第262話 『黒の君』の著者
(それにしても偶然とはいえ、お兄様と本のお話で盛り上がる日が来ようとは夢にも思いませんでしたわね。それもこの本で……)
ルインは彼と同じ笑みを浮かべつつ、今こうして彼と面と向かい話をしていることに不思議な思いを抱いていた。
それは自ら胸へと抱き締めている数冊の本のおかげだったのかもしれない。
デュランの手前、カバーが外れてしまった一冊だけは彼に見せたのだったが、実はその他すべても同じ『黒の君』の本だったのである。
しかもそれは、まだ発売されていないはずの『黒の君』の新刊。
でもだからといって、ルインがその作品の熱狂的なファン……というわけでもない。
(
そう『黒の君』の小説は、ルイン自身が執筆した恋愛小説だったのである。
しかも物語にする登場人物のモチーフはすべて実在している。
作中において『黒の君』などと呼ばれ、下から上まで漆黒の服を着ていたという主人公はデュランであり、敵国の将とは彼の従兄弟であるケインのことだったのである。
(まさか
退屈という死よりも辛い毎日を送っていたルインにとって、読書は何物にも代え難い娯楽の一つだった。
そしていつしか、男女の恋愛だけというありふれた物に飽きてしまい、ついには自分で小説を書いてしまったのである。
最初こそ登場人物は自分とデュラン、あとは自分姉であるマーガレットをモチーフにして、一人の男性を巡っての姉妹での恋愛物語だった。だが後日になり、冷静な頭で改めて自分で読んでみたところ、これでは他の小説とまったく同じものでしかなく、全然刺激が物足りないと感じるようになっていた。
街の本屋に商品として出回る、そのすべてが男女の恋愛を描いた物語であった。
それはよく言えば万人向け、悪い言葉で言えば極々ありきたりというものなのだ。
そこでどうせ自分だけが読むのなら……と、読者のニーズを無視した男性と男性との恋愛話にしてしまったのである。
それは自分の欲望の
もちろんいくら
そこで多少設定を変えた上で一つの物語として書き上げた後、彼女は何を思ったか、出版社へと送りつけてしまったのである。
本を嗜む読書家として、自分が初めて書いた物語がどこまで通用するか、それを知りたかったのかもしれない。
それは文章こそ拙いものであったが、そこにはフィクションだけでは感じ取れない別の何かが描かれていた。
それが出版社の目に止まって、あれよあれよという間に本になって『黒の君』として売り出されてしまったのである。
『事実は小説より奇なり』という言葉のとおり、とてもただの空想物語とは思えないリアリティに富んだ『黒の君』は高く評価された。
主人公である黒の君の歯の浮くようなキザなセリフや、登場人物を全員男性しか出さなかったことも市場のコアなニーズと合致してしまったのか、若い女性の間で瞬く間に人気となってしまった。
ルインは想い人であるデュランの人生そのものを本人の承諾なしに勝手に書いてしまい、周りにいる誰にも打ち明けられずにいた。
しかし、ただ一人だけ、それに気づいてしまった者が居たのである。
それはデュランのレストランで働くネリネであった。
彼女とは歳も近いこともあってかルインも心を開き、最初こそ自分が書いた小説を読んでもらっていた。だがそれは初めに書いていた、普通の男女の恋愛物語であったはず。
それなのに、である。
彼女には『黒の君』を書いたのが、自分だと発売した翌日にはバレてしまっていたのだ。
ルインは堪らず、彼女にそれに到る根拠を問い質す。
すると彼女はこう答えた。
「ペンネームが以前、読ませていただいたものと同じでしたので……」
迂闊だった。
確かに著者名に自分の名を記すわけにもいかず『フラン』という、どこにでもいる女性にしたはずだったが、彼女にはそれだけで見破られてしまったのである。
さすがにそれだけで、この小説を書いたのが自分であるという根拠にならないと、ルインは食い下がろうとする。
だがしかし、彼女はその性格と同じく控えめな口調でこう答えた。
「この方のセリフがほとんど同じでしたから……」
どうやら主人公が相手の男性を口説く際、用いたセリフの言い回しがほとんど同じであったことを指摘されてしまう。
確かに以前、自分が書いた小説と見比べてみれば、姉妹の妹を口説いたセリフと、黒の君の主人公が敵国の将へ向けたセリフが言い回しの程度の差こそ違えど、ほとんど同じだったのである。その後も強引に唇を奪うシーンまで同じとなれば、彼女でなくとも気づかれていたに違いない。
だからこそ、新刊では開き直って欲望の赴くがまま、まったく新しい……いいや、以前自分がデュランに投げかけられた時のセリフを
また以前の巻末では、主人公である黒の君とともに亡命した敵国の将も、亡命先で命を落としてしまい、新たなヒロイン……もとい、新たな恋敵を生み出す必要があった。そのモチーフはもちろん、デュランの新たな宿敵であるルイスに他ならない。
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