第10話 いつの間にかラブ全開
僕がそのプレゼントを手に取るとユカマリはすぐに「開けてください」と勧めてくる。僕は中身を取り出した。
箱の中身は小さな飾りのついたシンプルなネックレスだった。
「えー、わー、ネックレスですか」
僕はいきなり現れた貴金属に若干気後れしてそう言った。ユカマリはにっこりと満足げな笑顔で説明を始めた。
「モニタリングピース。略してモピちゃんです。航行中にこれを付けていてくれれば、今後は身体検査をしなくて済みます」
「ああ、そういうことですか。え、ほんとに?」
「はい。当初の予定ではもっと早く配備されるはずだったんです。これまで大変お手数かけました。申し訳ございません」
ユカマリは丁寧なお辞儀をしたが、顔を上げたときは屈託のない笑顔に戻っていた。
一瞬でも個人的で特別なプレゼントの可能性を考えた僕だったが、表面上の冷静さを保とうとして無表情にモピちゃんを眺める次第である。
「なんかちっちゃいですね」
「そうなんですよー」
「これだけですか? ほかに測定器とかもなしに?」
「はい。これだけです」
「へー。今更だけど、最初の頃はもっとひどい想像をしてました」
「ひどい想像?」
「うん。もっといろいろゴテゴテした邪魔臭い器具とか装置とか、頭からつま先まで取り付けられるのかと思ってました」
「古い映画の観過ぎですよ。今はこれで済むんです」
「これで何を測れるんです?」
「血圧、脈拍、脳波といった基礎的な生体データに加え、位置情報、移動経路もわかりますし、万歩計にもなります。他にも色々ありますけど企業秘密的な感じなんで……ま、そんなこんなで最先端の医療器具としていくつかの病院には配備されてたりもします。これ、買ったら高いんですよー」
ユカマリは終始にこにこしていた。何が楽しいんだろうと思えるくらいに笑顔が絶えなかった。ユカマリいわくのモピちゃんは、当初はユカマリ赴任と同時に配備される予定だったのが何かしらの手違いで遅れに遅れ、三ヶ月経った今になってようやく届いたという訳だ。人を散々人体実験などと脅かしておきながらのんきなものだ。
さておき、これからは検査の時間を取る必要がなくなるという話を聞いて、僕はちょっと寂しい気持ちになった。いつの間にかユカマリと二人でやり取りすることが楽しみになっていたのだった。
「ちなみに水に濡らしても火にあぶってもハンマーで叩いても平気なように作られていますから、どんな時でも体から放さないようにして下さい」
火にあぶられたりハンマーで叩かれたりするようなシチュエーションの到来は御免被りたいところだったが、要するに頑丈ということだ。これがユカマリの個人的なプレゼントだったら良かったのに、などと思っていると、
「ギンミさん、ちょっと貸して。んで前に屈んで下さい」
そう言ってユカマリはモピちゃんを手に取り、僕の首に腕を回した。
正面からしがみつかれるような格好になって、顔が触れそうなほどに近付くと、ユカマリと目が合った。呼吸が止まった。ユカマリの動きも止まった。思考停止。時間さえ、止まってしまったみたいな。
何だろう、この体勢。
…………
いつの間にか自分の方から彼女に向かって顔を近づけようとしていた僕の目の前に何かが現れ、アイアンクローを極めた。
「痛い痛い痛い」
それは先輩の左手だった。この人は手加減というものを知らないという事は重々わかっていたが、今回はとりわけ力が入っている。マジで痛い。
「俺の目の前でラブ全開とは良い度胸だ」
「いや、そんなつもりじゃ」
「どんなつもりだろうが許さん」
「あ、あの、すみません。私のやり方が間違ってたんです」
ユカマリはモピちゃんを手にしたまま胸の前で手を合わせていた。まるで罪の告白か懺悔のように先輩に哀れな子羊の目を向けている。
「湯川さん、離してあげて下さい」
「ぐっ。いやいやユカマリさん、甘やかしてはいけません。二度とかような狼藉を謀らぬよう、懲らしめておく必要が有ります」
かわいい子にはめっぽう腰の低い先輩がここまで主張するとは、よっぽど怒りのツボに入ったらしい。まあ確かに、訳がわからなくなってユカマリにキスしようとしたのは僕なので、ここは先輩にも一理ある。
そのままアタマを握り潰されかねない勢いと握力だったが、幸いにもここで外部環境からコールがかかった。クラッシュベリー号がワームポート近辺へ到達し、港運管制のコントローラが入港認証の手続きを求めてきたのだ。この船の運行中の責任者は先輩なので、対応しない訳には行かない。
「後で修正してやるからな、覚えとけよ」
先輩はそう凄んで見せつつ、メインシートに沈んだ。すぐにコントロールとの通信を開始する。
助かった。どんな大事件も三分で忘れてくれる人だから、もう安心だ。
ずいぶんと物理的に凹んでしまったこめかみを押さえながらユカマリの方を向くと、彼女は俯いて目を逸らせてしまった。これはさすがに嫌われたか。
「あ、あの、後ろを向いて下さい」
小さな声で、ユカマリは言った。
僕はその言葉に従ってユカマリに背を向け、少しだけ腰を落とした。
ユカマリの手がモピちゃんを僕の首に回し、後ろで留めているあいだ、小さな声で説明を繰り返した。
「このピースの留め具は、特殊な磁石で出来ていて、簡単に着脱が可能です。ですが、多少の運動をするぐらいで外れる事は有りませんし、さっきも言った通り、余程強い衝撃を与えない限り壊れません。あなたの体の一部だと思っていつも身に付けていて下さい」
「お風呂の時もですか」
「はい。どんな時もです。離さないで下さい」
ユカマリは一度僕の肩に手を置き、それから離れた。
彼女の体温が離れていくのが分かったので、作業はもう終了したということだろう。
僕は自分の首にぶら下がったモピちゃんを触ってみた。それは見た目にはとてもシンプルなネックレスにしか見えなかった。真ん中の本体と思われる飾りのような部分は、卵を逆さまにしたような形だったが、ごはんつぶを三つ合わせたくらいの大きさでしかなかった。
「これ、どういう技術なんですか?」
僕はユカマリに聞いた。
「ギンミさんは航海演算士ですから、ニューロポートを空けてますよね」
「そうですね」
と言いながら、僕は首の後ろ側を擦った。ニューロポートとは体外ネットワークと肉体を情報的に融合させるためのインターフェイスだ。情報素子を常に体内に巡らせるために中枢神経に有機的に埋め込むので、いちど身体にインストールしたら二度と外すことができないのだが、これをやらなければ特殊演算士として宇宙船に搭乗することはできない。ニューラーと呼ばれる器具を埋め込んで活動させることを、情報融合の回路を開くという意味で「ニューロポートを空ける」という風に言うのだ。
「モピちゃんはニュポちゃんと常に連絡を取り合ってるんです」
そこも略すんだ、と思いつつ、疑問も浮かぶ。
「でも、さっき病院でも使ってるって言ってなかったですか」
「ああ、それは、重傷者や植物状態になってしまった人向けで、家族の許可を得てポートを空けちゃうんですよ。それでです」
「ああ、なるほど。理解しました。でも、金額高そうですね」
「はい、あなたは特別なんです」
屈託の無い笑顔でユカマリにそう言われると、胸の奥で締めつけられるような感覚が生まれた。こんな言葉にいちいち気持ちを揺さぶられている辺り、もう完全に恋しちゃっている訳で、僕はもう今にも「好きだ」という言葉を口にしそうになっていた。一つ息を飲み込んで、胸に支えそうな思いを吐き出そうとした時、
「あー、コントロール! コントロール? 応答せよオーバー」
あまりに無粋で雑で適当な調子の声が響いた。もちろん先輩のものである。
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