第24話
山の斜面を下り、自宅が建つ住宅街に入った。歩き慣れた自宅周辺の道を歩いた。近所の家々では質素なイルミネーションが灯っていた。窓から漏れる明かりは全てが同じようでいて、わずかに色が違っていた。
黙って玄関のドアを開けた。何も考えてはいなかった。しかし、第一声は自然に出た。
「はるちゃんが、居なくなった」
私の声は消え入りそうだったと思うが、妻ははっきりと聞き取っていた。リビングから玄関まで出てきた妻は、ピンク色のゴム手袋を両手にはめていた。
「居なくなった? どこで? それよりこんな時間までどこに行ってたのよ?」
玄関の上がり框の上と下に突っ立ったまま、私たちは言葉を交わしていた。
「ごめん、目を離したすきに、居なくなったんだ」
「目を離したって、どういうことよ」
「裏山の入り口の所で遊んでたんだ。分からない、どこに行ったのか」
「ちょっと、そんな訳の分からない事言ってないで、探さなきゃ。探したの? ねえ、こんなに暗くなって、あなたずっと探してたの?」
「あ、ああ、探してたんだけど、暗くて、明かりを……」
「何を言ってるのよ。早く、電気持って、探しに行かなきゃ」
半狂乱という言葉がぴったりの取り乱した様子の妻は、下駄箱の扉の中にある懐中電灯を手に玄関から飛び出した。ゴム手袋が玄関の叩きに落ちていた。
私は玄関に立ち尽くしていた。思考回路は停止、頭の中は真っ白だった。
“助けてくれ”
安本と林にメールをした。指先が小刻みに震えた。林からはメールの返信がすぐに来た。
“何があったの?”
“娘が居なくなって”
林とメールを送信し合っている最中に、安本から電話が掛かってきた。
「一体何があったんだ?」
「娘が……娘を……」
「緊急事態か?」
「ああ」
「すぐ行く」
安本の電話はすぐに切れた。林からのメールには“すぐ行くから、待ってて”とあった。
安本と林が揃って私の家へ来た。初めての事だった。来た、というより玄関先に、立ち寄っただけだったのだが、私は恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。それは、友人が初めて自分の家に遊びに来る時のような恥ずかしさに似ていた。
林が運転する車で安本と来た、と林が言っていたのを、おぼろげに覚えている。
「何があったんだ?」
安本の言葉に、私は娘が居なくなったことを話すと、
「お前はここに居ろ。まず、警察に電話するんだ。そうした方が良い」
安本の指示を受け、私は大きくうなずいた。
「俺たちは探しに行ってくるから。裏山だな?」
「うん」
「奥さんは?」
「探しに出てったきり」
「何やってんだよ、お前は」
安本との会話を、林は少し離れて不安そうに聞いていた。
「とにかくさ、僕たちは、探しに行こうよ、な、安本」
林の声が震えて大きくなったり小さくなったりしていた。
「待ってろよ、ここで」
安本がそう言い、二人揃って薄暗い住宅街を裏山へ向かって走っていく後姿を、私は玄関から見送った。
二人が出て行ってから、私は警察へ電話をした。細かい事を聞かれたが、あやふやな答えを並べる事しかできなかった。
「すぐにお宅へ伺います」
と警察の電話は切れた。
私は携帯電話を持ったまま、静かな家の玄関で動けずに立っていた。どのくらいの時間が経ったのかしれないが、突然、玄関扉が開いた。妻だった。
「あなたの会社の方たちと会ったのよ。二人で探すから、家で待っててくださいって言われて。帰ってきちゃった」
そう言って、妻は玄関に膝をつき泣き崩れた。
ここでじっと立っていることも、妻とこの家で共に時間の経過を待つのにも、耐えられそうになかった。
「僕も探しに行ってくる」
私はそう言って玄関の扉を開けた。
半開きの扉を右手で支えながら振り返ったが、妻は両手で顔を塞いでいて、私を見ることもなかった。扉を閉めると、クリスマスリースがバサと音を立てて歪んだ。
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