第260話 最高の友

「そうですわね……需要が無いのに生産を続けても、材料費や人件費などが無駄になりますものね」

「ああ、そうなんだ。製造業において作業効率は重要だが、今のウチの状態では市場を無視して過剰になっているだろうな」


 ルインはデュランの話を聞き、彼が悩み困っていることをまるで自分のことのように親身になってくれていた。


 ツヴェルスタの家も、昔は街に製鉄所などいくつかの事業を営んでいたが、いつしかそれも時代を追うごとに衰退していき、最後には資金繰りに詰まり他者へ売却する道を辿っていたのである。

 きっと過去の辛い経験から、他人事では無いと心配してくれているのだろう。


 そんな考えが表情に出てしまっていたのか、ルインはこんな言葉を漏らした。


「今もお爺様の製鉄所が残っていれば、お兄様のお役に立つことが出来ましたのに……」

「ルイン……」


 それは人に聞かせるというよりかは、心の声が漏れ出てた独り言のような小声だったが、目の前に居るデュランの耳にはしっかりと届いていた。

 彼女は彼女で、力なき自分自身を責めてしまっているのかもしれない。


「そ、そうだルイン! 本、本だっ。い、一体何の本を読んでいたのだ? それほど多くの本を一度に読むとは、ルインは読書家だったのだな! 長年の付き合いだが、全然知らなかったぞ」


 デュランは話題を変えるため、突如として彼女が大事そうに抱き締めている本の話をしだしたのであった。

 声が上ずり、たどたどしくも言葉が言い淀んではいたが、彼女の意識を逸らそうとする彼なりの精一杯だった。


「お兄様……お兄様は相変わらず……(お優しいのですね。そんなお兄様だから、私は……)」

「ん? 俺がなんだ? 今、何を言おうとしたんだルイン?」

「いーえっ、なんでもありませんわよ。気にしないでくださいまし!」


 ルインは思わず、自分のことを気遣ってくれるデュランの優しさに心を奪われそうになった。

 けれども彼には既に妻子がいるため、昔のような自分勝手な振る舞いをするわけにはいかない。


 この胸を高鳴らせる想いだけは、ずっと心の奥底へと閉じ込めなければならない。

 でなければ、今すぐにでも彼の胸に飛び込み、その唇を奪いかねなかったからだ。


 ルインは未だ彼のことを想い焦がれていた。

 それは彼が妻を持ち子供が出来た今でも、昔の想いだけは変わらなかったのだ。


 むしろ最近ではデュランとの触れ合う時間が極端に減り、またルイスの策略によって命を落とそうとした際には、より強く自分が彼のことを想っていることを自覚してしまった。


 それは想い人を永遠に失いかねないという喪失感と恐怖の表れだった。


(お兄様がいるからこそ、今の私がいるんですもの。お兄様亡き、人生に未練はありませんわ。それにお兄様の心に他の想い人が居たとしても、私の想いは昔とちっとも何も変わりませんわよ。むしろ昔よりもより強く、お兄様のことをを想い続けているんですの。それが辛い日々でもありますが、それでもお兄様を永遠に失う恐怖と喪失感よりは全然マシというものですわ!!)


 ルインはもしあのとき彼が処刑されてしまい命を落としていたら、自分もその後を追うつもりだった。

 彼亡き後、その生涯を閉じるまでの数十年という長きの月日に渡り、息が詰まって呼吸も満足にできない切ない想いと胸を切り裂かれるような辛い人生を歩むならば、いっそのこと死んで彼の元へと逝くつもりだった。


 それは恋焦がれるという言葉だけでは言い表せないほど、切なく辛いものである。


(いっそのこと、お兄様をこのまま攫ってしまうのもアリですわよね? あーっ、ダメダメ。そんな一時の感情だけに流されてしまったら、それこそお兄様から愛されるわけがありませんわよね。ならば、一夜を共にするというのはどうかしら? それはあまりにも破廉恥すぎるかしら? 愛人や妾という手もありますわよね。……待って! そもそも貴族が何人も妻を娶ることはできますわっ!! お兄様の正妻になれずとも、お兄様とともに生きる道は色々とありますわよ!)


 ルインの心内では様々な想いと想いが鬩ぎ合い、葛藤している。

 そして彼とともに生きる道を模索しつつ自分自身の心を納得させ、どうにか先程まで考えていたことを忘れることにした。


 それを目の前に居る想い人に悟られぬよう心を落ち着かせてから、ルインは余裕の笑みとともにこんなことを口にする。


「私も特別、読書が趣味というわけではございませんが、いとまを過ごすのに読書は最高の友と言えますわね。それに男性とは違い、仕事を持たない女性にとって家で退屈を凌ぐには、刺繍ししゅうか読書くらいなものですもの。淑女の嗜みの一つなんですの」

「ま、確かにそれなりの身分ともなれば、料理、洗濯、掃除……と家事は使用人がするものだからな。刺繍にしても一日二日で終わる物ではないが、飽きてしまう。その点、本ならば家に居ながら非日常の世界へと連れて行ってくれる……俺も昔はよく読書をしたものだ」


 デュランはルインのその言葉に納得する形で、頷いて見せた。

 女性達の生活を鑑みれば本を読むという行為は、彼女達のストレス発散の意味合いも兼ねていたのかもしれない。

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