第259話 偶然の出会い
「このままでは本当にウチの精錬所で働いてくれている労働者達、そのほとんどを解雇しなければならなくなってしまうな。クソッ! 何か、何か解決する方法ないのか」
デュランは街中を散策しながら、鋳鉄から鋼鉄へと変わる需要の製品を捜し求めていた。
しかし目にする物そのすべてが木製か、良くても鋳鉄でしかなく、とても強度を誇る鋼鉄製の需要があるようには思えなかった。
街中で見かけた鋼鉄といえば、個人の鍛冶屋で見かけた鋼鉄を鍛錬して作られる小形のナイフや乗馬の際に脚を引っ掛け乗る鐙、
それでさえも、金のある一部の貴族が使用する物で、とてもじゃないが庶民が手にするような代物ではない。また需要も限られるため、こうした店主一人で営む個人経営の鍛冶屋くらいで賄うことができるため、工場のような大規模生産は正直お呼びでなかった。
「きゃっ!! あいたたたっ。い、一体どこを見て歩いてますの? 余所見をしながら歩いていたのでは危ないですわよ」
「おわっ!? す、すまない。つい考え事をしていたら、ぶつかってしまって。怪我はないか……うん? お前は……ルイン?」
「ふぇ? あっ、なんだお兄様でしたの?」
デュランは何かないかと周りを見渡しながら歩いているうち、道行く女性の一人とぶつかってしまう。
だが偶然にも、それはデュランがよく知る若い女性であり、何を隠そうマーガレットの妹であるルインだった。
「すまなかったな、ルイン。俺の不注意でぶつかってしまって……どこも怪我はないか?」
「えぇ、私なら大丈夫ですわ。お兄様のほうこそ、お怪我をなさらなかったんですの?」
「俺か? 俺なら大丈夫だ。それよりも、転んでどこか打ち付けたんじゃないか?」
「いーえ。お尻をほんの少し打ち付けた程度ですので、この程度で怪我だなんて言えませんわ。あっ、もしも心配なさるようなら、お兄様が診て下さいますの?」
「いや、それはさすがに……」
デュランはまず彼女に手を差し伸べ、どこか怪我はないかと体を支え確かめる。
どうやらぶつかっただけで、互いにどこも怪我はなかったようだ。
デュランはルインの身を案じるが、彼女は軽い口調のまま受け流してしまう。
さすがにデュランと言えども、ルインの、それも年頃の女性のお尻を観察するのは憚れると、顔を赤らめてしまう。
「にしても、このような街中でルインと出会うだなんて偶然だな。街へは買い物に来たのか?」
「ええ、まぁ買い物というかその用事があったものですから……。あっ、私の本が……」
「本?」
だが彼女はデュランとぶつかった衝撃で持っていた物を地面に落としてしまったようだ。
彼女の視線の先を追って地面を見てみれば、カバーがかけられた本がいくつも地面に落ちているのを見つける。
「す、すまないことをした!! い、今すぐ拾うからなっ!!」
デュランはルインに怪我がないと分かると、すぐさま地面に落ちてしまった本を数冊拾い上げる。
「そのように慌てなくても、本なら無事ですわよ。そのためにちゃ~んと、カバーを付けているんですもの」
「いや、しかし、カバーごと地面に落ちたから表面に土が付いてしまっているぞ」
本にカバーをかけているとはいえ、地面に落ちたことで表面に土が付着してしまっている。
本を読むのに支障は出ないだろうが、それでも見た目よろしくはない。
「ほら、このとおり表面に付いた砂を取り払えば……」
「あっ、本当だな。地面に落としたわりには随分と綺麗になった。このようなカバーとて、ただの飾りの意味合いではないのだな」
そういってルインは本を受け取ると、表面に付着した砂を手で払い除ける。
この数日、雨が一切降らずに土が乾いていたことも幸いしてか、地面に接触したカバー表面に少し土が付着しただけで、肝心の本の中身は無事のようである。
飾りの意味で付けられていた紙製の本のカバーであったとしても、こうした不測の事態には十分効果を発揮するのかもしれないとデュランは知る。
「ええ、もしそれでも気になるようなら新しいカバーに交換してあげれば、新品同様になりますわよ。本はなんと言っても中身が一番大切ですからね♪」
「そうか。それなら良かったのだが……」
デュランは彼女の言葉を聞いて、少し安堵した顔を見せる。
だが、安堵した様子とは違い、デュランの表情は曇っていた。
知り合いとはいえ、自分の不注意でルインに迷惑をかけてしまったのだ。
もしもこれが本ではなく、ガラスなどの壊れ物だったら、取り返しのつかないことになっていたかもしれない。
「お兄様、どうしたんですの? お顔の色があまり良くありませんわね。あっ、もしや本を落としたことをまだ気になさってますの?」
「うん……まぁそれもなんだが……」
顔色の悪さを見て取ったルインは、彼がぶつかってしまったことや本が地面に落ちてしまったことを悔やんでいるのではないかと、勘繰りを見せる。
デュランはどこか罰の悪そうに歯切れ悪くも、反射的にデュランは顔を背けてしまった。
さすがに精錬所云々の経営や製造についての話をルインに相談しても良いのかと悩んだが、それでも何かしらヒントを得られればと、とりあえず彼女に経緯を簡単に説明することにした。
「お兄様が精錬所などを買収したお話は風の噂で聞いていましたが、規模が大きくなればなるほど経営も大変になるのですわね」
「ああ、そうなんだ。だからと言って従業員である彼らのことを遊ばせておくわけにもいかないし、かといって売れる見込みもないのに鋼鉄を生産していたのでは、会社そのものが傾きかねない」
ルインはデュランがルイスの精錬所などをまとめて買収していたことを既に知っていたのである。
情報の出所は問わなかったが、もしかすると既に巷では知られている事実なのかもしれない。
人の口に戸を立てるわけにいかないのと同じく、噂話も誰にも止められない。
ツヴェンクルクの街はこの国でも一二を争うほど大きな商業地域と権力が集まる場所であり、国の要とも言える主要都市なため、人の数も膨大だ。
噂話とて、それに比例する形で膨大と言える。
きっと精錬所で働く労働者からデュランの情報が漏れ出ていたのかもしれない。
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