第21話 線引き

 光が、細いいくつもの筋となって僕の前方から後方へと矢のように飛んでいく。まるで異世界の入り口に吸い込まれていくような、あるいは奈落へ落ちていくような感覚、錯覚。だけど、時間の壁の向こう側、未だ観測されぬ未知の次元から僕らを眺めている者がいるならば、超高速で一直線に進んでいく僕らの姿が見えるだけなのだろう。同じ現象に対する当事者と観測者の認識の違いに断崖の渓谷みたいな超えられない隔たりが存在する。

 スマトラの話では、それらの光は星の光とそうでないものの輝きが入り混じったものだそうだ。そうでないものとは何なのか、それが気になって聞いてみたが、それはわからないという答えが返ってきた。彼らの知識でも未知の領域がある。そう思って僕はひそやかに胸を撫で下ろした。追いかければ、追いつけるかもしれない。そういう希望が持てる。

 ディスプレイに映し出される鮮やかな光学映像はまるで異世界への入り口みたいで、僕は心を奪われていた。このままどこかへ旅立つことになっても、それでもいいとさえ思えた。コツコツと淡々と繰り返す毎日を良しとしていた自分にとって、意外な心境の変化だった。いろんな事が一度に起きて、混乱しているのかもしれない。どこか夢を見ているような朧げな感覚が頭の中で燻っている。

 このまま……

 このまま……

 だがその時間は長くは続かなかった。

 流星の群れを遡るような鮮やかな景色は突如終わりを告げ、移動速度はゼロを示した。速度の変化による慣性をまるで感じることなく、船は停止していた。

「到着です」

 とスマトラが報告する。

「最終工程に入りますか」

「追手はもう撒いている。少し待て」

 ユカは僕と先輩にそれぞれ声をかけ、僕らはそれに応じて二人並んでユカの前に立つ。

「色々と世話になった。またいつかどこかで会えるといいな」

「俺はもう面倒はごめんだ」

 と先輩は言った。

「聞きたい事がまだまだたくさんあります」

 と僕は答えた。

 僕はユカの目をストレートに見ていた。

 ユカは僕の視線を受け止めていた。その表情は走り回る子供を見守るような穏やかなものだった。そしてユカはゆっくりとまぶたを閉じた後で

「連れてはいけないよ」

 と言った。

 僕は自分がどうしたいのか、正直に言ってわからなかった。

 付いていきたい?

 何をしたい?

 何を知りたい?

 何を聞きたい?

 だけど自分の口から出た言葉は意外なものだった。

「僕にどこかで会った事があるんですか?」

 ユカは目を開けてまた僕を見た。

「私も最初に聞いたが、もしかしたらそうかもしれないな。君はどこかで化け猫に遭遇した事があるか」

「【シュレーディンガーの化け猫】ですか? そうらしいです。でも、前後のことはあまりよく覚えていません」

「そうなのか」

「いや、全くというわけではないんですが、その前と後で何かが違っている、という感じがしてすっきりしないんです」

「何かが違っている、か」

「あなたも、そうなんですか?」

「いや、わからないね。ちょっと思い出しただけだよ。知らないうちに出会いが帳消しにされてしまうことについて思い当たる節をね。それに、何かが違っているというのなら、我々はここにいる事自体が間違いだ」

「船長」

 横からスマトラが口を挟んだ。何かが起きた様子はない。ユカはスマトラの方を見ることもなく、短いため息をついた。

「我々も色々と模索しているんだよ」

「何を目指して?」

「それは秘密だ」

「言えない事なんですか」

「言うべきじゃないって事だな」

「教えてください」

「そこまでの義理はない」

 ユカは視線を厳しくして僕の勢いを遮った。

 僕は一瞬怯んだが、それでも自分を止められなかった。

「一つだけ、お願いします」

「聞こう」

「僕はトポロジクス社が公にしている情報をもとに技術や知識を学んできたけど、今日見たものはあまりにもその論理からかけ離れていた。それについて知ってる事があったら教えてください」

「知ってどうする」

「それはわからない。でも、このまま今までのように与えられたものをただクリアしていくことは、もうできない気がするんです」

 話しながら、僕は気づいていた。分かっていた。

 きっとこの人たちは、この人は、話していいこととそうではないことをキッパリと切り分けて考えている。線引きがある。それが自発的な制約なのか、もしくは何かしらの事情でそうしているのかは分からない。その上で、おそらくユカは決めたラインを超えて話している。だから、どうせなら思いついたことは聞いてしまおうと思っていた。

 ユカはスマトラと短い目配せを交わし、端的に答えた。

「彼らは勤勉だ。その勤勉さは技術の向上と独占にむけて特化されている」

 ユカはそこで言葉を止めた。待ってみても続きはなかった。

 突然の沈黙は、これ以上は話すことはないという意思の表明に思えた。

 僕は自分の背中に冷たい汗を感じた。

 ユカはじっと黙ったまま、全く表情を変えなかった。

 その顔にはさっきまでの優しさや親しみの表情が失われ、感情の抑制された他人の顔が載っていたのだ。

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