第15話

 時折、鳥のさえずりが聞こえてきた。どんな鳥が鳴いているのだろうかと空を仰いだが鳥の姿は見えなかった。

 ベビーカーの娘を覗き込むと目を閉じて、静かに眠り始めていた。小さい右手が毛布から出ていたが、私は見ただけで娘の手には触れなかった。

 妻はパンフレットを広げながらセールスマンの説明を熱心に聞いていた。裏山は、秋になると紅葉する木が多いらしく、毎年、自宅から紅葉狩りが出来ます、というのも売りの一つらしい。妻はそんな些細な付加価値にさえ喜んでいるようだった。


 土地区画だけが整然と作られていた。場所と形状だけを見て、どの区画を買うか決めなければならないらしい。私たちは写真を何枚か撮り、アンケートに答えてその日は帰宅した。もらったパンフレットと、最初に手にした新聞広告を見比べながら話しあった。平べったい土地を前に散々迷い、まだ家は一軒も建っていないその場所に、どのような未来が切り開かれるのか想像を巡らせ、一番奥まった静かそうな一区画が良さそうだという事になり、それだけで妻は新築の家を買った気でいた。話す内容は、土地ではなく建物だった。

「どのくらいの広さかしらね。Sハウスなら安心よね」

「この場所にする?」私が土地の話に戻すと、

「そうよ、そこ。もう決めたじゃない」と言い、同時にもらってきたハウスメーカーの分厚いパンフレットに目を戻すのだった。

 私はやはり妻の言いなりだった。というか、妻の言う通りにしていれば楽なのだ。Mデパートへ行った時もそうだった。結婚してから、生きるのが雑になったような気がしてたまらない。

 

 翌週には手付金を払った。実家の両親に頭金を借りたと妻からは事後報告を受けた。ローンは三十五年。その契約をした時、成人した時に両親が作ってくれた実印を初めて使った。大きな印鑑を手に、私はそこで一生暮らすのだ、と覚悟した。借りた頭金も少しずつ返さなければならない。それこそが生きる事だ、大人のやる事なのだ、と言い聞かせた。心が着いて行かない一連の作業に、出来るだけ自分の罪深さに気が付かない様にしていた。

 

 妻は、娘よりも新居の事を口にすることが多くなった。新居の部屋に付けるカーテンとか敷くカーペットとかを分厚いカタログを広げて見せてきた。 

「好きなのに決めればいいよ」私は妻の相談に乗る事も苦手だった。

 もともと人に相談を持ち掛けられる事のない人間だ。

「どっちがいいとか、それもないの?」

「君の好きな色でいいじゃないか」

「でも、あなたも一緒に暮らす部屋なのよ」

「それはもちろん、分かってるよ」

「このマンションに住むときは、一緒にカーテンとか見に行ったじゃない」

「そういえばそうだったね」

「本当は面倒くさかったの?」

「いや」

「だったらさ、ほら、これどっちがいい?」

「じゃあ、こっち」

 妻に迫られ、どちらかと言えば、嫌いな方を指さした。

「え、本当に? 嘘」

 やはり、だ。私の選ぶものに、妻は共感しないのだ。

「ほら、合わないだろ?」

「ああ、うん。でも、これが良いなら、これにしようかな」

「え? いいよ、センス悪いだろ」

「でもさ、あの部屋に合うかもしれないし。これにしよう」

 それは妻の優しさなのだろうか、妻は私の意見を採用した。

「ま、カーテンだし、いつでも取り換えられるからね」

 と言いながら、カタログの商品番号の欄に、蛍光マーカーで印をつけた。

 

 妻は新居用の家具や雑貨を次々と購入した。仕事から帰るたびに玄関には大きな空き箱が置いてあるのだ。荷物が増えるごとに、私たちの会話は減っていた。

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