第7話 落ち着きのない運送屋の日常
僕は目を閉じている。暗闇の中にいる。頭部全体をすっぽりとドーメットに覆われていて、外部からの光の侵入が遮られている状態だ。よって視覚情報によるインプットは可能な限り除去されている。しかし頭の中には外部からの視覚的イメージが浮かんでいる。ドーメットから送られてくる信号が脳の視覚野を通して仮想的なスクリーンを形成する。そして電子的な光のイメージとして中空に線を描いていく。縁取りのない黒板に線が引かれていくようなものだ。
始めに縦に細長い線が一本。そしてその隣に同じものがもう一本。さらにその隣にまた同じものが続き、線は八本描かれた。次にその線を横につなぐ線がいくつか描かれ、目の荒い網のような形状が出来上がった。するとその網は湾曲しながら立体的に浮き上がり、端と端がつながって網で出来た筒のようになった。最初に描かれた八本の線がそれぞれ円筒状に膨れ上がり、最後に円筒の中心を貫くようにまた別の太い線が描画され、【ワームルート】というテキストの注釈が付加された。
映像はわずかに縮小され、その隣に南部教授の姿がフェードインで映し出された。
「ワームルートの全体的なイメージはこのようなものと考えていいでしょう。外側の八本の線がそれぞれの宇宙の時間軸を表します。ワームルートはこの並行世界を繋ぎ、かつそれぞの時間軸を自由に行き来できるように整備されています。その表現としていくつかの細い線が付加されていますが、もちろんこれは簡易的な表現に過ぎず……」
『次元論概論』の授業は正直言って退屈なものだった。それは概論の名に相応しく一般的でざっくりとした内容で、既に市場に出回っている書物を読み漁っていればだいたいは聞いたことがある話でしかなかった。めんどくさくて後回しにしていたのだが、このプログラムを修了しておかないと高次空間演算の上級講義を受けられないので仕方がない。金さえあればデフォルトの南部教授をスーツ姿で眼鏡女子のアバターに切り替えて多少なりとも気分転換を図ることもできるのだが、無理な相談だ。獲得した単位と仕事の報酬をポイントに変換しても、それらは全て更なる学習プログラムの購入に費やしていた。僕は仕事をしてはいるが同時に苦学生でもあるのだ。
合格判定ギリギリの倍速で講義を早回しして七回目の最終講義を終えた。最後にいくつかのテスト問題に回答すると即座に結果が表示される。判定はSだった。上々だ。判定次第で獲得単位に差が出るので一応真剣にやっているのである。
「あー、肩凝ったぁ」
と伸びをしながらレンタルメットの店から出ると、通路を慌ただしく通過していく集団がいて、僕は反射的に壁際へ避けた。見覚えのある顔もいる。一団が通り過ぎるのを見送ってから何事かと思いつつもアパートメントに帰ろうとしたら、今度は先輩とユカマリが走ってくるのが見えた。二人ともユニフォームのツナギを着たままだ。仕事中に抜けてきたということになる。
「どうしたんすか」
「あ、ギンミ!お前仕事サボって何してんだ」
「いや、講義受けてたんで。ボスには許可もらってますよ。昨日言ったじゃないですか」
「そうだっけ?」
僕は先輩の目を覗き込んでみたが間違い無く何も覚えていない目だった。
「いやまあ、いいですけど。それより、何かあったんですか。そのカッコ仕事中ですよね」
「お、おう。えっと、なんだっけ?」
疑問符ばかりの先輩はユカマリに助けを求めた。
僕もユカマリを見た。船を操る以外、先輩は全く頼りにならない。
ユカマリはキリッとした目を僕に向け、手短に応えた。
「事件です」
全く具体性がなかった。
どうやら二人ともテンションがあがっちゃってるという事だけはわかった。
二人に付いて行って辿り着いたのは観光客船用のエアポートエリアだった。外見の豪華さや優美さを追求した流麗な形状の宙空機が数隻停泊している中に、明らかに場違いな輸送専用船があった。まともに係留もできず船尾からは白煙が立ち上っているが、それは何かが燃えているための煙では無く、すでに鎮火された後でその場に残留した消化剤の色だった。船のすぐそばで船内から運び出されたと思われる人物が駆けつけた救急隊から処置を受けている。僕らはその場にできた暗黙の距離を保った円周上に野次馬として集まっていた。
救急隊員は二人組で、一人は倒れている男に覆いかぶさるようにして脈やら息やらを確認している様子だが、もう一人は立ち上がって静かに首を振っていた。その脇で深刻な顔をした数名の男女がいる。おそらくこの船のクルー達だろう。
先輩が近くにいたトーマスルトに声をかけた。
「おい、あれララヴァのとこの船じゃねえか」
「なんだ、いたのか次元屋」
「どうしたんだ、あれ」
「俺も詳しくは知らねえ。だが怪奇現象に巻き込まれたって話らしいぜ」
「は? なんだそりゃ」
「次元の狭間で女の囁き声が聞こえるってやつさ。その声に囚われたやつは正気を失ってあんな風になるらしい」
倒れている男を見ると、外傷は全く見られないが意識は無いようだ。口は半開きの状態で目は虚に見開かれている。男は救急隊員に抱えられ担架に乗せられているところだったが、腕はだらりと垂れ下がり足にも首にもまるで力が入っていないようだった。ぐらりと揺れた首がこちらを向いて、開かれた目と視線が合った。合った気がした。
「どういう状態?」
聞くとも無く呟いた声にトーマスルトが答える。
「幽霊に魂を抜かれたのさ」
「馬鹿じゃねえの。幽霊とかいねえし」
先輩が言い返す。
「なんだっていいが俺は前にも見たことがある。お前らも同業だろ。せいぜい気をつけろよ」
トーマスルトは口の端を皮肉屋っぽく釣り上げて言うと、静かにその場を離れた。
ウツツトライカのメンバーはその場で残されたクルーたちの様子を眺めていた。何があったにせよ、トーマスルトの言う通りたしかに他人事ではない。当事者ではないけど傍観者にもなれない微妙な気持ちが、その場を離れようとする足を留めていた。
事務所に戻ると集荷依頼のリストを掲げたボスが待ち構えていた。
「お前ら仕事中に自由に出入りしやがって。社会人の自覚足りねえんじゃねえのか」
「いや、俺は含めないでくださいよ」
僕は抗議するが、ボスには鼻で笑って流された。その場にいればお前も行ってただろうが、という無言の非難である。まあ否定はできない。
「でも大変そうでしたよ。あれ、重度のフラッドアウトみたいな状態ですよ」
ユカマリが言うとボスは肉付きのいい顎をさすりながら神妙な面持ちになった。
「ああ、どうやらそうらしいな」
運送業者の組合経由でボスは既に情報を得ていたらしい。
「俺はまた海賊にでも襲われたのかと思ったんだがな」
「それ、俺も思いました」
「念のためクラッシュベリー号も整備項目ちゃんと見直しとけ。通信系を重点的にな」
「昨日暇あったんで三回ぐらいやりましたよ」
「そういうときは見逃しが多い。もう一回やれ」
「了解っす」
「それにしても、トーマスさんが言ってたこと、本当なんでしょうか」
ユカマリはトーマスルトの名前を勝手に省略していた。
「異次元空間だろうがなんだろうが、幽霊なんてものは存在しません」
先輩はすぐに力強く言い返した。
「でもなんか気になりませんか? 私ああいう話好きなんです!」
ユカマリは不謹慎極まりない無邪気な笑顔で先輩に食いついていた。
下から近寄られ、先輩は一瞬で鼻の下が伸びきった。視線が怪しい。
そんなやりとりを見てボスが声を大きくして言う。
「いいから早く仕事行け。評価査定下げるぞ!」
「えー、しょうがねえなあ。どこ行きゃいいの」
我に帰った先輩は大して気にもしてない様子で聞いた。
ボスはプリントした紙を先輩に渡しながら言う。
「リスト見ろ。とりあえずいつものじいさんのとこからだ」
僕はすでに受信していたデータを手元の端末で確認していた。
先輩はリストのトップにある名前を見て少しだけ顔を顰めた。
「小惑星サクガワか。あそこ遠い上にじいさん話なげえんだよ」
「文句言うな。払いの良い上客様だぞ」
「へーい」
「あとな、お前いい加減デバイス付けろよ。何でもいいから。今時紙で見てんのお前だけだぞ。紙も安くねえんだからよ」
先輩は肩を竦めるだけでその話題からは逃げた。超速ネットワークデバイスが確立されてから急速的に需要が拡大し、紙資源の消費は減り続ける一方だった。もはや絶滅の気配すら漂い、その分単価が高くなっているのである。
「じゃ行きましょかー」
先輩は紙のリストを片手でパラパラとめくりつつ、もう一方の手を僕らに向けて行動を促した。ようやく出発である。ふらりと出がけに振り返ると、ボスはいろんな意味の心配が混ざったような顔をして僕らの方を見ていた。ボスは僕と目が合うと、「フン!」と鼻息を鳴らして自分のデスクに戻って行った。
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