第5話 ひねくれ者



 裏庭に行くと、まだ誰もいなかった。一人きりで地面に腰掛ける。

 今日は志緒が所属する委員会の人たちと昼ごはんを食べるというので、私だけで来たのだ。

 みゃあ、と甘えた声が聞こえてきたので、そちらを向くとクロが突撃してくるところだった。

 柔らかい身体を受け止め、お腹に顔をうずめる。「クロ、クロぉ」ついでに、匂いもかいでおく。


「香椎、お前、やってんなあ」


 振り向かなくても誰がいるか分かる。私の周りで、彼ほど乱雑な言葉遣いをする人間は、ほかにいない。


「辻くん」


「言っておくけど、たぶん今みたいにできるの子猫のうちだけだぞ。成長すると距離感生まれるからな。動物って」


 そうなのか。衝撃を受けていると、彼の隣に、いつもの人がいないことに気がついた。


「久賀岡くんは?」


「いつまでたっても来ねえから五組寄ってみたら、豆テストの点がよくなかったからって復習させられてた。今日は来れないかもな」


 先生も遅い。担当する学級で何かあったのだろうか。とりあえず今日は志緒が来ないことを話すと、


「先生が来るまで暇だから、何か話すか」


 辻くんは私の隣に座り、うーんと数秒考えると、ぽんと手を叩いた。


「この間、お前、勉強はするけど順位にはあんまり興味ないって言ってたよな」


「ああ、言った」


「俺な、それ、めっちゃくちゃ羨ましい」


 涼しい顔でそう言うと、辻くんは表情はそのままに、遠くを見つめた。


「俺は、常に一位じゃなきゃいけなかったから」


 辻くんは、今なら言える、と昔話をし始めた。


「俺の両親さ、ほんっと最低なんだ。毎日毎日、バカでかい声でけんかして、口汚く罵りあって。それをいつも聞いてた俺はどうなると思う? 親のせいだけとは言わないけど、実際、よくない影響はあったんだ」


 あとさぁ、と重ねるように言うと、


「父親のほうはお前は勉強で一番になれってうるさくて。小学校に入学したら、百点取れなかったら食事抜きだぜ。鬼だよ、鬼。俺の教育方針でも、相当もめてたね」


「それは、辻くんの親は別れなかったのか?」


「別れたよ。俺が小学三年生の頃に。俺は母親と一緒に暮らすことになったんだけどさ、二人で暮らす部屋に引っ越した日、母親になんて言われたと思う?」


 また何か言われたのか、と考えたが、全く分からない。私の様子を見て、辻くんは続けた。


「あんたが私に似ててよかった。あの人に似てたら、一緒になんか暮らさずとっくに見捨ててたわよ。だぜ?」


 見捨てる? 自分の子供を? 

 私でも親にそんなことを言われた記憶はないのに、辻くんの記憶には、きっといっぱいあるんだ。私に言ってないことでも、理不尽に吐かれた言葉たちが、まだ。


「父親からは解放されたけど、なかなか自分を変えられなくてさ。どこかで父親が見てるような気がして、気が抜けなかった。言い聞かせられたことって、いつまでも残るもんだな」


 しかし、次の話をした辻くんの表情は明るかった。


「で、四年生になると、転校生が来た。嵐のことだ」


「そうか、二人は小学生の時から知り合いだったんだな」


「あいつが来て、俺の毎日は信じられないくらい楽しくなった。周りから浮いていた俺に、嵐は話しかけてくれたんだ」


 愛しげに目を細め、いつになく優しい顔をする辻くんに、私はくぎ付けになってしまった。

 こんな顔もするのか。辻くんは、私が思ってるよりずっと表情豊かな人なのかもしれない。


「中学に上がっても俺らの関係は変わらなくて、中学ではお山の大将きどってるやつが俺のこと孤立させようとしたり、色々あったけど、嵐は俺から離れていかなかった」


 今度は本当に満面の笑みを浮かべて、へへ、と呟いた。心の底から嬉しそうに。


「俺、あいつのことほんとに大好きだ」


 その笑顔に嘘はない。絶対。

 自分を隠そうとしない辻くんに、私まで嬉しくなってくる。


「こんなふうに話してくれたの、初めてだな」


「だって香椎って思ったより話しやすいんだよ。ずっと孤独な戦士だと思ってたのに、初めてクロに会いに来た時のお前は全然違ってた。俺よりコミュ障で、すぐ顔に出るし」


「そ、それは、なんだか、すまない」


「なんで謝んの? 俺、ほめてるんだけど」

 

 変なの、と久賀岡くんの話をしていた時のように笑ってくれる。

 予想外になごんでいると、入口から先生の顔が見えた。


「こんにちは! あれ? 今日は二人だけか?」


「遅かったじゃん、先生。なんかあったのかよ」


 軽い口調で辻くんが聞くと、


「ごめんな、生徒の勉強を見ていたんだ。お、なんだかきみたち仲よくなったか? いつもより嬉しそうだな?」


 本人たちよりも嬉しそうな先生に、私と辻くんは顔を見合わせてうなづいた。

 クロがみゃお、と鳴きながら辻くんにすり寄る。まるで、わたしもお前のことが大好きだからな、とでも言うように。

 すると、辻くんはふにゃりと頬をゆるめ、


「お前かわいいなあ、クロ。クロにゃん」


 と言って、クロを抱きしめたのだ。

 私は驚いて後ずさり、先生は目を丸くしている。

 辻くんは私たちの反応を気にすることなく、クロのお腹をにゃあにゃあ言いながら撫でている。

 あの時、「大丈夫かよ」と冷めた目で私を見たのは一体誰だったか。


「辻くんじゃないみたいだ」


「なんだよ、動物に愛情を注いで何が悪い」


 平然としながらクロを可愛がっている辻くんは、先ほど久賀岡くんのことを話していた時と同じような表情をしていた。幸せいっぱいって顔だ。

 先生はクロの顔を覗き込むと、


「クロはみんなの愛をひとりじめだなあ」

 

 と言って、なぜか辻くんの頭を、いとおしげに撫でた。


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