第13話 オールチェック

「そうくるか……ただの都市伝説みたいなものだと思いたかった」

「私も話に聞いた事があるだけですけど」

「なになに? 何の話?」

「虚数空間七不思議のひとつですよ。三次元的な波動伝達媒体が存在しないはずの虚数空間で人のささやき声が音声に乗って聞こえてくるって言うヤツです。科学的な解明が為されていないので空間演算に失敗して次元の狭間に取り込まれた人間の霊が成仏できずに彷徨っているのだとかなんとか」

「え? 霊? そういう話か。そんなんいる訳ないじゃん。馬鹿じゃん」

 そういった先輩の声は不自然に音程が高かった。

「ただの噂話ですよ。本気で信じてるのは一部のオカルトマニアくらいのもんです」

「へー、そうなんだ。へー」

 先輩は僕に対して蔑んだような目を向けている。ゴミか汚物を見下ろす目だ。ほんとめんどくさい。

「でも、出発前にララヴァのとこの船員がやられてた時、トーマスルトがそれっぽいこと言ってな。あれもそうなのかな」

「あの時私そう思ってたんですよ。でもなんか言い出せなくて」

 ユカマリはちらりと先輩の様子を気にしたようだった。

 だがあまり話が脱線しても仕方がない。僕は二人に宣言する。

「ウィスパーレイン現象の解釈はともかくとして、問題はこの現象が起きる時はほぼ連動して空間制御系に何かしらのエラーが起きるという事です。なのでこれから一旦、船の全システムをテストします。正常に機能しない部分とそうでない部分をはっきりさせないといけない」

「オールチェックかよ。それどんくらい時間かかるの」

「通常半日くらい掛けてやりますけど……ユカマリさん、手伝ってくれますか。作業分担できればかなり短縮できると思うんですが」

 ユカマリに問いかけると、彼女は「もちろんです」と言って頷いた。


 クラッシュベリー号は現在、ワームルートから通常空間へ復帰する途中の階層に留まっていた。先ほどの先輩の話から推察した状況と若干のズレが生じている。加えて、通信どころか他の機能まで正常に動作していない事が明らかになった。ますますおかしい。僕はあらためて先輩に聞いた。

「通信が途絶えたのって、ID認証する直前って言ってませんでしたっけ」

「ああ……そのはずだが」

「本当ですか? その手続き終わってなかったですか?」

「間違いねえよ。何? 疑ってんの」

「そう言う訳じゃないですが、前後の事実関係をなるべく正確につかんでないと、正しい対処ができないかもしれませんので。嘘ついたり隠したり誤魔化したりしてる事あったら正直に言ってください。責めたりしないから」

「思いっきり疑ってるじゃないか」

「どうなんです」

「ほんとだよ。嘘じゃないよ。ちょっとは俺を信じてくれよ。……そんな目で見るなよ」

 僕の目つきがよほど猜疑心に満ちていたのか人間味を欠いていたのか、先輩は迷える子羊のように涙目になっていた。どうやら嘘ではないと見える。まあ、この状況で何らかのミスを隠した所で益になるものは何も無いのだが、この人は馬鹿なのでいちおう確認する必要があったのだ。

「そうすると、なぜ空間遷移が行われたのか」

 ユカマリがディスプレイ上の図面をじっと睨みながらそうつぶやいた。

 その通りなのだ。違法或いは違反のトラベラーを監視するため、船体IDの認証はルートの出入りで必ず事前に行われる。その際、搭乗者の生体データも同時にやり取りされ、さらにはパスコードの確認も要求される。二重、三重のセキュリティでルートの保守管理を徹底しているのだ。現状はその通常の手続きを経ないままに空間移動が行われ、且つ途中で中断しているという事になる。地上で言えば高速道路を降りる時にゲートの手前で停止してしまった状態と言える。しかもエンストで外からドアロックを掛けられてる。異常な状況と言わざるを得ない。考えられる限りの議論を尽くしたあとで、僕とユカマリはディスプレイに映し出された船体システムの管理画面を腕組みして睨みつけたままフリーズしてしまった。原因が分からない。

「あのさあ」

「ちょっと黙っててください。考えてるんで」

 先輩の呼びかけに対応する余裕も無かった。このままディラックの海に漂う沈没船の乗組員として余生を過ごすなんてまっぴらごめんだ。

「幸いと言うか、ロジカルコートが有効に機能しているようなので、演算空間に留まっている事は間違いないと思います」

 とユカマリが言う。

「そうですね。そうでなければ既に僕らは肉体も精神もバラバラに解かれているはずです」

「理論上はそうなってます。でも、それもまだ仮説の段階でしかありません」

「そうなんですか」

「実証された訳ではありませんし。過去に起きた事故の報告書を見ても、推測の域を出ない話なんです」

「そうだったんだ。さすが、トポロのエンジニア。詳しいですね」

「仕事ですから。演算空間の制御や仕組みについては私の専門なんです。だからといって自分の身で試したいとは思いませんけど」

「なあ、ちょっといいか」先輩が口を挟もうとする。

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