第294話 鋼鉄と近代文明の成り立ち

 また同一企業体どういつきぎょうたい(同じ所有者・同じ会社)にて、同種の炉を多く持つことも一箇所に集約することも当時としては極稀であった。

熔鉱炉ようこうろ』『精錬炉』『鍛鉄炉たんてつろ』『裁鉄所さいてつじょ』『製鉄所』などが、それぞれ独立した場所で操業していたのである。


 またそれらで働く労働者たちの数も数人から数十人ほどと小規模なものであり、その労働環境は決して良くはなかった。

 それは何も大人だけでなく、未成年の子供達も同様である。


 家が裕福でない子供達は、大人に交じって日々労働をして生活していたのだ。

 ……と言っても、彼らには重要な仕事を与えられていたわけでもなく、そのほとんどが雑用や小間使いそれに事前の下準備などであった。


 一例を挙げれば、製銑工程における間接雇用として児童が雇用された例がある。

 従来の炉ではパドル法と呼ばれるオールような鉄棒で炉内部を絶えず、かき混ぜなければならなかった。


 その単純作業に用いられていたのが、未成年の児童や婦人であったのだ。

 彼らも日々の生活費を稼ぐため、不熟練労働者として働いていたのである。


 未成年である児童が他に出来る仕事といえば、靴磨きや郵便配達ような簡単なものばかり。

 その中でも製鉄業は危険な作業な分だけ稼ぎが良かったとも言えるが、その待遇は劣悪であった。


 就業時間は朝6時から夕方6時までと、他の大人達と同じく働いても受け取ることのできる賃金は1/3~1/5ほどである。

 それだけでなく遅刻や無断欠勤をすれば、それに応じた罰則ペナルティが罰金という形で課せられることにもなる。


 もちろん雇う側である熟練労働者としては、質の良い労働力を確保すると同時に厳格な規律を守らせるとともに労働に対する勤勉さ、そして従順性を身に着けさせる目的であった。

 また労働効率化の是正は彼らの競争心と向上心を刺激し、より良い仕事をより早く、また昇進(正規雇用)などの地位確保及び個人の能力を認める形で労働を効果的に促進させるのだった。


 それに当時の炉自体の大きさも小さいものばかりで、日産はそれほど多くはなかったため、労働者自体の数もそれほど多くを要することがなかったのである。

 それらが革新的に変わったのは19世紀半ばにイギリスでベッセマー法という、短期間での鋼鉄の大量生産における新たな技術革新が齎されてるまで続いていた。


 ベッセマー法は従来の製鉄事業とは違い、溶銑ようせんの炉内部に空気を送り込むことで酸化還元反応を起こすことにより、温度と不純物除去に大きく貢献することができたのである。

 それまでも似たような製鋼技術はあったものの、短期間での大量生産を可能にしたのは偏にヘンリー・ベッセマーのおかげであったと言うことができる。またそれに付属する形で鋼鉄製造における労働力を大幅削減させることにも成功した。


 一見するとデュラン達も同じ鋼鉄製法を初めから採用すれば良かったと思われるが、そこにはイギリスとは違う点が大きく関係する。


 それは鉱物石の質である。


 イギリスの鉄鉱石にはリンをあまり含まないため、ベッセマー法が普及しつつあったのだが、デュラン達の国で取れる鉱物石のそのほとんどにリンやその他不純物が多く含まれている燐鉱石りんこうせきだったため、ベッセマー法が普及しなかったのである。

 リンは鉄を脆弱ぜいじゃくもろく)にすると同時に炉の耐久性を著しく悪化させ、最悪の場合には炉自体が爆発を起こしてしまうのだ。


 また鉄鉱石中に含まれるリンを除去するには、溶銑中の炉内に塩基性である石灰石を粉末にして加えれば、不純物鉱滓スラグとして溶融金属上に浮かぶか、炉床へと溜まるので容易に除去することができる。

 しかしそれでは耐熱レンガに使われている珪石が酸性酸化物と化学反応を起こしてしまい、前述したとおり炉が割れたり爆発を引き起こしてしまうことになる。


 このためデュラン達の国ではベッセマー法は広まらなかったのである。

 だがそれでもデュランとゼフは何度となく試行錯誤を重ねた結果、石灰石と同じ塩基性のドロマイト鉱石とコールタールを接着剤の代替品として炉壁に使用することで、自国のリンを多く含む鉄鉱石でも短期間での大量生産が可能となった。


 それまで価値の低かった燐鉱石でも転炉で使われることが分かると、その数十年後にはイギリスを凌ぐほど鉄鋼の生産を誇ることになり、銑鉄及び鋼鉄における世界一の地位を得ることになる。

 これこそがこの国における大鉄鋼業時代の幕開けである。


 これまで錬鉄の数倍以上の値を付けていた鋼鉄の価格がほとんど同じとなったことで、その後に鋼鉄がありとあらゆる分野に広く普及していくことになる。


 錬鉄よりも強度があり、安価で質の良い鋼鉄は橋の建造や鉄道及びレールにはもちろんのこと造船業を始めとする大物建造物や車本体、それに内燃機関のエンジンまた水力発電に用いるタービンなど工業の技術発展に大きく貢献することになる。


 それらの技術は現代にも繋がるものであり、近代における文明社会を作り上げたのはすべて安価で質の良い鋼鉄が普及したおかげであると言っても決して大げさではなかった。

 

 事実同時代のアメリカでは、鋼鉄によりゴールドラッシュを凌ぐほど巨大な産業へと発展した分野がある。それは自動車産業だった。

 また初期の発電方法にはダムを用いた水力発電が広く一般的であり、そのタービンに使われていたものも鋼鉄製である。


 よって鋼鉄無くして、今の近代文明は存在し得ないと言える。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る