第12話 ウィスパーレイン
ユカマリのイメージが気になりつつも、僕は迷路のようなシステムの構造の中を探査していく。システムを三次元化してイメージするのが最もベーシックなやり方で、自我とデータの境界線がつけやすいのだ。
システムログのエリアに辿りつき、検索をかけると、どうやらハードウェアに関するエラーは見られない。僕はひとまず胸をなで下ろし、エラーが発生した箇所の特定に意識を向けた。すると、やはり通信モジュールの挙動に不自然な点があった。通信信号の接続不良を示すアラームがある時点から大量に発生していたのだ。エラーの発生した時刻をチェックすると、確かにID認証の直後になっている。これは先輩の話と一致する。しかし、接続不良とはどういう事だろう? 先輩はプロトコルを替えてもダメだったと言っていた。直前までは実宇宙空間との交信は確立されていた訳だから、何らかの原因で通信に不具合が発生したと考えられるのだが、人為的なミスが発生するような状況ではなかったし、ソフト的にも問題が無いとなると、やはり外部環境が、という話になるのだが(だからこそハードの故障を疑った訳なのだけれど)データ上にその痕跡はないし、体感的にも何も感じなかった。
「どうなってんだ」
ひょっとしたらあのアホな先輩の事だから自覚のないままに公共通信上でNGワード指定されてる単語の二つや三つくらい口走ったんじゃないか。その可能性はある。
半ば本気でそう考えて、音声データに意識を向けた。通信開始時点から再生させる。音声は航運管制コントローラの声がして応答を求めてくるところから始まっている。この時先輩は僕の頭にアイアンクローを決める事に集中していたはずだ。やがて遅れ気味に先輩の応答が始まった。荒ぶった鼻息が言葉の間にまじってノイズのようだ。下心しかないくせにどこまで平常心を無くせば気が済むと言うのか。などと呆れていたが、激しい鼻息が聞こえたところでブツリと交信が途絶えた。
ここで本気で先輩の鼻息が原因だなどとまで言う気はない。
何かがおかしかった。
もう一度始めから再生させた。
「で、何度か編集してノイズの正体を突き止めたんです」
システムから離脱して、僕はすぐに先輩とユカマリに説明を始めた。少しばかり奇妙な感覚を抱えたままではあったが、それは脇に置いておく。
音声ログの一部をコピーしてファイル化させたデータを再生させる。スピーカーからは雑音交じりに人の声らしきものが出力されてくる。僕の埋まっているシートの両隣に先輩とユカマリがいて、二人が小さく呼吸を押さえる空気が伝わってきた。
ザザ…………しも……ザ……って……ザザ……わたし……ザザザ……れて
「なんだ? ナニ言ってるんだ? つうかこれ人の声か?」
先輩が思ったままを口にする。
「確かな事は分かりませんが、僕もそう聞こえます。ただノイズのどの部分を切り取っても同じようなパターンしかないみたいなんです。同じ音……これが人の声、つまりは言葉なのだとしたら、おなじ単語や文節、あるいはひとつの短い文章が繰り返し何回もおなじ場所で流れていたと言う事になります」
「へーそりゃすげえな」
「簡単に納得しないで下さいよ……ここは虚数空間ですよ? 人の声がこんな形で流れてくる訳ないじゃないですか」
「そうは言ったってお前……」
音声は流れ続けている。
「わたしもつれていって」
ユカマリの声に思わず振り向いた。
「え?」
「そう……聞こえます」
僕はユカマリの表情を確かめる。
僕にもそれは分かっていた。というより、はっきりとそう聞こえた部分はあえて言及していなかった。自分の夢や妄想に出てきたユカマリのセリフとまったく同じものがこの人為的に作られた演算空間に流れているなんて気味が悪かったし、なんとなく自分の内面を吐露しているようで気恥ずかしかったというのもあったのだ。
しかし、当のユカマリがあっさりとその言葉を口にした事で背中にじわりと汗が滲んでいくのを感じた。
「そうおもいませんか?」
ユカマリが僕の目を見て聞いてくる。
僕は頷く。「たぶんそうだと思う」と答えたところで言葉がつまる。結局のところ、それがそうだと分かったところで通信障害の原因がわかった事にはならないのだ。代弁するように先輩が言う。
「で、どうなるの?」
僕は肩を竦めて見せるだけ。
「俺たちどうなるの。どうすればいいの」
「わかりません」
ため息交じりに答えると、先輩が途方に暮れて泣きそうな顔になる。
「これって……」
先輩の面倒はさて置き、言いながら僕はユカマリの方を見た。
「たぶん、ウィスパーレイン現象だと思います」
それを聞いて、僕は鼻から空気を噴きだして唸った。
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