第4話 穏やかな時間



 鞄からお弁当を取り出すと、斜め後ろの席に見えるように、小さく手を振った。


「志緒、裏庭行くだろう?」


 志緒は「うんっ」と大きくうなづく。一緒に廊下を歩いている途中で、彼女がなんだか言いたいことがあるような微妙な顔をしていたので、「どうした」と聞くと、


「奈津美、お願いがあるんだけど。今度、空手部の練習見に行ってもいい?」


「いいけど。退屈だと思うが」


「そんなことないよ。わたし、窓から道場覗いたことあるけど、かっこよかったもん。だからきちんと見たいなぁって思ったの」


 彼女は不思議な子だ。私に興味を持ってくれる。名前で呼び合うことを提案したきたのも、彼女からだった。



 ――香椎さん、じゃまだ雲の上の人みたいで。名前で呼んでもいいかな? あ、わたしのことも志緒って呼んで!


 

 女の子と名前を呼び捨てにしあうなんて、人生で初めての経験だ。以前はフリーズ状態で過ごしていた教室での時間も、今は彼女といることでとても充実してきている。

 志緒はいい子だ。けれど、一つ気になることがある。彼女の、髪色。

 どう考えたって、彼女は単なるギャルではない。髪色だけ派手にしただけのように見える。


「どうして、茶髪にしたんだ?」


「高校デビューしたら、一人でも強く生きてていくんだって、自分に暗示をかけるため」


 すぱっと答えた彼女は、途方もなく遠いところを見るような目をした。


「わたし、中学の時にクラスメイトにものを隠されたり、捨てられたりとかしてて。小学校からの友達が結束して助けてくれたんだけど、その子たちとは高校別々になったの」


 大きく息を吸い込み、緊張した面持ちで、「だから」と続ける。


「一人でも、しっかり歩いていけるようになって、友達つくっていきたいって、すごく思ってて。でも結局、高校ではギャル怖いとか言われて友達はできてなかったんだけど」


 何かを思い出したように、


「ああ、そうそう。そう思ってた時に、クラスで席替えがあったの。名前順で並んでたんだけど、仲が悪い人と隣になってそれが嫌だって騒いだ人がいて。その席替えで、奈津美が私の斜め前の席になったんだ」


 志緒は急に情熱的な目をし始めた。仕草も大きくなり、感動しているのを隠さない。


「もう、後ろ姿やちらちら見える横顔が凛々しくって、この人と友達になりたい、なろう! って誓ったの」


「お、落ち着け」


「ごめん、好きなものを語る時のわたしはちょっとすごいから」


 脱いだらすごいわよ、みたいなやつだろうか。


「でも、どうしたらいいんだろうって途方に暮れてたら、遠藤先生が、猫は好きか? 裏庭に俺の猫を連れてきているから来ないか? って話しかけてくれて。猫ちゃんは大好きだからついて行ったら、奈津美に会えたの」


 そんな話を聞いたら、もしかしたら遠藤先生は、全部私のためにやってくれたんじゃないかって自惚れてしまう。

 今まで感じたこともないことが、胸の中にあふれている。誰かに支えられているという自覚や、友達への愛情。私はきっと、ものすごく損な人生を送ってきたのだ。そうとしか思えない。

 だって、今がこんなにも穏やかなのだから。



 裏庭に着くと、一足先に辻くんと久賀岡くんが来ていた。辻くんが「よう」と手を振り、久賀岡くんが律儀にも頭を下げる。


「こんにちは。辻くん、こないだのテスト、また一番だったね」


 志緒が笑顔で話しかけると、辻くんが自信満々といった態度で「ふっ」と息をついた。


「当たり前だろ。俺以上にできるやつなんてこの学校にはいないよ」


「余裕って感じだけど、実はちーちゃん、すごい努力家なんだよ」


 補足する久賀岡くんに、「嵐は黙ってろ」と突っ込むと、辻くんは私のほうを見て考えるような素振りを見せる。


「香椎もかなりよかったって聞いたけど。えっと、何番だったっけ?」


「十一番!」


 答えたのは私ではなく、志緒だった。「うわ、香椎マニア」と辻くんが苦い顔をする。


「奈津美、文武両道だもんね」


 満足そうに微笑んだ志緒に、私は「そうだったか?」と首を傾げる。すると、真似をするように志緒も首を傾けた。


「え、自分の順位、覚えてないの?」


「空手だけやっておけという親に反発して勉強した結果だからな。順位にはあまり興味ない」


「うわ、むっかつく」


 辻くんが小さい声で毒をはいたところで、先生がクロを抱いてやってくるのが見えた。

 

「みんな、こんにちは! さあ、ブラックカイザーゼロ号よ、みんなを癒してくれ」


「ぶら……?」


 久賀岡くんが呟くと同時に、私が「ク、ロ」とゆっくり間隔をあけて念を押す。

 ちぇ、と先生は残念そうに口を尖らせた。


「かっこいいと思うんだけどなあ、ブラックカイザーゼロ号」


「まだ諦めてなかったのか。そんな長ったらしい名前、私が許すと思うのか」


 私は先生の腕からクロを受け取り、「クロだよなあ?」と頭の匂いをかぐ。


「クロでいいんじゃね?」


「クロのほうがいいですよ」


「クロちゃんだよねぇ」


 先生は全員同じ意見だと知ると、


「クロだなあ……」


 と寂しげに天を仰いだ。

 満足そうにクロが、みゃあ、と鳴いた。



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