第279話 デュランの手札

(これは、いくら考えても意味がないだろう。なんせ話の手札カードは奴が握っているのだから、憶測はどこまでいっても憶測でしかない。ならば……)


 ルイスは考えても埒が明かないと、目の前に居る相手に直接聞いてみることにした。


「仮に君の話が本当だとしてもだよ、小さな精錬所では一日の生産量も限られるんじゃないのかな? それこそ各鉄道会社の需要を満たせるだけの生産は可能なのか? またそれに到るであろう証拠が欲しいね」

「ふむ。確かに一理あるな。もし俺がお前の立場だったら、疑問に思うことだろうな」


 ルイスはカマを賭け、少しでも自分の利となる情報を引き出そうと、デュランを煽ろうとする。

 だが、予想外なことに彼はルイスの言葉に反論するどころか、むしろ頷き肯定してしまったのである。


 これはあまりにも予想外であり、ルイスにとっては誤算だった。

 そしてその誤算は更に続いていく。


「だが、事実だ。ウチの精錬所は生産工程を一から見直し、その過程で効率化を実現しつつも大幅な製造費削減コストカットの技術を確立した。それは製錬工程に使われている炉壁の改良、塩基性転炉法と呼ばれるもの。それに粉砕したコークスと石灰を混ぜる焼結鉱、それら二つに付属する形で鋼鉄の短期間での大量生産技術。あとは炉から発生する高温ガスの再循環システムだな。これらすべての新しい技術については、既に特許の申請をしているから近々受理されることだろうな。もしも疑うようならば、その認可が下りてからでも返事を待つことは可能だ」


 デュランはルイスが自分の技術に対して疑いの目を持っていると自身でも認めた上で、新たな技術として確立された鋼鉄の短期間での大量生産及び製造工程の効率化について説明する。

 そしてルイスの返事を新技術の特許申請が下りるまで待ってもいいと口にした。


「…………そ、そうか。ず、随分と親切になったものだねデュラン君。まさか君がそこまで便宜を図ってくれようとは、思いもよらなかったよ。まぁその分、何かしら対価を要求されるんだろうけどね」


 ルイスは既に話の主導権をデュランに握られてしまい、顔を引き攣らせるしかできずにいた。

 それは自身の考えの敗北を認めた形でもある。


 またデュランもそんな彼の顔を見て取り、続け様にこう追い討ちをかける。


「よく分かってるじゃないか、ルイス・オッペンハイム。先に述べた特許の意味を見出せないほど、愚かしくはなかったようで安心したぞ。そうだ、今お前の考えているとおり、もしも今俺が口にした事が本当なら、その影響は鉄道会社だけでなく、他の業種まで多大な影響を及ぼすことだろうな。大量生産可能となった鋼鉄によって……な」


 それは彼が市価よりも安く精錬所を売却してくれたおかげでもあり、また労働者の声を聞き入れなかった報いでもあった。

 デュランは敢えてそれを口にすることなく、ただあるがままの現実と未来を述べるに留まる。


 既に彼がいらない資産をデュランへ買収させようとした結果、失敗したことは明白の事実となっている。

 これ以上、彼の自尊心までをも煽って刺激してしまえば、そこには実利ではない彼の感情が打ち勝ってしまうことになる。


 それはルイスとの最後の一線を越えることを意味しており、一旦そうなってしまえば彼と手を組む話は二度と起こりえないことをデュラン自身も知っていたのだ。

 この絶妙な会話の選択チョイスこそ、後の成功者と成り得るか、それともただ自尊心の満足感を得るべくした愚か者か、明確な分かれ道となる。


 またルイス自身も自分は相手を罠に嵌めるつもりで、逆に相手の利益となってしまったことに対する自己欺瞞を招いており、既に冷静な判断を下せなくなっていた。

 しかし、それでもデュランが道を明確に示してくれたことにより、彼と手を組まざるを得ない状況に追い込まれていたのである。


 実際に鋼鉄製のレールの大量生産が可能ならば鉄道会社はもとより、他の業種にも産業革命を起こすほどの起爆剤となることだろう。


 それはルイス自身の利益にも直接的に繋がることでもあり、彼と手を結ぶ利益メリットは計り知れないものがあった。これは一企業家としても決して見過ごせない利潤であるが、彼の男としてデュランの前に膝を屈するべきか否か、そのプライドが心の中で激しく葛藤している。


 そんな彼の心情を読み取ってか、デュランは彼に向かって右手を差し出してきた。つまり自分と手を組むことを明確な行動な行動で示しているとも受け取ることができる。


(どうする? 自らの名を捨て、恥となろうともデュランのこの手を掴むべきか、それとも差し出された手を跳ね除け、奴の提案を断るか……。いや、その答えは初めから分かりきっていたことだな)


 ルイスはデュランに追い詰められながらも、最後には彼の手を握ることにした。


「とても懸命な判断だ、ルイス」

「ふん!」


 デュランはその企業家として、自らの自尊心を押し殺し、利益と成るべく自分の手を取ったルイスを褒め称えた。

 対するルイスはまんまとデュランの戦略に嵌められてしまったと、どこか納得していない顔を浮かべているが、それでも両者の手は握られたままである。


 こうしてルイスは鋼鉄を手に入れ、デュランは生産需要を得たのだが、現実とは物語とは違い、そう都合良くは回らないものである。


「マズイなこりゃ……これじゃ出来た鋼鉄が使い物にならねぇかもしれねぇぞ」


 それは密かにデュランの精錬所で既に起こっていたのだった。

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