第3話 いろんな可能性が同時に存在するということ
永遠のような一瞬、という言葉で表現出来るものがあるとすれば、今この瞬間がまさにそのような時だと言えるのかも知れない。
目の前に現れた二人は、まさしく僕とユカマリだった。
もう一人の僕と、もう一人のユカマリ。
着ている服も同じようだ。
鏡に映った姿なのではとも思ったが、それでは左右が逆になる。
間違いない。瞬いても、目を凝らしても、相手も同じようにしているので妙な感じではあるが、僕とは別の僕がいて、ユカマリとは別のユカマリが居る。この類似性についてはいろいろと言葉を尽くして表現を変えてみても良いのだが、おそらく混乱を呼ぶだけなので今の内にやめておこう。
ユカマリも事態の異常さを感じ取っているのだろう。彼女の体のぬくもりと一緒に緊張した空気も伝わってくる。
「何が起きてるの」
「何が起きてるの」
こっちのユカマリと向こうのユカマリが同時にそう言った。
「まだ、わからない」
「まだ、わからない」
僕ともう一人の僕が同時に答えた。
お互いに怪訝な顔をしている僕と僕の目が合って、おそらく似たような思考を働かせ、同時に相手に(自分に?)手を伸ばした。その指先がもう少しで触れ合うという寸前の所で、また破砕音が響いた。僕らは思わず手を引っ込め、音のした方を見る。広いリビングの壁際に設置されたミニカウンターバーの辺りで、新たな亀裂が発生していた。
空間が割れ、光が放たれた。
今度は一人だけだった。
仕事用のウツツトライカユニフォームを着たままの僕だ。
やっぱり、ぽかんと口を開けている。
分かるよ、その気持ち。
あぜんと視線を交わし合う三人の僕、二人のユカマリ。
そしてまた甲高い破砕音。
カウンターバーの対面、スライド式の扉が大きく開かれたベッドルームのスペースに三人目のユカマリが現れた。一人だ。こちらは真っ白くて生地の面積が非常に小さい、際どい水着を身に着けていた。
「すんごい水着」だ、と僕は思った。確かにこれは凄い。
いや、そんな事を考えている場合ではない。ないけど、これは……
思わず見蕩れていると、一番近くのユカマリに、腕を思いっきりつねられる。肩をすくめて振り向くと、怒った風でもあり、自慢している風でもあるような複雑な表情。
パリン、パキンと立て続けに音がする。
水着姿のユカマリが現れたのを皮切りにしたみたいに、あちこちで空間が割れ始めた。
光と、収束。
そしてまた、新たな僕らの姿が。
様々な僕らの姿がその部屋に溢れた。二人して血まみれで床に倒れている姿や裸のままベッドの上で抱き合う姿、水着の僕もいたし、何故かウツツトライカユニフォームに身を包んだユカマリの姿もあった。幽霊のように空中を漂いながら、お互いしがみつくようにして周りの変化を眺めている姿も見られる。
「何なのよ……」
ユカマリの密着度が増す。
「可能性……」
僕はかろうじてそれだけ口にする事ができる。他のどんな単語すら浮かんでこない。
破砕音と発光現象はまだ収まらない。次第に、部屋中所狭しと空間が割れまくっている状態になる。それでも部屋の中心部、始めに僕らが現れたスペースのあたりは落ち着いたものだった。僕らと、その次に現れたそっくりさんペアの周辺空間は平穏が保たれていた。
瞬く間に部屋の周縁部は飽和状態になった。増殖を続ける僕とユカマリのドッペルゲンガーは、自分の肉体のための空間を維持獲得する事ができずに、隣に現れた自分たちと混ざり始めていた。怪奇映画で見たグロテスクな人体実験の失敗作みたいな状態になって、あちこちで呻き声や叫び声も起こった。
とても気味の良いものじゃない。
嘔吐感と同時に、体に圧力を感じた。皮膚よりも外からだ。部屋の外側から中心に向かって、体全体が押されている。空間が歪んでいるのかと思ったが、部屋の形に変化はない。何か別の力が働いている。
「ちょっとヤだ、荷物……!」
離れていくクローゼットの方にユカマリが手を伸ばして、僕の体から放れようとする。
「ダメ!」
声がして、ユカマリはびくっと震えて制止した。
叫んだのは、二人目のユカマリだった。
部屋中に響き渡るような声は不思議な反響でこだまする。
ユカマリの手が、また僕の腕を掴む。
「離れちゃ駄目」
まるで何かを訴えるような眼差しだった。その表情は、見た瞬間に僕の記憶の深い所に突き刺さった感じがした。
僕らと彼らの間に中心がある。
部屋に現れた全ての肉体がその中心に向かって移動している。吸い寄せられている。僕らはどんどん近付いていく。
僕は目の前の僕を見つめる。
当たり前のうり二つ。
しかし何だ、その切羽詰まった顔は?
中心に小さな点が浮かんだ。白く光っている。
僕が手を伸ばした。
僕も手を伸ばした。
その中間に光があった。
ユカマリはユカマリで、ユカマリと視線を交わし合っていた。いつの間にか、彼女は僕の手をしっかりと握っていた。
体はどんどん中心に向かっているのに、不思議と僕ともう一人の僕の手はいつまで経っても触れ合う事が無かった。現象が認識の範疇を越えてしまって、僕の思考は停止した。
いろんなものが見える。
終わりのない時と
悠久の瞬間と
目覚めの光
死の帳
僕の目は僕自身を見ていて……
瞳の奥に闇が
広大で
深く
どこかで
夜空に星が
月が
揺れる
波に……
ばしばしと音がする。
何だろう?
痛い。
遠い所で声がする。
「おい、起きろ。頼むから。しっかりしろ、ギンミ」
声はだんだん近付いてくる。
痛みも激しくなってくる。
頬を打たれているのだ。右に左に。
体を動かそうとするが、上手く動けない。目も開けられない。金縛りにでもあったみたいに。何とか声を出そうとしても、小さな呻きすら出せたかどうか。それもはっきり分からないぐらいに体の感覚が戻ってこない。
でも、この声の主ははっきりしている。
妙に懐かしい気分にさせてくれる。
「ギンミ、しっかりしろ! 死ぬんじゃないよ。こんなとこで死ぬな。今死なれたら、帰還手続きとかめちゃくちゃ面倒な事になるだろうが! 死ぬな、生きろ、俺の為に」
それだけ言い放って、またばしばし。
ってゆうか、もう……
「……痛ってえよ!」
叫ぶと同時に体が動いた。ほとんど反射的に跳ね起きて先輩の拳を払う。
グーだ。
こいつ、グーで殴ってやがった。
「殺す気かよ!」
その拳を指さして言ってやる。
「だって、ビンタで起きないから」
そう言う先輩は涙目だった。
いちおう本気で心配してたらしいが、だったら何故グーで殴るのか? よく解らない人だ。
しかし、とにかくは戻ってこれたと言う事か……?
「俺、どうなってました?」
頬をさすりながら先輩に聞く。
「どうってお前、【化け猫】から飛んできたカミナリに撃たれてひっくり返ったんだよ。俺には当たらなかったけど、お前直撃したくせに平気で起きて凄いな」
「平気じゃないっすよ……救急車ぐらい呼んで下さい」
「いや、すぐ起きてくれなかったら呼ぼうと思ったけど」
「結構時間経ってるでしょうに」
「結構ったって、まだ一分かそこらだろ」
「何言って……」
僕はホテルのある方角を見た。
【シュレーディンガーの化け猫】は既にその姿を消していた。
「【化け猫】は、カミナリ出してからすぐに消えたよ。最後にすげえ光を放ってな。いやあ、見物だったぜ」
そんなはずはない。
あれがたかだか一分間の出来事だったなんてことが……
僕はあのあと……あのあと……
妙な感じだった。
確かに何かが起きたと言う気がしているのに、僕は何も思いだせない。
周りを見回してみる。
誰もいない。僕と先輩の二人以外は。
ふと、誰かの顔が一瞬浮かぶ。何だろう。
「さっき、女の子いませんでしたっけ?」
先輩に聞いてみる。
先輩は怪訝な顔で首を振る。あからさまに僕の精神状態を疑っている顔だ。
「気のせいか……」
自分の手を眺めてみる。
ついさっきまで、そこに何かを掴んでいた気がする。
温もりのある何かを。
それが何なのか、どうしても思い出せない。
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