第283話 金属割れ

 ルイスの屋敷を出てすぐにデュランは自分の所有する精錬所に足を向けた。

 その目的はもちろん鋼鉄を建材とした橋の復旧工事のことを、工場長であるゼフに伝えるためだった。


 しかし彼にそのことを伝えると喜ぶどころか、その表情はみるみる険しいものとなっていくと、デュランでさえも不安の二文字を覚えた。

 きっと自分がルイスから無理難題を請負ってしまったため、そんな顔をしているものとばかり思っていたのだが、それにしてはあまりにも彼の様子が変であった。


 デュランはそんな不可思議そうな表情を浮かべている彼に対し、こう尋ねてみることにした。


「もしや鋼鉄を使った建材……つまりナイフなんかよりも遥かに大きなもの、いわゆる鋼材こうざいを作るのは不可能なのか? もしそうならば、これまでと同じく色々試してみても……」

「いや、違う。そうじゃねぇよ。例え鉄だろうと鋼鉄だろうと、作る工程にそれほど差は出ねぇ。これまでの鋼鉄は大物を作るのに不向きだっただけで、理論上は作れなくはなかったんだ」

「ならば、一体何が問題だと言うのだ? まさか、今頃になって鋼鉄の短期間での大量生産が不可能というつもりじゃないだろうな?」

「…………そのまさか・・・なんだよ」

「なっ!?」


 デュランは恐る恐るそうであって欲しくはないと心内で願いつつも、いざそのことを口にしてみるとゼフは頷き肯定して見せた。


 デュランは彼が口にした、鋼鉄の製造時間が従来の二週間から15分という短期間での大量生産が可能となった……その言葉を信じていたからこそ、ルイスからの無理難題を条件とした取引を飲んだ。

 それが今し方ルイスの元から帰り詳しい話を聞いてみたところ、大量生産できないなどと言われてしまえば、誰でも驚かざるを得ない。


「ああ、勘違いしねぇでくれよ。別に短期間での大量生産が無理ってわけでもねえし、鋼鉄の加工ができねぇわけじゃねぇんだ。言葉足らずだったな、すまねぇ」

「ん? 違うというのか? なんだ、あんまり驚かせないでくれ。俺はてっきりそうだとばかり思い、一瞬本当に焦ってしまったぞ」


 自分の雇い主であるデュランの顔色を見て取ったゼフは慌てた様子でそう言い繕った。

 デュランは彼のその言葉を聞き、最悪の事態は免れたと溜め息を吐いて額を拭う。冷たいものが彼の右手の甲を濡らしたが、それでも気分は先程よりも断然に良かった。


「ただ、その……」

「ただその? なんだ、言ってみてくれ!」

「と、とりあえず、これを見てくれるか? 詳しい話はそれからだ」


 そう言ってゼフがデュランに見せてくれたのは、薄く細長く加工された金属の板だった。

 見ればその表面には所々に割れが生じてしまい、とてもじゃないが見栄えはあまり良くなかった。


 それがいくつも重ねられ、床置きされていたのである。

 それを見たデュランがふいに手で触れてスゥーッと指の腹でなぞってみると、表面に浮き上がっていた金属で出来た瘡蓋かさぶたのようなものが、まるで古く干乾びてしまった皮膚のように剥がれ落ちてしまう。


「これが本当に鋼鉄……なのか? それにしてはあまりにも……いや……」


 そのあまりにも脆い表面を目の当たりにしたデュランは驚きを隠せず、それが本当に鉄よりも強度のある鋼鉄なのかと、再度ゼフに尋ねてしまう。

 だが、自ら鋼鉄の強度を信じていないように思え、デュランは思わず口元に手を当ててつぐんでしまった。


「これは紛れもなく、新しい鋼材だ」

「だ、だが素人目から見ても質は良くなさそうだぞ。まさか、これがウチで出来た製品……というわけじゃないだろうな?」

「期待を裏切るようで悪りぃが、これがウチの製品を加工したものなんだよ。一般的にはウチで作った分厚い鋼材をプレス機で押し潰すことで圧延あつえん……これは専門用語なんだが、こんな風に薄い板状へ延ばしていくんだが、その過程で表面全体にスラッジ……つまり金属表面に割れ・・が出来ちまっているんだ。当然金属表面上の『割れ』なんだから、さっき指でなぞった程度で剥がれ落ちちまう程度の強度しかねぇことは、改めて説明するまでもないよな?」

「……これはスラッジという現象なのか? このように金属表面がまるで魚の鱗のように剥がれ落ちる様は初めて目にする」


 ゼフが見せてくれた板状の素材は、鋼鉄素材を更に加工しやすいようプレス機で平らにする加工を施された製品だった。

 けれどもその見た目も手触りも粗悪品で、どう見てもこのまま製品として通用するような品質ではなかったのである。


「鋼材がこうなってしまう原因は分からないのか? 例えばなんだが、圧延工程でプレス機の圧力が強すぎたとか、もしくは潤滑油の質を換えたとか? あとはそうだな……何度も叩きすぎたとか? 何かしら原因はあるのであろう?」

「いいや、長年この業界で飯食ってる俺でも初めて見る現象だ。だからこの原因までは分からねぇ。それに圧延工程もそれと潤滑油なんかの材料についても、どれもこれまでとまったく同じものだ。それにプレス機の圧力を弱くして何度も試してみたんだが、同じように小さな割れが出来ちまう。結局、何度もプレス機で圧延工程を施せば同じ鋼材全体に割れが出来ちまうってわけよ」

「表面全体になのか? そんなことがあるのか……」


 デュランは長年に渡って鉄加工の仕事をしていたゼフですら、こうなってしまう原因を突き止められないと言われてしまい、愕然としてしまう。

 製錬工程の時のように、何事も無く問題解決できるとばかり思っていたのだが、あれはそれまで彼が幾つもの試行錯誤を試し、何年にも渡って積み上げた成果だったのである。


 もしそれになぞらえるならば、この割れが生じている鋼材の問題について解決するには、数年といった月日が必要になってくることを意味している。

 それはルイスとの取引を反故にする意味でもあった。それと同時にもし彼と交わした取引を反故にしたとしても、今度は仕事受注の問題でデュランの精錬所は破産に追い込まれてしまうかもしれない。


 どちらの道を取っても、その後に待ち受けている未来は経営破産しかなかった。

 よってこの問題を是が非でも原因を究明し解決しなければ、デュランはもちろんのこと精錬所で働いてくれているゼフを始めとした労働者、またその家族の運命まで懸かっている。それほどまでに深刻な問題をデュラン自ら抱えてしまったのである。

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