第280話 意趣返し

 デュランはルイスと事業提携という形で、あくまでも互いの需要と供給を満たすべく手を携えることになった。しかし、それも鋼鉄製のレールは錬鉄製のレールと比べてみても、その値段が数倍以上もするため、すぐさま既存のレールそのすべてをデュランのところの鋼鉄製レールへと交換するわけにはいかなかった。

 また実際に鋼鉄が通常の鉄よりも強度を誇るといっても、あくまで一つの完成された大量生産の製品として鋼鉄の品質は未知数である。


 このため、ルイスはある条件をデュランに突きつける。


 その条件とは……。


「君も知ってのとおり、先日私の鉄道会社で事故が起こってしまった。起こるべくして起こってしまった事故ではあったが、それでも川と川とを結ぶ鉄橋を早急に元に戻さなければならない。そこで鋼鉄製のレールを収める前に、この問題を解決してくれるか?」

「要するに俺のところの精錬所で鋼鉄の橋を作れ……そう言いたいのか?」

「ああ、そうだよ。本当に君のところの鋼鉄が既存の鉄よりも耐久性に優れ、尚且つ大量生産できるならば、鋼鉄を素材として用いた橋を作ることなど不可能な話ではないはず。その良し悪しによっては君の望むとおり、ウチの鉄道会社で使用するレールはすべて君が所有する精錬所へと置き換えてもいい。どうだ、悪くはない話だとは思わないか?」


 ルイスは自らの鉄道会社が起こした鉄道事故の根本的な解決策をデュランへ一任することで、レールの受注取引の有無を決めると口にした。


 確かに鉄道会社としては、事故の問題解決とともにこれからの事故を防ぐことこそ急務であると言える。だがそこには未だデュランの言っていることに対する不信感でもあり、またそれと同時に自らの頭を悩ませている問題を合わせることで、その結果としてどちらに転ぼうとも自らの利益と成り得るという狡猾なルイスの考えだった。


 もし実現できればデュランが口にしていたことへの証明にもなるし、出来なければそれはそれで彼にすべての責任を追及する切っ掛けにもなる。ルイスはここまでデュランに話の主導権を握られていたことに対する意趣返し目的もあり、それと同時に自らの利益と成り得るよう話を持っていたのである。


(くくくっ。さぁどうするのだ、デュラン。本当に鋼鉄の橋とやらを作れるのか否か? だが、どちらにせよ私の利益となるのだ。そのことを自覚して、返事をしてくれたまえよ)

(さすがはルイス・オッペンハイムと言ったところか。ここまで順調に交渉の主導権を握っていたはずなのに、すぐに引っくり返されてしまった。それに仮にこの場で了承したとしても、その結果が出るまでには早くとも半年はかかってしまう。その間、奴は俺の言葉や技術に対する裏付けを取る時間を与えてしまうことになる。しかも企業への利益という合理的面と俺に対する仕返しという感情面も併せ持っている提案だ。俺は奴を追い込んでいたつもりが、いつの間にか逆に追い込まれる形となってしまっている)


 ルイスとデュランは互いが互いに、相手の言葉を逆手に取ることで自らの有利になるよう話を持っていっていた。だがそれも今では、ルイス自身が主導権を握ってしまっていたのだ。


 本来であれば、デュランは彼の提案を突っぱねることもできただろうが、そこには断ることの出来ない事情があった。


 その事情とは……。


(まさか、ウチの精錬所にはこれといった実績が無いことを逆手に取られるとは思いもしなかったな。それも踏まえたうえで俺がこの話を断らないと思ったからこそ、そんな提案をしてきたというのか? やはり一筋縄ではいかない相手のようだな、ルイス・オッペンハイム)


 そう……デュランの精錬所では理論的には、短期間での鋼鉄の大量生産が可能ではあったが、未だその実績は無かった。

 このため、仮にルイスの鉄道会社ではない別のところに話を持ち込んでも、生産実績や現実の利用面から見た製品として強度の信頼性に足らないのである。


 また鋼鉄が鉄……いわゆる一般的に鉄と呼ばれている錬鉄よりも、強度の面で優れているのは周知の事実であったとしても、誰も鉄道レールや橋に使われる鋼材としての鋼鉄を見たことも聞いたこともなかったのである。


 人は既に広く一般的に認められた物に対しては、自らその事実を確認せずとも肯定するもの。

 しかし、未だ知られていない新しい物や技術に対しては、疑いの目を向ける。


 それを打破することこそ、製品としての実績であり、それが人々の信頼へと繋がっていく。

 デュランの鋼鉄はその実績が皆無であり、信頼もまた無きに等しいと言える。


(そうだデュラン。お前は今の今までこの私を罠に嵌めたつもりだっただろうが、逆に自ら罠へと誘い込まれていたのだぞ。しかもそれは決して逃れることのできない、茨の道なのだ。それにまた、今回のような大規模な受注取引はもちろんのこと、信用の上で成り立っている製品の質はこれまでと同じく自分の口先だけで乗り切れるものでもないしな。これこそ本当の事業というものであり、企業というものの在り方なのだ!)


 ルイスのその考えはあまりにも偶然の産物ではあったが、それはデュランの知るところではなかった。

 だからこそ逆にデュランはルイスに対しての畏怖の念を強め、彼自身の能力を目に映るよりも更に上だと勝手に思いこんでしまっていた。


 もしもデュランがここへこうして交渉しに来なければ、今彼が置かれている状況にはならなかったことだろう。人は相手を罠にかけようとするときこそ、自らの足元に罠が仕掛けられているとは思わないものである。 

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