第298話 心労
自家製の炉と思しきところから、取り出したばかりの火で熱せられ真っ赤になっている鉄の棒をリズミカルにもハンマーで叩き、鍛えている音が街中へと鳴り響いている。暫しの間、それを見ていれば真っ赤な鉄は見る見る厚みが薄く、そしてより細長くなっていった。
(そういえば、これまではあまり気にしてこなかったが、日常生活の中でもこうした鍛冶屋があるんだよな。みな、ああして鉄を叩いて鍛えている。彼らが手にしているのはナイフなどの小物ばかりだが、それでもウチとは規模が違うだけでやってることは何も変わらない……)
それは普段から見慣れている何も変わらない日常風景なはずなのに、デュランは精錬所で直面している問題と鍛冶屋の音とを重ねてしまう。
「おい、デュラン。どうしたっていうんだよ? 鍛冶屋に何か用でもあんのか?」
ボーッとしたまま道路の往来で立ち尽くしていたデュランに、アルフは声をかける。
「ん……ああ、いやすまないアルフ。ウチの精錬所だけじゃなくて、街中でもああした光景があるのだと改めて思ってしまうと、自然と目がいってしまうんだ」
「ああ……それでか。なるほどなぁ~」
デュランがそう口にすると、アルフも納得した形で鍛冶屋がハンマーで鉄を打ちつける姿をともに見つめる。
規模の違いこそあれ、精錬所も街の鍛冶屋もしていることは同じである。
鉄を熱し、ハンマーで叩いて強度が増すようにと鍛える。それが人の手か、蒸気機関で動くプレス機かの違いだけであった。
(何かしらヒントになるかもしれないな。熱した鉄を叩き鍛え、油で急激に冷やすことにより強度を増す。ウチではそれを蒸気機関の機械で補っているだけなんだ)
カンカン、カンカン。
カンカン、カンカン。
そして一定のリズムを刻み、打ち付けられているハンマーの音がやけに耳の中に残っていた。
(ああして同じ速度同じリズムで鉄を打つのは、それが人の手を使う作業においては効率が良いからだろうな。これが変に不規則なリズムだったら手元が狂ってしまい、鉄を抑えている自分の左手を打ちつけてしまう恐れもある。また逆に打ち付ける速度が遅ければ仕上がりも丁寧になるだろうが、今度は熱せられた鉄が冷えてしまう。だからと言って早くとも危険が伴う……そういうわけなのか)
遅くとも早すぎても駄目。
一定のリズムを刻むことこそ、速さとともに品質を保つことが出来る。
「不規則なリズム……それに打ち付ける速度……」
「デュラン?」
デュランはアルフに声をかけられているのを無視する形で、思った疑問を口にしていく。
何気ない日常風景の中にこそ、解決の糸口があるのではないかと思い始めていた。
奇しくもそれはこの後に起きることになる。
いつもの分かれ道でアルフと別れたデュランは、まだ先程の鍛冶屋の光景とリズミカルなハンマー音が耳の中に残っていた。
それは彼が直面している問題を言い表しているかのようであり、何故か気になってしまっていたのである。
「いらっしゃ……あっデュラン様。おかえりなさいです」
「うーん」
店の中に入ると客と間違えそうになったネリネであったが、言い終わるその途中でその人物がここの主であるデュランだと気がつくと、手早くも出迎えの挨拶をしてくれた。
けれどもデュランはまだあの鍛冶屋の光景が気になり、腕組みをしながら考えていたため、彼女の声に気がつかなかった。
「あ、あの……デュラン様? どうかされたのですか?」
「……ん? ああ、ネリネか。ここはウチの店……だよな? 一体いつの間に着いたんだ」
そして彼女は自分の声が耳に届いていないほど、何かを必死に考えているデュランの姿を心配そうしながらも再度彼に声をかけてみる。
今度はちゃんと彼女の声が聞こえていたのか、デュランは突如として目の前に現れたネリネに声をかけると、辺りを見渡しながらいつの間にか店まで戻っていたことに驚きを隠せない様子。
それだけ彼は物事に集中していたとも取れるが、危なっかしいことこの上ない。
それを心配してか、ネリネは慎重な口調で彼にこう聞いた。
「デュラン様、お疲れなのではないでしょうか? 私がデュラン様に対して何か意見を述べるのは少し
「う、ん。すまないな、ネリネ。要らぬ心配をかけていたようだな。まぁ仕事の事と言うか、その、解決できぬ問題が多々あってな。それで……」
「ええ、お仕事なのは理解しております。きっと私には考えつかないようなご苦労があるのでしょうけど、それでも……」
デュランは自分を心配してくれる彼女を気遣うつもりでそう口にしてみたのだったが、逆効果だったのかもしれない。
悩み事が仕事上のことだと理解しつつも、彼女はとても悲しげな表情を浮かべ、今にも泣き出してしまいそうになっている。
「ふぅーっ。ネリネにそこまで心配されてしまえば、俺にはどうすることもできない。分かった、分かったよ。これからはあまり根を詰めすぎないようにする。だからそのように涙を流す必要はない」
「あっ……すみません」
「いいや、俺の方こそすまなかったな」
デュランは彼女の左肩にそっと手を添えてやると、空いている右手で彼女の目元に溜まっている涙を指の背で優しく拭ってやる。
ネリネは自分が涙を流していることにそこで初めて気がついたのか、咄嗟に目の前にいる彼から顔を背けると、どこか気恥ずかしそうにしていた。
これまで何度となく自分が涙を流す姿を彼に見られてきたが、それでも慣れるものではなかった。
むしろ彼女の心はより彼を強く求めてしまいそうになっていたのである。
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