第269話 金での繋がり

(いよいよ私の周りには、味方も後ろ盾も無くなってしまったな。手駒として手元に残ったのはこの男と、それに今では妻となったマーガレットのみか)


 ルイスはふと、彼女のことを思い出してしまう。

 彼女とは、ルイスの妻となっていたマーガレットのことであった。


 マーガレットとはあれ以来、特別変わった夫婦間での情事などは皆無であったが、それでも自分の傍に彼女がいるだけで支えとなっていた。女性が妻として傍にいるだけで、男は変わることができる。それはもちろん良い意味という点において、ルイスはどこか心の余裕を保つことができていたのだった。


 長年自分の元で仕えていたリアンは、その理由までは分からないが今では自分のことを裏切り始めた。これまでオッペンハイムの家を支援してくれていたフィクサーでさえも、自分のことを貶めようとしていることを今では知ってしまった。


 ルイスにはもう目の前にいるディアブルと、妻であるマーガレットしか味方はいなかったのである。だがそれも、ディアブルは金さえ渡せば平気で裏切る性格のため、あまり信頼を寄せすぎては逆に利用されかねない。


(ふふっ。随分と皮肉な運命だな。まさか、あれ程までに嫌っていた女を私が好むようになるとはな。それも妻として、既にかけがえのない存在になってしまっている。デュランやケインが彼女に執心するわけだ)


 ルイスは彼女のことを思うたび、そっと微笑み口元を緩めていた。


「おや、何か愉快なことでもあったのですかい?」

「むっ」


 それを邪魔したのは、ディアブルだった。


 彼はルイスがマーガレットのことを思い返して口元を緩めたのを見逃さなかった。

 それをわざわざ他人から指摘され、ルイスは少しムッとした表情になる。


「へへっ。こりゃ~野暮ってもんでしたか? 失礼失礼」

「…………」


 そんなルイスの心中こそ、目の前の彼にとってはなんてことはない軽いものだったに違いない。

 それは軽い口調で謝罪の言葉をルイスに向かって言い放っていることからも、容易に読み取れる。


 ルイスは何か口にすれば彼の口実になることを嫌い、何も語らず黙っていることにした。


 他人を馬鹿にする人種とは、得てして反論すればするほど、また否定すればするほどに助長して言葉を返してくる。

 過去の自分自身がそうであったように、目の前の軽薄な男も本質的には同じなのだと、ルイスは思ってしまった。


 だが今更ながら、他人の振りを鑑みて自らの性格が治る訳でもなく、致し方ないと自分を受け入れることにした。


「それで次の指示はなんですかい?」

「次、か……。そうだな……」


 気を取り直したとばかりにディアブルは自ら上着の襟を正し、改めてルイスに向かって言葉を投げかけてくる。

 ルイスは特に彼に対する次なる指示を考えておらず、深く考えてしまう。


 彼が得意とするのは、裏の顔を生かした情報収集と密かに相手を殺害するくらいしかなかった。

 それだけでも十二分ではあるが、一企業家としてのルイスにとっては、彼の能力を生かす場が無かった。


 まさか処刑の次にデュランを暗殺なんてしようものならば、真っ先に疑いをかけられてしまうのは自分以外にいないだろう。

 それに今は利益を生まない精錬所や鉱山が彼の足を引っ張っているので、遠からず日にデュランは自滅するものだとルイスは勝手に思いこんでもいた。


 実際、彼が所有し運営してきた精錬所は生産こそしていたが、あまり生産性に富んでいたわけでもなく、むしろ自分が石買い屋である立場を生かし、鉱物資源を安く買い叩いたり、労働者達へ支払うべき賃金や就業時間外の残業手当てなどを削ることで、辛うじて会社として運営ができていたほどだったのだ。


 自分とは違い、石買い屋ではないデュランにとってみれば、市場よりも高値で鉄鉱石やコークス、それに石灰石を買い付けなければならないため、利益どころかむしろ赤字を増産するほか道はない。


 それにまた鋼鉄を生産できる精錬所においても、今の国の経済を鑑みてもその需要はあまり多くないため、製品を生産すればするほど、自らの首を絞める形となる。


(ふふん。まさか裏を掻いたつもりが、逆に窮地へと追い込まれてしまうとは、デュランと言えども予想が付くまい。それも私のことを裏切る形で、リアンとフィクサーが奴の側に付いたにも関わらず、後手へと回らなければならないのだ。歯がゆいどころの騒ぎではないだろうな)


「おやおや、ま~た、だんまりですかい?」

「うむ。デュランの奴とリアン、それとフィクサーの近況についての情報収集だけでいい。今のところは・・・・・・……な」

「本当に情報を集めるだけで、いいんですかい? 他にもやれってんなら……」

「楽な仕事だと不服なのか? 金についてもお前が納得できる額を十分に渡しているはずだがな」

「いえいえ、滅相もない。俺としては楽ができて、金ももらえるってんなら文句はありませんけどね。どうせ暇ですから」


 ルイスが金貨の入った麻袋を手渡すと、ディアブルは納得したかのように軽口を叩いてみせた。


 彼は対価としてそれを懐に仕舞い入れると、「金にさえなれば、どんな仕事でも引き受ける」と、残してルイスの元を去って行った。

 また次なる指示があるまでは、デュラン達周囲の情報を集めるという、彼にとっては楽なこと、このうえない依頼だった。


「ふん。傍目に見てもあからさまに不服そうな顔をしておいて、金を出せば納得する……か。どこまでもその格好と同じく、ラフな男だな」


 ルイスは窓辺から望む庭先で、ディアブルの後ろ姿を眺めながら、彼に対するそんな苦言を呟いた。

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