第3話 友達



 この状況は、一体なんなのか。


「香椎さん、お弁当食べないの?」


 柚野木さんが可愛らしく首を傾げる。その無邪気な仕草や表情に、茶髪ギャルというべき押しの強さは一切感じない。


「ちーちゃんの卵焼きおいしそうだな、一個ちょうだい」


「やめろ、お前は女子か。俺の卵焼きに触るな」


 男子二人にもさきほどまでの緊張感はまるでなく、穏やかな雰囲気でお弁当をつついている。


「いいかぁ、いくらかわいいからって、クロに人間の食べ物をあげちゃいけないぞ」


 先生の言葉に、三人が「はぁい」と返事をする。

 こ、怖い。自分のコミュニケーション能力の欠如が。こんなに和やかな時が繰り広げられているというのに、一言も発せない。


「な、なんで」


 ようやくそう口に出すと、久賀岡くんが「あ、さっきはすみませんでした」と頭を下げてきた。


「覚えてないと思うけど、おれ、空手部所属で香椎さんと手合わせしたことがあって、それで」


「こてんぱんに負けたんだよな、嵐が」


 辻くんが突っ込みを入れると、


「そうなんです、それで香椎さんのこと怖い人だと思ってて、つい逃げようとしちゃって。でも、猫を可愛がれる人なんだったら、安心です」


 柚野木さんが何かを思い出したように、ふふ、と笑った。


「久賀岡くん、さっき初めて会った時、わたしのことも怖がってたもんね」


「だって柚野木さん茶髪だし。ギャルの人かと思って。でも優しくていい人でよかった」


 私以外、全員がなごんでいるような。

 人と付き合うって、こんなに労力を使うものなのか。そういえば、私でも先生とクロに対しては平気だったはずなのに。

 私の気持ちを知ってか知らずか、先生がクロを優しく抱き寄せ、私に見せるようにクロのかわいい顔をこちらに向けた。


「にぎやかで楽しいなぁ、香椎」


 ああ、確信犯だ。なるほど、私に友達がいないと分かるとこういうふうになるわけか。

 恐らく、というか絶対先生に悪気はない。だが、私には友達がいるという状態がどんなにいいものか、とか、そんなこと分からないのだ。

 親からも、お前は空手だけやっていればいいと言われた女だぞ、私は。

 その日はただクロを眺めつつお弁当を食べるだけで時間が過ぎていってくれたけれど、これが毎日となると。大変だ。

 チャイムが鳴って三人が裏庭を出て行っても、私と先生とクロは残っていた。クロのお腹の匂いをかぎながら、先生に話しかける。


「やってくれたな」


「友達がいると楽しいぞ。高校生活で友達が一人もいないなんて、青春楽しめないぞ」


 はあ、とため息をつき、クロのお腹をなでる。


「ありがとう、先生」


「……もっと文句を言われるかと思ってた」


「言うわけないだろ。多少唐突だったけど、私のためにやってくれたことに感謝しないわけがない」


 そろそろ行かないと授業に間に合わないな。立ち上がろうとすると、一つに結った髪をぎゅっとつかまれた。なんだか、しっぽを引っ張られたみたいでムカッとして、先生のほうを振り向く。


「なんだ、何をする」


「香椎はいい子だな」


 先生は、まるで泣き出しそうな顔で笑っていた。なぜ、そんな顔をするのだろう。


「そんなこと、初めて言われた」


「それは周りの見る目がなかったんだな。香椎、告白しよう。俺は、高校時代一人も友達がいなかった」


 思わず、目を見開く。


「先生が?」


「一つのことに囚われていて、友達をつくる元気もなかった。だから、ものすごく寂しい思いをした」


 どうやら、事実らしい。先生みたいな明るくて面白い人、何もしなくても人が寄ってくるのかと思っていた。

 

「香椎には、そんなふうになってほしくないんだ。きっと、香椎は変われる。俺はそう信じる」


 いつになく真剣な先生の表情に、私は観念せざるをえなかった。

 明日、あの子たちがここに来たら、つたなくてもいいから話しかけてみよう。そう決めた。



***



 翌日の昼休み、鞄からお弁当を取り出していると、柚野木さんが駆け寄ってきた。


「香椎さん、裏庭に行くの?」


 びくつきつつ、「ああ、うん」と返事をしたら、柚野木さんは嬉しそうに、


「一緒に行ってもいい?」


 うなづきながら、ああ、なんだかすごくいい子そうだな、とそんな感想を持ってしまう。こんなふうに女の子と一緒に行動するなんて、初めてのことかもしれない。

 先生の告白を聞いてから、私の彼女たちを見る目が激変した気がする。怖かった茶髪も朝の挨拶をしたとたん、すぐに慣れてしまったのだから、不思議なこともあるものだ。

 柚野木さんと一緒に裏庭に向かうと、既にほかのメンバーはそろっていた。クロが満足げに、みゃあと鳴く。


「みんな来たな。ささ、クロを眺めつつお弁当を食べよう!」


 昨日とは打って変わって、先生が明るくみんなに声をかける。「はぁい」と返事をしてから、各々お弁当を開く。

 かまわれたいのか、軽やかな足取りで私に突撃してきたクロを抱きしめ、顔の匂いをかぐ。


「おお、かわいいクロよ。クロ、クロぉ」


 そう、いつもどおりクロを褒め称えた時だった。周りの空気が一変していることに気づくまで、相当時間がかかったと思う。

 先生以外のみんなが、心配そうな顔で私を見ている。


「か、香椎さん」


 柚野木さんの呟きで、はっとした。昨日、彼らは私がクロを可愛がるところを見ていない。初めて話す人たちを前にして緊張していたから、クロにあまりかまえなかったのだ。普段の私とはかなりの差があると、先生がよく言っていたのを思い出す。


「おい、大丈夫かよ、お前」


 辻くんが面倒くさそうに言うと、


「しっ。黙ってちーちゃん。あれはなんかの儀式なんだよ、きっと」


 久賀岡くんがありえない話をしだす。

 混乱している彼らをフォローするように、先生が、はは! と笑った。


「香椎はクロに甘えられると、骨抜きになってしまうんだ」


「マジかよ、あの孤高の一匹狼だって評判の香椎が」


「ほんとにですか? あの空手界じゃ有名な上段蹴りの女王が」


「あの、凛々しくて周りと群れないクールな香椎さんが」


 三人三様、色々な噂を聞いていたらしい。

 なんだか、がっかりさせてしまっただろうか。私はもともとそんな人間ではないのだが、噂はひとり歩きするものだ。

 私が三人の様子を申し訳ない気持ちでうかがっていると、


「香椎さんって、かわいい……」


 柚野木さんがきらきらした笑顔で、そう呟いた。


「か、かわいい?」


 思わず聞き返すと、柚野木さんは力を込めた声で、


「うん、とってもかわいい。香椎さん、わたし中学の友達と違う学校に来ちゃったから、この学校に友達がいなくて」


 だから、と続ける。


「わたしと、友達になってくれませんか?」


 言い終えて、柚野木さんは緊張していたのか息をついた。本気なのだと分かる。

 友達なんてつくってないで、お前は空手だけしていればいい。

 何度も親から言われた。でも、今ならその言葉は誤りなのだと、そう思える。


「私でいいなら、いくらでも」


 先生、私は、少しはあなたの希望になれただろうか。



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