第16話
三か月後には家が出来上がった。
私たちは駅近のマンションから新居に引っ越しをした。二月に入った頃だった。荷物は全て引っ越し会社に運んでもらい、私たちは軽自動車で移動した。
狭い車の中で、チャイルドシートに座る娘だけが声を発していた。私と妻は新居へ向かっているのに、何も話さず笑顔すらなかった。世間の人たちはこういう時どうするものだろうと想像した。おそらくは、新居での生活に夢を馳せ、明日からの生活に希望を抱いて、ワクワクと未来の話だけをするのだろう。林なら、お尻を浮かせ、体から出る嬉しさを隠さないだろう。安本は、そもそもこんな状況には身を置かない。私はやっぱり中間で生きていて、どうしたものか分からない。曇り空の下、無表情に愛車のハンドルを握るだけだった。
「ローン何年?」しらけた顔で安本は言った。
安本には、いつもより増して私の心が見透かされているような気がした。
「三十五年」
正直に答えると、
「お前いくつよ、払い終えたら。分かってんの?」
全くいつもの調子だったので、私は妙に安心した。
「いいじゃないか、そういうもんだろ、家なんてさ、高い買い物なんだから。僕の家だって、おやじが三十年ローンで、ボーナス払いとかして、定年間際でやっと返済終わったって言ってたよ」と林が言う。
「へえ。林の家、どんな家?」
安本が聞くと、
「どんなって、普通の家だよ」
「普通の家って何?」
安本にそう言われて、林は答えに困っていた。
「僕の実家だって、普通の家だよ」
私がそう言うと、
「みんな普通の家に住んでたんだ」
と安本が言って、少し笑った。
「なんだよ、安本はどんな家に住んでたんだよ」
林が恐る恐る聞いた。
「団地」
私たち三人には、まだ知らないことがたくさんある。林も私も安本の言葉の後に何も言い出せなかった。
この住宅地には、土地と建物付きでローンは三十年以上ボーナス払いは年二回。それこそが夢のマイホームです、という人間達が集まっていた。
三十五年間お金を払い続ける買い物なのに、そのものは重厚感も全くないのである。ほんの三か月で建ち上がった家だ。建物自体は、壁と壁で支え合っているが、耐震強度は高いということで、大きな地震が来ても安心というのが一番の売りだった。オプションでレベルアップしたため、当初見積もっていた金額から数百万円も高い家になった。防犯用の窓と、システムキッチンに生ごみ処理機をくっつけたり、浴槽を一回り大きい物にしたりした。この小さい家の中の、さらに小さい部分をもっと良くしようとして、かなりの時間を費やした。外から見ている限り、他の家と何も変わりは無い。
数十軒の住宅が立ち並ぶ。同じ住宅会社が建てた同じ家が数十軒とは、実に壮観なのである。お揃いの姿、個性のない同じ顔をした家達は、どれかが突出する事もない。遠目から見れば、どの家も全く同じ形状で特に窓ガラスは全戸薄い緑色をしている。よく見れば、屋根の形や壁の色、玄関ドアの違いはある。見分けるには、庭に植えられた木や駐車場に止められた車で判断するのが一番確実だ。表札すら、同じに見えてしまうのだ。切り分けてバラバラにし、あなたの家はどれですか、と問われ、正解できる自信はない。
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