第6話 初めての出会いのような再会

 何だかよく解らないまま、僕は先輩と一緒にメインリフトが貫くビッグシリンダの中を伝って、会社の営業事務所があるフロアまで飛ぶことにした。

 ステーション内の貨物船用ドックは、全てこのビッグシリンダに直結している。巨大な円筒の内側では様々な大きさのコンテナや人間が混在していて、一見すると混乱の極みだが、そこはしっかり管制局がモニタリングしていて、無意味な停滞や衝突などの事故が起きないように常に目を光らせている。

 といってもその管理はあくまで貨物の為なので、顔なじみの僕らが内壁沿いを大人しく飛んでいるくらいでは文句をつけては来ない。そこら辺の融通が効くのは、ありがたい。

 シリンダの中はおおまかに言って下の三分の二がドック用、上の残りがオフィス用のスペースとして割り当てられている。上、下、と言ってもここは無重力空間なので、便宜的にオフィス側を上と言っているに過ぎない。ウツツトライカのドックは全体の半分くらいの所にあって、比較的オフィスが近いので、悪くない位置だ。オフィスエリアの辺りになるとシリンダの内壁にぽこぽこと穴が開いていて、その一つ一つがオフィスに通じる通路への出入口になっている。取りあえず僕らが向こうのはそっちの方角。

「先輩、僕らに客なんて、心当たりありますか?」

「いんやー、まるでわかんね」

 僕らが頭をひねり首を傾げながら飛んでいると、像が一匹入りそうなくらいの巨大コンテナをリフトに引っかけて運んでいたトーマスルトが声をかけてきた。彼の会社は周辺地域の大型貨物が専門で、時空間移動の仕事はやらない。

「よう、次元屋」

「久しぶりだな、トーマスルト」

 トーマスルトはバディにコンテナを預けて、こっちに寄ってきた。

「久しぶりって、一昨日会ったばっかじゃねえか」

「こっちは二ヶ月経ってんだよ」

「ああそうかい。せいぜい早死に目指してな。それはそうと、お前ら、何やらかしたんだ?」

「何の話だ?」

「トポロの時空間航運規定保安監査局から、お使いが来てるって話だぜ」

「えっ」

 先輩はあからさまに表情を曇らせた。逃げ切ったはずの女から、携帯に物凄い長文のメールが送られてきた時の表情に似ていた。

 トポロとはトポロジクス社の略であり、時空間航運規定保安監査局というのは、読んで字の如く。ワームルート内で時空間ドライバーに課せられている交通規則や貨物規制を管理、監督する一切の権限を担っている、云わば陸運局だ。ルート公団から全面的な業務委託を受けていて、違反者への罰則権限すら持ち合わせている。巨大になり過ぎた私設警察組織だという見方もあるくらいで、そのお使いという事は、僕らに何らかの規則違反の疑いがかけられている可能性が大きい。嫌が応にも【シュレーディンガーの化け猫】に遭遇した一連の出来事が思い出される。

「フカシじゃねえだろうな。マジでか?」

 冗談であって欲しい。僕もそう思う。

「はっ。その顔が見たかったんだ。後で全部聞かせろよ」

 トーマスルトは先輩の肩を軽く小突いて、楽しそうに手を振りながら、自分のコンテナの方へと飛んでいった。

 僕と先輩はお互い顔を見合わせて、それから控えめな溜息をつく。

 しばらく、事務所に繋がる通路の入口まで、無言で流れていく。

「ギンミ」

 入口の手前で先輩が言った。

「はい」

「先方とは俺が話す。お前は余計な事は話さなくていいからな」

「でも」

「まだ何の用事なのか正確に解った訳じゃない。少なくとも、それがわかるまでは喋るなよ」

「……わかりました」

 いつもと違って先輩の口調には断固としたものがあった。先輩がそんな雰囲気を見せたのは初めての事なので、僕はそれ以上何も言わない事にした。先輩の緊張が僕にまで伝わってくるようだった。

 入口の所で、先行していた先輩が一旦停止して、僕の顔を見た。

「ま、心配すんなって。大した事にはならんだろ」

 先輩はそう言って、事務所へ向かう通路に自分の体を送り込んだ。

 この人に気を遣われると、何故だか不安が増すから不思議だ。


 事務所の前まで来ると、ボスがドアの外まで出てきて、僕らを待っていた。

「遅えよ。ジャンク」

 僕らがボスの前に着地するなり、ボスは言った。「遅い」と言うのはボスの口癖みたいなもので、取りあえず文句をつける習性があるみたいだ。

「これ以上早く来れねえよ」

 先輩も負けずに言い返す。この二人の会話は何故か口喧嘩みたいに進んでいく。

 せっかくだからこの際ついでに説明してしまうが、ジャンクと言うのは先輩の事だが先輩の本当の名前ではない。正確には湯川ジャンクラウスアウグストルシアンと言うらしい。何でそんな長ったらしい名前になったかと言うと、先輩が自ら語った話が本当なら、『おそらくこいつが父親』と思われる四人の名前を全部繋げてしまったからだ。先輩の母親はその四人の誰にも認知を求めず、女手一つで彼を育て上げたらしいが、この話だけでも、なんか色々あったんだろうな、とか、お母さんどんなキャラなんだ、とか思わずにはいられない。

 背景をあれこれと考えてしまって、僕はまだ一度も先輩の名前をまともに呼ぶ事が出来ず、先輩、先輩とばかり呼んでいるのだ。

「お使いが来てるんだって? 途中でトーマスルトに聞いたぜ」

 先輩が先手を取ってボスに聞く。

「馬鹿、エージェントって言え。中に聞こえるだろうが。お前ら、何かやったのか?」

「何だ? まだ用件聞いてねえのかよ」

「さっき来たばっかりなんだよ。せっかくだからみんな揃ってから話しましょうとか言っててな……着艇時間まで把握して来たみたいだぞ」

「準備万端って訳か」

「心当たりはあんのか? 事業免許取消しなんかごめんだぞ」

 先輩はボスの話を聞きながらドアの方を見ていたが、

「せっかくだから中で話そうぜ」

 と言ってボスの横をすり抜けた。ドアの前で深呼吸をひとつ。不必要なくらいに胸を張って事務所の中に入っていく。

 ボスがそれに続き、僕も最後に中に入った。


 事務所の中に入ると、今度はボスの先導で来客ルームへと向かう。来客ルームと言っても、入口の目の前にあるカウンターの脇を抜けて衝立一枚向こうと言うだけの狭い場所だ。

 ライトグレーのパーテションの壁に囲まれた四畳半ほどのスペースに、テーブルが一つ。その奥の席にベージュのスーツに身を包んだエージェントがいた。エージェントは僕らを見ると立ち上がって感じのいい笑顔を見せた。

 ボスは僕らを促して少し前に出させた。

「お待たせしました。湯川ジャンクラウスアー……シャーと轟吟味です」

 先輩は苦笑いと若干の非難を込めた視線をボスの横顔に投げつけた。いつもなら「ちゃんと言え!」とでも突っ込んでる所だ。

 それにしても……

 僕は立ち上がったエージェントの姿をじっと眺めた。

 エージェントと聞いて想像していたイメージと、随分かけ離れている。

 エージェントの方も僕の視線に気付いて

「意外でしたか?」

 と聞いてきた。

「はい、なんて言うか、もっと役人っぽい人が来るかと思ってました」

「おい。ギンミ、失礼だろ」

「いいんです。率直な反応だと思いますから」

「すみません」

 何故だろう。

 目が離せない。

 エージェントはテーブルに置いていた携帯電話を手に取った。

 僕らも合わせて自分たちの携帯を取りだす。

 テーブルの上の空間で各々の携帯を近づけて、ネームカードデータを交換する。

「朧ユカマリと申します。正真正銘、監査局のエージェントですよ」

 カードのデータには十九歳とある。僕と一つしか変わらない。

 背は僕よりも頭一つ分くらい低い。肩に落ちた髪の毛先には少しウェーブが掛かっている。スカートの丈も短くて、全体的に可愛い雰囲気。と言うか、普通に可愛い。

 気付くと、ユカマリの大きな目が僕を見ていた。視線ががっちり噛み合って、そこから離せなくなった。

 え、と。俺、今何してるんだっけ?

「どうぞお座り下さい」

 ボスがユカマリにそう告げて、それをきっかけに全員が席に着いた。

 全員が落ち着いた頃合いを見計らって、ユカマリが口を開いた。

「単刀直入に伺いますが、お二人は確率振動に巻き込まれましたね?」

「何の話ですか?」

 先輩は素っとぼけて見せた。ユカマリは笑顔を崩さず言葉を続けた。

「先にお伝えしておきますが、調べはついてるんです。その辺りは甘く見ないで下さい。話を早く進める為にも、隠し事は無しでお願いします。大丈夫。悪い話ではないはずですから」

 最後の一言に、ボスも先輩も僅かに眉をひそめた。僕はユカマリの話す姿をじっと見ていた。

「本来、今回のお二人の行動は『時空間制御の安定に関わる規制事項』に抵触するものになります。厳密に言えば、『歴史干渉に強い関わりを持ったかもしれない可能性』を報告する義務を果たしていない」

「歴史保存推奨の原則にも関わる事ですか?」

 ボスが聞く。

「今回に関してはそれは関係ありません。タイムトラベラー全ての行動を監視するなんて不可能ですし、最終的には個々人のモラルに期待するしかない事です。この件での問題は純粋に技術的な影響についてです」

「技術的な影響?」

「ええ。ワームルートの演算制御に関わる前提条件への介入が問題なのです。【シュレーディンガーの化け猫】は虚数空間の三次元的現れであると言う事が予想されています。あなたはそこに生身で関わり、生きて帰ってきた」

「でも僕は、確率フレアの雷に撃たれただけですよ」

 僕は思わず言い返していた。先輩に横からじろりと睨まれる。

「それだけでも十分なんです。前例はありますが、どれも死亡、重症、意識不明などに陥っています。でもあなたは何ともなくここまで戻ってきた。それはそれで驚きなのですが、わが社としては先ほども申し上げました通り、技術的な面での成果に注目しているのです」

「……成果とは?」

「虚数空間の影響を受けた人間がロジックフレームの内側に存在し、何の問題もなく時空間ドライブを果たした、と言う成果です。わが社はこの点に非常に注目しているのです。より安全な時空間ドライブへの、さらなる技術開発の可能性が秘められています。そこで」

 我々は息を飲んだ。彼女がやってきた本当の意図がこれから語られるのだと言うのが分かったからだ。

「今回の規則違反を見逃す代わりに、生体サンプルのデータ採集にご協力下さい」

「……要するに、人間モルモットですか?」

 僕は聞いた。

「はい。もっと言えば人体実験です。危険はありません。やる事はただの観察です。断ったら事業免許取消です」

「了解しました」

 ボスが即答した。

 いや待て、これは僕の話じゃないのか?

「決まりですね。ではここに判を押して下さい」

 ユカマリは用意していた書類をさっとボスの前に差し出した。

 ボスはポケットからハンコを出して即座に捺印した。

 一言も発する間もなく、事態は進んでしまった。

 呆気にとられた僕を見て、ユカマリが言う。

「データ採集に当たっては、私が直接担当します。こう見えても、腕は確かだから安心して下さい」

「僕は何をすれば?」

「普通に仕事してて下さい」

「あなたは何をするんですか?」

「しばらくはずっと同行します」

 先輩が口笛を鳴らした。

 もうすっかり安心を通り越して、余裕の表情である。

(それは悪くない)

 と、僕も内心そう思った。


 事務所前、去り際にユカマリが握手を求めてきた。

「これからよろしく。歳も近いし、仲良くやりましょう」

 僕はユカマリの手を取った。その手のぬくもりが、何故だか僕の手にぴったりと収まるように感じられた。

「あの、さっきから思ってたんだけど」

「ハイ。何でしょう」

「どこかで会った事ありませんか?」

 僕がそう言うと、ユカマリは無心な表情になって、僕の顔をじぃっと見た。

 手は握ったまま。

「……それって、ナンパ?」

「いや、そういうんじゃないけど」

「ふうん」

 ユカマリはそう言うと、ちょっと考える仕草をして、それから

「どうかしらね」

 と流し目で一瞥、繋いでいた手を解き、僕に背を向け、通路の向こうに跳んでいった。

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