第2話 猫好き集結

  


 最近、昼休みは毎日のように裏庭に来ている。目的は断じて遠藤先生ではない。子猫に会うためだ。


「おお、クロよ、お前はかわいいな。こら、地面を掘るな。怒られるぞ」


「香椎ってクロを前にすると人格変わるよな」


 駆け回るクロを夢中で見つめながら、私と遠藤先生はお弁当を食べる。それが当たり前になってきたということが、少し驚きだ。

 

「しかし、真っ黒だからクロか。意外と無難な名前に落ち着いたなぁ」


「先生がブラックカイザーゼロ号とかいう怪しげな名前を付けようとしてたから、私が代わりに付けてあげたんじゃないか」


「かっこいいだろう!」


 胸を張る遠藤先生に、心の底から呆れ果ててしまう。そんな名前を付けて、とっさに呼ぶ時なんと呼ぶ気なのだろうか。一瞬で「ブラックカイザーゼロ号」などという長々とした名前を呼べというのか。

 先生の発言ひとつひとつには疑問が浮かんで消えないが、私はこの人とクロがいるという状況に安らぎを覚えていることを認めずにはいられなかった。

 昼休みに毎回裏庭に出かけていても、不審に思われることもない。もともと、クラスでは一匹狼と呼ばれていて友達など一人もいない。私の行動によって困る人物など、存在しないのだ。

 それに先生といると、なんだか秘密の友達ができたように感じられて、少し嬉しい気持ちもある。

 おお、クロよ。愛すべき乙女的にゃんこよ。(動物病院に連れていった時、クロは女の子だと分かったらしい)

 クロと戯れている私を見て、遠藤先生が満面の笑みを浮かべた。


「香椎って、友達いないのか」


 それは果たして笑顔で言うことなのか。


「……どうして」


「昼休み、毎回ここに来てるだろう。一緒に弁当食べる友達がいないのかなと思って」


 まあ、確かにいないが。認めるしかないけれど、私は少しだけがっかりしていた。あなたのことを友達だと思っていたのは、私だけなのか。


「私は、空手だけやってきた。だから友達をつくる方法を学ばなかった」


「有名だもんな、空手の有段者で全国大会二位になった香椎奈津美。近寄りがたいのかもなぁ」


「そんなこと、どうでもいいだろう。私にはクロがいるからそれでいい」


 なあ、クロ。

 甘ったるい声で名前を呼び、抱き寄せて、匂いをかぐ。こんなに幸せなことだったなら、私もやっぱり自分の家で動物を飼いたかったな。

 先生は私の様子を微笑んだまま見ていただけで、それ以上何も言わなかった。



***



 次の日もお弁当を持って裏庭に行くと、そこにはいつもとは違う光景が広がっていた。

 いるのは、先生とクロだけじゃない。数人の生徒たちが、クロを取り囲んでいる。


「かわいい……先生、この子先生が飼ってるの?」


 女子生徒が聞くと、先生は柔らかい笑みを浮かべた。


「ああ、俺が飼ってるんだ。でも、いつもこの子の面倒を見てくれる一年生の子がいるんだ。おお、香椎!」


 名前を呼ばれ、びくっとしてしまう。

 どういうことだろう。どうして、こんなに人がいるんだ。


「香椎がクロのこと、すごく可愛がってくれてな」


 先生が私のほうを見て、「おーい、何やってる? 香椎、こっちおいで!」と声をかけてくる。

 無茶言うな。私の究極に破綻したコミュニケーション能力をなめるなよ。行けるわけがないだろう。


「香椎さん? あの、空手が強くて有名な?」


「そうだ。なかなか友達ができないらしいから、みんなぜひ話しかけてやってくれ」


 ふざけるな! 叫びたい衝動にかられる。

 さっさとこの場から去ろうと彼らに背を向けたところで、誰かに肩をつかまれた。驚いて振り向くと、そこには。


「香椎さん、待って!」


 見事なまでに、茶髪の女の子が立っていた。これが世にいうギャルという生き物なのか。普通の人でも無理なのに、ギャルの人と話すなんてもっと無理だ。


「わたし、同じクラスの」


 ギャルがそう言ったところで、クロを見ていたうちの一人が突然、裏庭の出口に向かって、つまりこちらへ走ってきた。

 だが、先生がその生徒に、「おいおい、待ってくれ!」と声をかける。生徒は立ち止まると、私の顔を見て固まった。

 坊主頭で、がたいのいい男子生徒だ。そういえば、どこかで見たことがあるような気もしないでもない。


「でかい図体して、自分より二十センチも背の低い女がそんなに怖いのかよ」


 そしてもう一人が、この空間を凍りつかせる。

 みんなして黙ってしまった中、先生が一人、にこにこ笑顔で立ち上がった。


「さあ、みんな。まずは自己紹介だ!俺は遠藤京介。副担任をやらせてもらってる。はい、次!」


「わたし、柚野木志緒ゆのき しおです。香椎さんと同じ、一年二組です」


 ギャルが礼をすると、固まっていた坊主頭が、はっと我に返る。


「おれは一年五組の、久賀岡嵐くがおか あらしといいます、押忍!」


 毒舌男子が、ちっと舌打ちをする。


「一年一組、辻千尋」


 なんなんだ、これは。


「先生が呼んだのか?」


 出た声はあまりにもかすれていて、自分で自分が情けなかった。先生は意気揚々と頷く。


「そうだ、みんなもれなく猫好きだ! これからもクロを可愛がりたいという人は、昼休みに遠慮なくここへ来てくれ」


 わぁ、とギャルが歓喜の声を上げる。


「嬉しい! 家がペット禁止だから、ずっと飼いたいの我慢してたんです。また来ます」


 そう言って、ちらっと私のほうを見た。なんだ、その熱いまなざしは。どういう意図だ。


「おれの家族、おれ以外みんな犬派で。末っ子で立場弱いから、猫飼ってもらえないんですよ」


 頭をぽりぽりとかきながら、坊主頭が言う。すると隣にいる毒舌男子が鼻で笑った。


「お前が立場弱いのは末っ子だからじゃないと思うよ、きっと。気質そのものが弱いからじゃないの?」


「ちーちゃんはいいよなあ、一人っ子で」


「人の話聞いてんのか? あと、ちーちゃんって呼ぶな」


 どうやら、坊主頭と毒舌男子は顔見知りというか、かなり親しいようだ。

 ここにいる人たちの関係性を知ったところで、私はようやくあることに気づいた。

 先生は、遠慮なくここへ来ていいと言った。ということは、私と先生とクロだけだったこの空間は、今までとは変わってしまうということだ。

 どうしてだ、先生。あんなにも居心地のいい場所だったのに、どうして壊そうとするんだ。


「みんな来てくれるって言ってるぞ、よかったなぁ、クロ」


 笑いながらクロを抱きしめる先生に、私は何も言えなかった。


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