第11話 ルーチン

「おーい、コントロール。どうしたあ? 聞こえんのかあ」

 すでに先輩はよそ行きの態度を忘れ、素の軽さを全開にしていた。

「だーめだこりゃ。通信システムがバグってんのかいな」

「どうしたんです?」

 僕が聞くと、先輩はシートのリクライニングを最大に倒して寝転んだまま上目遣いの視線を背後の僕に向けてくる。変な顔だ。

「ワームポートとの通信が途絶えた。原因が分からん」

「何やったんですか」

「なんもしてねえよ。ただ業務上常套句の応酬してただけだし」

「それで通信が落ちる訳ないでしょう」

「だから原因が分からんと言ってんだよ」

「音声だけ落ちてるとかじゃないんですか」

「お前なー、俺だってそれぐらいの確認はするっつうの。音声もテキストもダメ。プロトコル変えても無反応」

「コントロールとは何を話してたんですか」

「ルートアウト前の船体IDの認証をこれからよろしくってとこだな。よろしくの「よ」のあたりでぶっつり」

 僕は腕を組んで考える。

「ハードですかね」

「え……まさか物理エディタがイカレたとか」

「飛躍し過ぎだとは想うけど、考えられなくはないです。通信関係に限った範囲だとは思いますけどね。ちょっとシステム潜っても良いですか」

「おお、頼むわ。いいとこで上がって来いよ」

「はい」

 僕はサブシートに身を沈め、システムにメルトインした。メルトインは直接融合とも言って、ニューロポート経由で脳とシステムを直接的に接続する時空船エンジニアの特権だ。船体を動かすあらゆるプログラムにアクセスできるが、長時間の融合は脳細胞に悪影響を及ぼすと言われている。つまり、それぐらいの危険を犯してでも対処すべき危機的な状況である可能性がある。少なくとも僕はそう判断したし、先輩も反論しなかった。

 物理エディタなしでは空間記述ができない。それはつまり、このワームルート空間で移動ができないということだ。自力での空間離脱も不可なのでルートの流動性に身を任せるしかない。あるいは運良く実宇宙側の港運管制局が座標を特定してピンポイントでクラッシュベリー号周辺の空間を実宇宙と繋げてくれれば助かるのだが、それは宇宙の中で人間とそっくりの地球外生命体を発見することよりも低い確率かもしれない。僕としてはそのような状況には至らずにシステム内のバグやそれ以外の何でもいいから論理的な段階での解決を模索したかった。自力で出来る事はとことんまで追求していかなければならない。今の状況では、それは生き延びる努力とほとんど同じ意味だ。

 管理者権限でメインシステムへのダイレクトメルトインを開始すると、頭の中で小脳に近い海馬のあたりにある感覚が生まれる。コーラを注いだ直後の表面のようにぷつぷつと小さな泡が膨れて割れ、そこにそのまま沢山の穴があいたような感じ。意識の回路に穴が空いたのだ。外からの情報がどっと流れ込んでくるのを意志の力で押さえ込まないと、一気に持っていかれる。自我が崩落する。適切な訓練や経験が無いと、この時点で外から流入したデジタル信号の流れが脳細胞の有機的なシナプスの発火現象を凌駕してしまい、精神が白紙化してしまう。そうなると二度と正常な精神状態をとりもどせなくなることもあるという。この現象を洪水に例えてフラッドアウトと呼んでいる。ニューロポートにはこの症状を軽減する役割もあるが、限度がある。

 僕は自我をしっかりと保つために自分のからだを意識する。かたち、おもさ、におい、皮膚の上に感じる感覚。シートの中に埋もれている姿勢。僕は時空船の中にいて、二人の乗員がすぐ近くにいる。そして記憶。日常の記憶はとても大事だ。からだの感覚を点とすれば、記憶は線だ。前後の流れがある。朝の食事で何を食べたか、この時間までしてきた事、これから実現させたい事……それらを思い浮かべる事で情報の海の中での自分の枠を確保するのだ。そういったルーチンをこなすと浮かんでくるイメージがある。

 海が見える。

 僕は地球にいて、砂浜に立っている。

 波は穏やかだが、体に響く潮騒の音には雄大な圧力がある。

(わたしもつれていって)

 囁くような声がした。

 僕はユカマリの顔を思い浮かべる。ユカマリが僕を見上げて言っている。置き去りにされるのを嫌う子供のような表情で。

 どうしてそんな顔をするのだろう?

「また今度ね」

 僕はそんな言葉を意識して、海を離れシステムの流れに精神を投じる。

(わたしもつれていって)

(わたしもつれていって)

(わたしもつれていって)

 いくつもの囁きがこだまする。

 後ろ髪を引かれるような想い。

 ずっと前にも確かこんな事があったような気がしたけれど、僕は思いだせなかった。

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