第263話 自己嫌悪
「ルインはその本を買いに、わざわざ街までやって来たというわけなのか?」
「あーっ、その……それとは少し違うと言いますか、でも似たようなものとでも言いましょうか……」
気を取り直したデュランは、再び彼女が街まで出向いた理由を尋ねるが、彼女はどこか困った表情で言葉をはぐらかした。
もしかすると、もっと別の理由があるのかもしれない。
「まぁ街には色々な店があるからな。どこかで遊ぶにしても、困ることはない」
「えぇ、そうですわね。服屋さんに生地屋さん、ちょっとしたアンティークのお店を覗いてみるのも、なかなか面白いものですわね」
デュランは理由を口にしない彼女に配慮して、敢えて聞き出すような真似はしなかった。
男性と女性とでは、買い物一つ取っても異なる嗜好。それに男性とは違ってルインのような年頃の女性ともなれば、異性には口しにくい買い物をすることもあるだろうし、無理に聞き出す必要もなかった。
「…………」
「…………」
そうこうしていると突如として会話が途切れ、二人は何も言葉を口にしないまま沈黙してしまう。
互いが互いに、どのような話題を提供すれば良いかと困っていた。
正直、二人にとってもこのような経験は初めてのこと。
いつも互いに共通の話題があり、そしてそれは姉であるマーガレットのことや家についての愚痴や困りごとが大半だった。
昔から互いによく知った仲ということもあってか、改めて相手に対してする質問事も思いつかない。
また今ではマーガレットについて二人で話をすることも、どことなく憚れる気持ちになっていた。
ルインの姉であるマーガレットの夫になったルイスは、デュランを嵌めて処刑しようとした張本人である。
デュランからはマーガレットの話を切り出しづらく、またその妹であるルインからもデュランへの配慮する気持ちから話題に持ち出しづらかった。
(マーガレットは今どうしているんだろう……)
(お姉様は一体、今何をなさっているのでしょうね……)
二人はほぼ同時に、マーガレットについて考えていた。
デュランの処刑される日から早一週間が経とうとしていたが、あれ以来、デュランもルインも彼女とは会っていなかったのである。
ルインの性格ならば、ルイスの屋敷に怒鳴り込みに行っても可笑しくはなかったが、実際にはしていなかった。
何故そうしなかったのか彼女自身分からなかったが、何故か姉を責める気にはなれなかったのである。
(お姉様にもお姉様なりの理由があるのでしょうね。あれだけお兄様のことを想ってらっしゃったお姉様が、処刑されるのをただ黙って見守るわけがありませんもの。では、何かしら行動に移したというの? でも、今のお姉様には何の力もありませんわよね……)
ルインは改めてあの日の出来事を思い出し、姉であるマーガレットはどんな気持ちだったかと思いを馳せる。
だがどんなに考えても答えは見つからない。きっと姉に直接問い質しても、はぐらかされるに決まっている。
そう思うのと同時に、姉からその答えを聞くのが怖くなっていた。
彼女だって、特別何か行動を起こしたわけではない。
裁判所で理不尽な判決を下された時に声を上げ、処刑場でも他の民衆に混じって声を荒げていただけなのだ。
それこそ、姉であるマーガレットを責め立てる道理は何もなかった。
想い人が目の前で理不尽なまでの振る舞いで虐げられ、処刑される気持ちは決して他人には理解できない。
それでも彼女は力なき自分を責めるだけで、彼のことを助ける手助けすらできなかったのである。
そんな自分が姉のことを何もしていないと責め立てられるだろうか?
否……無理だ。涙を流しながら、ただ力なき自分を悔やむことしかできなかったはずだ。
ルインはその気持ちが心の隅で引っ掛かり、あの日以来、デュランとも姉であるマーガレットとも会うことができなかったのである。
だが偶然にも、このような街の往来で彼と出会うとは夢にも思わなかった。
最初こそ本の話だけで会話は弾んでいたが、今ではそんな過去の思いが甦ってしまい、今すぐにでもこの場から逃げ出したとの衝動に駆られてしまっていた。
(私はお兄様の危機だというのに、何のお役にも立てなかった。私の想いは本物なの? その程度で揺らいでしまうものだったの?)
ルインは過去の自分の行動を振り返り、デュランに対する想いすらも疑い始めていたのである。
心とは一度疑い始めてしまうと、自ら望む答えが出るまで負の感情が巡り巡って循環し、心を蝕んでしまう。
ルインの中でただ一度だけ、それに襲われた経験があった。
それは不運にも姉の夫であったケインが坑道内部の落盤事故で命を落としてまだ間もないにも関わらず、姉のマーガレットがルイスと婚姻を結ぶと言われたときだった。
姉から家を守るためなどと言われ渋々納得してみせたが、それでも今もずっと心を寄せられていると知りながら、自分の想い人を平然と裏切る姉のことが許せなかった。
そして何者かに取り付かれたように姉の後頭部にティーポットを落とそうとしたのである。
あのときはどうにか踏み止まることができたが、もし心のまま行動へと移していたのなら、今の自分はここへ居なかったかもしれない。
(冷静に過去を振り返られる今だからこそ分かることですが、お姉様を責める道理は私にはありませんのよね。それはお兄様が窮地に立たされた時も同じこと。私とお姉様はやはり姉妹……どこかで似ているのでしょうね)
ルインはようやく姉に対するこれまで抱いてきた気持ちが、本当は自分自身に向けられていたものであることを嫌でも自覚してしまった。
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