてくれた。
家庭をかえりみない父に反発し、恨んでさえいたのに、今は普通の家族になれたんじゃないかと感じるくらいだ。
そう、決して悪いできごとばかりではなかった。でも、どうしても母さんに、目を覚ましてほしい。
高校三年の時、父に問われた。お前は、何がしたくて何になりたいのか。
俺は躊躇など全くせず、答えた。「教職につきたい」と。
父は少し驚いて、それから嬉しそうに微笑んだ。父は現役の教師なのだ。
怒涛の早さで、大学行きは決まった。俺は猛勉強をして、実家からは少し離れた、一人暮らしをしなければならないようなところにある大学に受かることとなる。
本当は地元で受かりたかったのだが、得意科目との相性も悪く、諦めるほかなかった。
父には散々謝ったけれど、俺を責めるようなことはせず、笑顔で送り出してくれた。
大学に通うたびに、心臓がどくどくとうるさい。周りは楽しそうなのに、俺だけ置いていかれているような気がする。
昼前の講義を終え、昼ごはんでも食べようかと学食に来た時、誰かが突然勢いよく肩を組んできて、俺はものすごく驚いた。
俺が声にならない声を上げていると、その人は遠慮などせず、顔をのぞき込んでくる。
「やっほー、遠藤くーん」
茶髪にピアス、カジュアルな服装でにっこり笑うその人。同じ講義を取っていることが多い、
「原くん。び、びっくりした」
「そんなビビることないんじゃね? なあなあ、一緒に飯食おうよ。今日の日替わり定食うまそうだよ」
ぺこぺこと頭を下げつつうなづくと、原くんは、あははと笑い声を立て、「なに、おれって偉い人?」と機嫌よさそうに俺の髪を手で撫で回す。
ぐしゃぐしゃになってしまった髪を直すより先に、原くんは、
「混んでるから、おれ席とっとくね。おれは日替わりでよろしくー」
ああ、またこのパターンか。
そう思いながら、俺は列の最後尾に並んだ。
前にも、こんなことがあった。初めて原くんに声をかけられ、飯一緒に食おう、と誘われ、席とっとくから買ってきて、と言われ。
そして両手に頼まれたものを抱えて戻ってくると、「あ、おれ、今日金ないや」と言われる。
別に、だから立て替えてと頼まれたわけではないけれど。彼が怖かったし、手持ちがないなら仕方がない。俺が払っとくよ、と言うしかない。
ごめん、今度返すからー。とは言っていたけれど、あれから数週間、彼がお金を返してくる気配はない。
きっと、踏み倒されるのだろう。そう覚悟していた。俺から返してくれなどとは絶対に言えないし。
だから、仕方がない。今回の分も、きっと俺が持つことになる。
そんなことを考えながら、日替わり定食二人分を運んで席に戻ると、原くんは笑顔で待っていた。
「おっかえりー」
ただいま、と返事をする前に、原くんは割り箸を構えて日替わり定食をテーブルに下ろす。
「いっただっきまーす」
そう言って、食べ始めようとした。しかし、彼の持った箸は皿の前で止まり、
「おっと、忘れるところだった」
彼はズボンのポケットをまさぐり、何かを手に握って、俺の目の前で出してみせる。
そこにあったのは、数枚の小銭。
「この前の代金と今回の合わせて、これで足りる?」
にっこりと笑う彼を、俺はしばらく見つめていただろうと思う。
俺は、なんたる勘違いをしていたのだろう。彼はごく常識的な人だった。
見た目がチャラくても、いい人なのだ。
俺が感動で何も言わないのを、彼は違う意味にとったらしい。慌てた様子で、
「そんなのいいよって言うのはなしね。おれ、貸し借りなしで遠藤くんと仲良くなりたいからさ」
「俺と?」
信じられない気持ちで聞き返すと、
「そうだよ。この前、金ないって言ったら払ってくれたでしょ。すげえいいやつだなって思った。次、昼飯に誘う時にまとめて返そうって思ってたら遅くなっちゃったけど」
ごめんね、と手を合わせる彼に、俺は首をふる。そして、目の前に出されたお金を、ありがたく受け取った。
「ありがとう。きちんと返してくれて」
「当たり前のことじゃん。でさ、これでおれら、友達になれたかな?」
友達。久々に聞いた言葉に、胸が熱くなる。どうしよう、嬉しい。
じわじわと湧き出てくるあたたかい思いを感じながら、大きくうなづく。
それから、俺は大学では原くんと過ごすことが増えた。
一週間ほど経って、俺の交友に関係する人物が自分以外に全く存在しないことを知った原くんは、満面の笑顔で、
「遠藤って、おれ以外に友達いないの?」
それは、果たして笑って言うことなのだろうか。
こいつ、容赦ないなあと思いながら、歯切れ悪く「うん、まあ」と答える。
すると、原くんは立ち上がり、
「じゃあ、顔が広いやつ紹介してやるよ」
と、俺を引っ張って大学内へ無理矢理連れて行った。
どこへ行くのか、という問いに、彼は答えない。着いた場所は、女子がとにかくたくさんいる教室だった。
「女子生徒が多い講義なら、女子力高めるーとか言ってあいつが来てるはず」
きょろきょろと周りを見渡し、誰かを見つけたように「ビンゴ」と呟くと、原くんは、「恵ー!」と大声で誰かを呼んだ。
その声を聞き、早足で現れたのは。
「何よ、うるさいやつね」
原くんの髪の色より濃い茶髪は、丁寧に巻いてある。華奢でスタイルがよく、俺と同じ大学の生徒とは思えない、そのきらびやかな姿に。
俺は、反射的にビビってしまう。
「こいつ、おれの幼なじみの
いきなりそれぞれを紹介すると、原くんは「仲良くしてやって」と付け加えた。
二見さんは、俺の顔をじーっと眺めて、
「へえー、洸希の友達にしては珍しいタイプの子ね」
「でしょ? 遠藤はめっちゃいいやつなんだけど、おれ以外に友達いないんだって」
「何それー、コミュ障なの? この人」
二人そろって、あははと笑う。似た者同士だなあ、となんとなく二人の仲がいいことに納得する。もしかしたら、付き合っているのかもしれない。
「原くんと二見さんは付き合ってるの?」
なにげなく聞いてみると、二人は面食らったような顔を見合わせて、再び笑った。
「うけるなあ、遠藤。んなわけないじゃーん、ただの腐れ縁だって。な、恵」
「そうそう。だって保育園から一緒なのよ。……ん?」
二見さんが眉根を寄せ、何かに気が付いたように、
「あんたたち、友達なのにまだお互い苗字呼びなの?」
原くんも、「あーっ、それはおれも気になってた」と言いだし、二見さんが突然、
「京介!」
と、俺の名を呼んだ。
「京介って呼ぼうよ、洸希も。で、京介は私たちのこと、これからは名前で呼び捨てにすればいい」
「それ、めっちゃいいな。京介もいいよな? 京介ー?」
驚いて何も言えずにいる俺にかまいもせず、二人の掛け合いは続く。
「京介、私のこと恵って呼ぶのよ。二見さん、なんて呼んだら言い直させるからね」
「おーこわ。おれは洸希な、洸希。あーなんかすっげー友達って感じじゃん? っていうか親友? 心の友?」
「それはないでしょ」
「なんでだよー、なるかもしれないじゃん」
「親友や心の友を超越した、新しい関係をきずくのよ!」
「うわあー、恵、お前頭いい人か?」
気がついたら、俺は思い切りふき出していた。こらえきれないほどの笑いが、口から漏れ出る。
一斉に俺のほうを向いた二人に、笑いながら、
「お、おもしろい、すっごく」
あははは。遠慮なく笑みがこぼれる。そういえば、こんなふうに笑ったの、久しぶりだ。
二人が何やら衝撃を受けたような表情をしているのを見て、俺はようやく自分の口をふさいだ。
どうしたのかな、と首をかしげると、
「かっわいい、京介。笑うと」
「やばいわー、おれ、がん見したわ」
なんだかよく分からないことを口走る二人に、俺は「よろしく」と握手するために手を差し出す。
「洸希、恵」
洸希と恵は、俺の手を同時につかもうとして何やらけん制し合っていたが、じゃんけんで順番を決めることにしてことなきを得た。
友達ができた。二人がいれば、俺は強くなれる。そんな気さえしていた。
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