第266話 物の価値と事故の相対性

「そ、そうか! 鉄道ということもあったんだなっ!!」

「えっ? えっ? お兄様、それは一体どういうことですの?」


 デュランはルインの話を聞き、鉄道業では日常的に鉄の金属を利用することに気が付いたのだ。

 そんな彼とは打って変わって訳が分からないと、ルインは突然大声を出した彼にただただ驚くばかりである。


「ルインっ!!」

「は、はいっ!?」

「ありがとうっ! お前のおかげで、なんとか道が開けそうだっ!!」

「ちょ、ちょっとお兄様っ!? そんな急に抱きつかれても、こ、困りますわよ。私、私は……」


 デュランは嬉しさのあまり、ここが往来の真ん中だったことも忘れ、ルインを抱き締めてしまう。

 彼女は彼女で嬉しいやら、道行く人々に微笑ましく好奇な目で見守られ恥ずかしいやらと、戸惑いを隠せない。


(よーしっ。これで目鼻立ちは付いたぞっ! 鉄道ならば、それこそ毎日のようにレールの入れ替えを行っているはずだ。しかもそれに使われているのは、鉄鋼よりも耐久性が低い錬鉄だ。値段が数倍も高いとはいえ、取替え頻度を要しないともなれば、必ずそこに需要はあるはずだ!)


 デュランはさっそくルインに別れを告げると、ツヴェンクルクの街中央にある鉄道会社に行ってみることにした。

 後に残されたのは、数冊の本を抱き抱えたルインだけである。


「お兄様……どこかへ行っちゃいましたわね。でもあのように喜びを隠し切れないお兄様の姿を見るのは、久しぶりでしたわ。それに最初塞ぎこんでいたようでしたが、最後にはあのように元気になられたようで良かったですし」


 ルインは彼の姿が消えた先をただ見つめ、誰に聞かせるでもなくそう呟いた。


 きっと自分の話のどこかに彼の役に立てる情報があったのかもしれない。

 そう思うだけで、彼女も安堵した表情を見せる。


 そして自分の胸に硬い板のような物の違和感を感じ、ふと胸元へ目を向けてみると、そこには先程まで話題に上っていた自分が執筆した本が目に映る。


「まさかお兄様にも、この『黒の君』のことを知られてしまうだなんてね……」


 今度は別の意味で、ルインは安堵の溜め息をついてしまう。


 本の存在自体は知られても、それを自分が執筆し、尚且つ彼自身の人生そのものが物語のモチーフになっていることだけは、決して知られてはならない。

 もしそのことを知られてしまえば、自分は彼から嫌われてしまうかもしれない。まさか逆に好かれる……なんてことは、内容から鑑みるにまず考えられないことだ。


 良くて苦笑いの表情を浮かべて嗜められるか、あるいは今後一切口も利いてくれなくなってしまうかもしれない。

 たとえ自分の彼に対する想いが成就しないとしても、それだけはなんとしても防がなければならなかった。


(お兄様に嫌われるくらいでしたら、死んだほうがマシというものですわ。でも、いつの日か、胸を張ってお伝えできる日が来るとよろしいですのに……)


 ルインは先程まで浮かべていた安堵の表情から一変、悲しみとも切なさとも言えぬ苦しい表情を浮かべながら、彼の後ろ姿が消えて行った方向に背を向け歩み出した。



 デュランはさっそく思いついたアイディアを精錬所にいる、ゼフへと伝えに行った。

 実際工場を仕切っているのは、彼しかいなかったのである。彼がいなければ、工場は立ち行かなくなると言っても決して大げさではなかった。


「それで思いついたのは、鉄道会社に使われているレールなんだ。あのレールに使われているのは、鋼鉄じゃなくて錬鉄だろ? それを大量に受注できれば、日産数を全部捌けるはずだ。いや、それでも足りないかもしれない。どうだ、悪くないアイディアじゃないか?」

「そりゃまぁ、鉄道に使われてやがるレールは一本や二本じゃねぇからな。もしも受注することができれば、ウチの工場だけじゃ、とても賄いきれないほど仕事は入ってくるだろうけどよ」


 明るいデュランとは対照的にゼフの口調はどこか重く、またその表情も暗かった。

 デュランは彼が大喜びすると思い、誰よりも先んじて説明しにやって来たのだが、これでは拍子抜けもいいところ。


 だが、その原因は彼の次の言葉で明らかになる。


「でもよ、雇い主さんも分かっちゃいると思うがな、何で既存の鉄道会社の連中は、鋼鉄よりも劣る錬鉄を使っていると思う?」

「何でって、それは……あっ」

「ああ、そうだ。鋼鉄の値段さ。国内に張り巡らされてるレールの数は、それこそ数え切れねぇほど膨大な錬鉄製のレールが使われている。それらを全部、錬鉄から鋼鉄へと置き換えるにゃ~、一体どれくらいの金が必要になる? 俺がザッと見積もっただけでも、金貨にして数百万はくだらねぇ。それに今の鉄道会社に、どこにそれを賄えるだけの資金があると思ってるんだ?」


 ゼフの言いたいことをデュランは痛いほどに理解した。


 鉄道各社は、既存のレールを維持できるほど資金に余裕があるわけではなかった。

 それが祟っての鉄道事故へと繋がり、何も甘んじて受け入れてるわけではないのだ。


 残された遺族からは賠償を求められたり、事故を防止するため、それこそ毎日のように劣化したレールを取り替えたりしている。

 それらに事業資金の大半を投じ、どうにか破産しない程度に会社を維持している。


 だから既存の錬鉄製レールよりも、数倍の値が張る鋼鉄製のレールを購入できるわけがなかったのである。

 それこそ鉄道各社は鉄道事故が起きるのを承知したうえで、安価で耐久性の劣る錬鉄製のレールを使っていたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る